さてさて…お約束通り、『ミス・サイゴン』の感想です。
マジ今更ながらの戯言でしょうが、初心者(ミューヲタですが、基本的に60年代後半以降のミュージカルで、
映画との関連性の無いものは全くと言っていい程無知です)の未熟な視点からのものですのでお許しを。
一応日本初演版のCDから、今回聴き始めてみました。
…結論から言います。
ドラマの流れについていけんかったとです…orz
特にラスト。なんですかあの唐突さは。
えらいショウ・アップされた『アメリカン・ドリーム』が終わって、なんかいきなりキムが出てきたと思ったら、
前後の脈絡すっ飛ばして突然タムに別れを告げてy=ー( ゜д゜)・∵.ターンだし。
あれホントに舞台完全収録なんすか?ほんとはあの間にナンバー幾つか省略してんじゃないですかと小一時間…。
せめて間にタムの取り扱いと自分の身の振り方に対するキムの葛藤と決意を描いたナンバーと、
自殺する前にクリス達とのまとまった遣り取りが欲しかったですねえ…。
舞台上の動きまで含めたら場の流れ的には蛇足になるかも知れませんが、
あの『アメリカン・ドリーム』からいきなりこれってのは、どうも場の流れが掴みにくいような感じが…
翻って更に暴言かまさせて頂くと、エンジニア邪魔じゃね?
この作品の性格、もっと言うとミュージカルというもの自体の性質を考えると、
確かに場面的にある程度のショウ・アップされたシーンは欲しいし、
ベトナムというものの"悲劇の構造"というものを端的に観客に示す為には必要な人物なんでしょうが、
できれば聴いてて"キムの物語"から目を離したくなかったので…流れから浮いてるナンバー多いし。
…こういう事を気にして聴くのって、きっと頭に『蝶々夫人』のイメージが強く染み付き過ぎだからなんだろうなあ。
ご存知の通り、この作品って『蝶々夫人』が下敷きにあると言われているせいもあり、
どうしても意識せざるをえないんですよ。気を取られすぎちゃいけないんでしょうけど…
なにせ録音・映像併せて12、3種位全曲観聴きして、耳コピ完璧で口三味線で最初から最後まで歌える位です。
頭から取り除けろと言われる方がムリです。
今回『ミス・サイゴン』聴いてても、ナンバーやキャラを『蝶々夫人』ならこれに当たるのね…と、
自然に頭の中で置き換えてしまっている自分がいたり…orz
んでその『蝶々夫人』と『ミス・サイゴン』の、一番の大きな違いは、
自分に言わせたら"作劇上のカメラ・ワーク"なんですよね。
つまり誰をクローズアップしてドラマを動かすか、ドラマを動かすアングルが幾つあるかと言う事なんです。
前者はこれがたった一つ、蝶々さんのみの定点観測なんですよ。
詳細に性格描写されるのはただただ主役の蝶々さんのみで、あとの役は飾りに近い。
その代わり蝶々さんの喜怒哀楽、葛藤などはこれでもかと言う位しつこく描かれる。
特に二幕はあの90分以上の長丁場が、完全に蝶々さんの蝶々さんによる蝶々さんの為の作品になってるし。
だからわき目も振らず蝶々さんの苦悩やルサンチマンに共感できる人は聴いてて入り込めるけど、
そうでない人や、ピンカートンやらシャープレスやらスズキやらに必要以上に目移りしちゃう人にとっては、
なんだコリャ?な作品になってしまう。
逆に『ミス・サイゴン』の方は、キムとクリスの間の関係性も丁寧に描かれてるし、
ピンカートンに対するケイトであるエレンの描写、それに連動してのクリスとエレンの関係性や、
クリス自身の性格描写まで非常に分かり易く追えるし。
トゥイの存在を描く事でキムを取り巻く状況もキチンと説明付けがされている。
ただその代わり、肝心のキムの内面が…ブツ切りにされて見えにくくなっているような気がするんですが…。
個人的にはそれが一番重要だったんですけどねえ…(´・ω・`)
まだ織り込むものが上記のキャラの視点までならキムというキャラの肉付けにもなるし、
良いとは思うんですが、エンジニアやジョンまでくると…流石に過積載だとしか…。
『ブイ・ドイ』や『アメリカン・ドリーム』のようなショーストップ的なナンバーが、
悉くジャマだったり浮いてるように感じた自分って、向いてないんかなあ…?この作品に。
『命をあげよう』は言わずもがなだし、『今も信じてるわ』やトゥイ射殺シーン、
キムとエレンの対決やタムの扱いを巡る言い争いのシーンのようなドラマチックな場面は、
大変お気に入りなんですが。てゆーか曲自体は良かったんですよ。非常に。
『世界が終わる夜のように』(バブル期の日本のロックバラードみたいで何だか陳腐に感じたの…)以外は。
う~ん…とりあえず誰かのお叱りの言葉を待とう…。