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Feelin' Groovy 11

I have MY books.

エロマンガ島だって?

2008-10-31 | 
きっちょむさんがタイトルで食いついたという!?『エロマンガ島の三人』。
もれなく私も食いついて、早速読んだ。

何気にタイトルが恥ずかしい気もしましたが・・・
別に内容は恥ずかしいことなんかありませぬ

ゲーム雑誌の編集者である主人公と他2名が
「エロマンガ島にいって、エロマンガを読もう」という企画で
取材に行くというストーリー。
(実話をもとにしてるんだって

オタクの久保田の描写と
それに対する適確なツッコミ、
声を出して笑える箇所がいくつもあった。

まず(うまい!)と思ったのは出だしの文章。

   プロペラの回り始めは、羽根がみえる。回るとみえなくなる。
   丸いフィルターになって、向こうの景色をかすませる。
   だけど本当は羽根はずっとあるし、丸くもない。
   (『エロマンガ島の三人』長嶋有著 エンターブレイン 太字:groovy)

これは私たちが海外旅行に行ったときの感情を
よく表現していると思う。
プロペラの羽根は現実と同じだ。
旅の真っ只中では一瞬現実から逃れたような気になるかもしれないが
その間もしっかり同じ状態で存在している。
(ってことだと思うけど。
(自分自身の変化はあるかもしれないね。


あとはねぇ。
ここの表現が気に入ったな。

  トイレから戻るときにみあげれば満点の星。
  ニューカレドニアでも綺麗だったが、それよりもさらに
  濃い闇の中、星は支配的といってよい密度だった。
  くらくらとしながら、みるのをやめなかった。嘘のようだ。
  みるのをやめても、みあげればある。そう思ってやっと、みるのをやめた。
    (引用同上)

星空って見るのをやめられないとき、あるよねぇ~。
こういうキリのつけ方かっこいいねぇ。ふむふむって。
うーむ?でもこれ、さっきのプロペラの羽根と同じ気配がするな。。。
(ま、いいや。。

そして最後のところ。

  「本当にきて、本当に帰るんだ」小さなタラップの途中で日置が
   誰のほうもみずにいった。
    (引用同上)

これも旅に出ると必ず思いますね。

まあ、こんな感じで、おおよそ自分の感覚と合ったので
とても楽しめる本だったということだよ(君は誰だよ。

1ついうならば、
「見る」となるところが「みる」とひらがなだった点が
気になるんだけどねぇ。。。

見るって漢字にすると目で見るという意味になっちゃうから
ひらがなにすることで体全体で感じる意味で使いたかったのかなぁあ。。

おおっと!おそろしい(((; ゜д゜)))拡大解釈、やめとこぉっと。

ところでこういうところから興味を広げていくのが
本の魅力的なところ。
エロマンガ島を調べたら思わぬ考えさせられた。

参考にさせていただいたのは大介研究室のコチラの記事→悲劇の島エロマンガ
まずはこういう事実を知ることが大事だと思った。

タイムマシンは完成していた?

2008-09-18 | 
扉の文章に鳥肌が立った。


   これは世界で初めて「タイムトラベル」を成功させた
   十三人の少年たちが体験した実話をもとにした物語です。
   (『タイムマシン』日経BP社 アニリール・セルカン著)
        
       *時間のある方は立ち読みサイトへ


なんだって!?

そんなことは・・・聞いたこと・・・ない。
いつぅぅ・・・・・・いつの間に?

ってね。

少し考えればなんでもない一文だし、
レトリックであろうことは想像つくのだけれど
表紙を開けて、さらっと読んだときは感動した。


内容は
ある悪戯がもとで学校を退学になった少年たちが
タイムマシンを作るために再び集結し、努力する。
その経験が彼らの自信を回復していく・・・
という残念ながらありきたりなもの。

文章的に子ども向けぽい感があるが、
それでもこれは、親が読むといいんじゃないかと思った。
親の姿勢みたいな?そんなものが書いてあると思ったんだけどね。
(私ゃ、まだ子どもがいないから なんとも・・・適当ですがw

まぁここで万が一冒頭の部分が気になった方のために
ネタバレしときます。
(知りたくない方はこの先読んじゃダメっ!

         ↓
         ↓
         ↓

タイムマシンの公開実験は失敗したが
その経験をもとに作ったプラズマチャネルでノーベル科学賞を受賞した
マクブライト博士の演説より。。。

   「大人たちは、残念ながら、少年たちの力にはなれなかった。
    しかし、少年たちは、しっかりタイムトラベルを成功させていました。
    少年たちは、過去に戻って、それまで学んできた知識を総動員し、
    現在という時間に、せいいっぱい努力をし、自分たちの手で、
    未来を作り出した。
    そう、彼らの1人ひとりが、タイムマシンとなったのです!」
          (『タイムマシン』日経BP社 アニリール・セルカン著)

『悪人』について

2008-07-08 | 
  佳乃さんを殺した人ですもんね。私を殺そうとした人ですもんね。
  世間で言われとる通りなんですよね?
  あの人は悪人やったんですよね?
  その悪人を、私が勝手に好きになってしもうただけなんです。
  ねぇ?そうなんですよね?
         (『悪人』吉田修一著 朝日新聞社 太字:groovy)


分厚い本だから何日かかけて楽しもうと思った目論見は崩れ、
またしても一気に読んでしまった。
いやー泣いた泣いた。。。

さてさて。
昨日装丁について幾分興奮さえして(?)お話しましたが、
装丁から想像していた話とはちょっと違いましたねー。

冒頭で引用した箇所は、
この本の終わりの部分。

最後に殺人者である祐一は「悪人」だったのか、という
疑問を投げかけている。

どんな理由があれど殺人はよくない。
罪は罪である。
けれども罪を犯したものだけが「悪人」なのではない。
表面化されない「悪人」は世の中にたくさんいて、
またそういう人こそ笑って暮らしていたりするのだ。
私たちはある1人を殺人者にしてしまう環境の一端を担っている。。。

と、ここまで考えて、
もっと考えると・・・・・
でも、でも・・・なのである。

読後、ほとんどの人が祐一のことを「悪人」とは言い切れないだろう。
そして大学生、増尾の方こそが「悪人」であると感じるに違いない。
しかし自分も祐一と同じ状況だったら
やっぱり殺人を犯してしまうよなぁとは思えない。

彼の言い分は、こうだ。

  どんなに嘘だって俺が言い張っても、
  誰も信じてくれんような気がしました。
  (中略)
  それが恐ろしゅうて、ついあんなことをしてしもうたんです。

分かるようで全く分からない。
これが、人を殺してしまうほどの強い動機になるのか・・・

自分の思考回路ではそういう結論にはならない。
誰も信じてくれなくて濡れ衣をきせられても、
真実を自分で言い続けるしかないのである。

少なくともこの祐一には、
信じてくれるであろう祖母までいたのに。。。

人を殺してはいけないことはみんな分かっている。
それでもなお、殺すというのはどういうことなのか、
今の私にはよく分からない。


*「しかし」あたりから
 どう考えても話がそれていってますがwお気になさらぬよう


以下、作中より。

  一人の人間がこの世からおらんようになるってことは、
  ピラミッドの頂点の石がなくなるんじゃなくて、
  底辺の石が一個なくなることなんやなぁって。
           (『悪人』吉田修一著 朝日新聞社 )




悪人の装丁にビクつく。

2008-07-06 | 
きっちょむさんが読んだという『悪人』(吉田修一著)を
私も読みたいと思い、
図書館にネットで予約した。

予約資料の用意ができたという通知メールがきたので
本についての何の予備知識もないまま
ひょこひょこと図書館へ取りに行く

カウンターで予約本を依頼する。

本が出てきてビックリ


その装丁といったら・・・

『悪人』というタイトル文字が大きいし、
それは少々、表紙からはみ出している。

そこへ白地に赤色で 『 悪 人 』 である。

書体も・・・
「人」の字の一画目のハネなんて
巧妙な悪ささえ感じる。

しかも本の厚さが5㎝ほど。

厚さに比例して悪人さ倍増、といった具合。

思わず借りる私さえ悪人だと思われるんじゃないかと
本気で感じ、
受付カウンターの方と目を合わせられないような気分に陥り、
周りの人にタイトルを見られないようにと
そそくさと自分のカバンへしまいこんでしまった。

それほど。

まさに『悪人』さがにじみ出た素晴しい装丁だった。

こんな感じよ。



ちなみに、まだ読み始めていない。

【7/6追記】
上のネットから拾ってきた画像は満足がいかなかったのでww
私の感じた様子を伝えられるように自分で撮ってみました。。。



うおっっ、てくるでしょ?

再読のススメ

2008-06-18 | 
久しぶりに『発作的座談会』(角川書店)を読んでいると、
「小説は結婚式である」の項目で木村晋介がこう言っていた。

   中学生のとき、アガサ・クリスティの
   『そして誰もいなくなった』を読んだんだけど、
   あれ、よくわからなかったなあ。
   (中略)
   筋がよくわからないんだ。
   最後まで読んでも犯人が誰かわからない。


んー私も犯人忘れたなぁ。
全員死んでしまったことは覚えているけれど
どんな仕掛けだったか・・・

そこで『そして誰もいなくなった』(早川書房)を
読み返した。

見事というしかない。
登場人物10人が全員いなくなっても犯人は分からなかった。
最後の告白書を読むまでは。

そこでようやく犯人は分かったが
この犯人もそれ以外の9人と同じように
騙されてこの島へ来て、
いつ殺される番がくるかと怯えていた記述が
あったんだったんじゃないか・・・
だとしたらストーリーが破綻してくるんじゃないか・・・

もう一度その犯人が島へ来ることになったくだりだけ
読み直してみた。

正直驚いた。

この人が犯人だと思って読んでみると、
自分の想像力を補えば
なんら破綻はなかったからだ。

その文章は
想像によってどちらにでもとれる文章、
つまり
この人が犯人ではないという決定的なことが
書かれていない文章なのだ。

こんなこと前に読んだときは気づかなかった。

犯人が分かって「ふうん」って終わっただけだった。

こういう書き方があったと知れて
再読した甲斐があったというものだ。