掲示板の言葉をしばらくぶりに考えました
「残暑の中、今を盛りの蝉 元気
前後に春 秋の あることすら 知らずに」
はじめ残暑と酷暑をミックスして、「残酷暑」としてインパクトがあるように
考えていたのですが、いよいよ掲示しようと思った時に、ちょっと印象が
きつすぎると思い、「残暑の中」に変更しました。
この言葉は、中国の古いことわざとして有名で
よくお説教で引用される
惠蛄春秋を知らず
からとりました。
惠蛄(けいこ)とは中国で蝉のことだそうです。
(私の姉は敬子といいますが・笑)
夏に生まれ(幼虫としては数年間地中に過ごしていますが)
夏に死ぬ蝉にとっては、この世界は夏だけと思っているでしょう。
いや、夏という季節観もないのです。
しかし、蝉より長生きする我々人間からしてみれば
あと数日で死んでしまうのに、あんなに一生懸命に ないて・・・
かわいそうやな・・・短い命やな・・・哀れやな・・・
中には、いま調子に乗ってはしゃいでるけどアホあなぁ
と思う人もあるでしょう。
しかし、我々、蝉のことを哀れんだりバカにしたりできるでしょうか?
人間の考えられる世界の範囲が世界(宇宙)だと思って生きています。
20歳を過ぎれば、人生の残暑でしょう。やがて秋は来ます。
命の異常気象により、急に秋や冬になるかも知れません。
そんな意味を込めて、はじめ「残酷暑」としていました。
命の夏の終わりは残酷なほど急激に容赦なくやってるのです。
そして、そのあとの秋は・・・
それを、蓮如上人は「後生の一大事」と警告されています。
来る平成24年8月26日(日)午後1時より
浄泉寺布教大会があります。
まだ残暑が続いている今こそ、ご聴聞させていただきましょう。
外は暑くても、新本堂内は、エアコン&椅子席で快適です。
浄泉寺門徒以外の方も、お気軽にお参りくださいね。