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女工○史

貧乏女工ミミの、デムパでイタタでグダグダな"感性の備忘録"

マックス=ムツゴロウさん? : 映画『プロデューサーズ』(3)

2006年05月03日 16時18分28秒 | 映画鑑賞のーと

風邪の方ですが、昨日病院に逝ってだいぶ体調は良くなりますた。

とはいえまだ咳や痰は出るんですけどね。でも鼻水は止まったし、頭の重さも大分和らぎますた。

しかしまだまだ悪いもんは悪いんですがねえ…病み上がりまであと一歩っつーか。

とりあえず今日も絶対安静かなあ…?


そんなんで暇つぶしに某おばさまから借りた『プロデューサーズ』のオリジナルの映画版を観てます。

『屋根の上のヴァイオリン弾き』のオリジナル・テヴィエにして『ローマで起こった奇妙な出来事』のオリジナル・スードラス

(映画でもこの役演ってた)でもある、BWきっての怪人俳優ゼロ・モステルがマックスを演じております。

ギョロ目と観てるこっちまで威圧してくれる大声のオーバーアクションの迫力はこの作品でも健在で、

作品のムードを牽引するまさしく"主役"の大仕事を縦横無尽に演じきっていて、ひたすら脱帽の限りなのですが、

この作品ではジーン・ ワイルダー扮するレオたん(キャラ的によりリアルなものの、今度は全然かわえくない。

ある意味褒め言葉やけど登場シーンはひたすらキモい)を初め、次から次へと現われる奇人変人方の突飛な演技のインパクトが、

それに輪をかけてディープで物凄く(カルメン姐さんのあのイカニモなヒゲと目つきがその中でも特にツボっした)、

やや一歩引いたような印象があるんですよね。どっちかっちゅーと。どう観ても主役である事には変わりないものの。

それらの奇人変人をまるで猛獣珍獣をあやすムツゴロウさんの如く、スリリングに手玉にとる様がメインなような。

ミュージカル版の『Betraved』のような単独で場をさらう見せ場のようなシーンが一つホスィかったと思うのは、

ミュージカルファン的な欲目なんでしょうか?小ネタだけでも充分面白いんですけど…。


あと何より驚いたのが、本的にはこの作品、ミュージカル版の筋立てと殆ど変わりないんですよねえ。

後半になって、『ヒトラーの春』の大ヒットに気付くタイミングがちと早かったり(ミュージカル版では事務所に戻り、

そこで漸く初日の大成功を知るのが、オリジナルでは幕間に近くのバーに集まった客の意外な後反応で、

既に感づいて恐る恐る様子を見に行くようになってる)、裁判のシーンの前に既にマックスとレオが和解していたり

(ミュージカル版では判決直前にお助けヒーローの如くリオから戻ってきて『Til Him』で和解となるわけやけど)、

そーゆー細かい違いは出てくるものの、あとはミュージカルナンバーにスムーズに移行する為のシーンの扱い方の違い位で

(フランツに脚本を依頼するシーンで彼の部屋に入るか入らないか等)、殆ど悪質なカットや場違いなエピの挿入が、

ミュージカル版には無かった事が良く判りました。やっぱり同じ人(勿論我らがメル・ブルックス御大!)が脚本なだけに、

分の本やから尊重して当たり前やろーがえと言われたらまあそれまでっちゃーそれまでなんですけんども。

だからこのオリジナル版もそのまま"ナンバーを殆ど削った形でのミュージカル版『プロデューサーズ』"と受けとる事も、

逆に考えたらできるわけで…それでもこれだけ楽しめる作品だって事は矢張り元の本の出来が卓越してたと言う事の、

証明になっているのではと思われますです。でも決してミュージカルナンバーが邪魔ってワケじゃない。

1時間半程のオリジナルにそのまんま45分程のミュージカルナンバーをはめ込んだという寸法になる訳なんですが、

映画版の印象と重ね合わせても決してそれでシナリオのテンポの良さが殺がれているわけでもないように思われましたし。

その中でもまあ流石にこれは今の時代じゃ受け入れられんだろーっちゅーもんはキレーサッパリなくなってはいましたね。

ウーラ嬢がボインをユサユサさしてゴーゴーを踊り狂ったりとか(久し振りにあんなベタなゴーゴー観たよあたしゃ…)、

あとはヒトラー役に選ばれた、パーペキフラワーチルドレンのLSD氏(オーディションの歌がまた容赦無いダメサイケ。

バンドのオネーチャン方の造形もガチハマリでサイコーw)などは存在自体無かった事にされてましたなあ…ミュージカル版では。

この辺りは時代層の問題なんでしょうね単純に。LSD氏なぞは結構お気に入りのキャラやったんで、

ミュージカル版にも登場したらおもろかったやろなとヲモたんですが(でもそうなるとロジャー姐さんの出る幕が…)。

『ヒトラーの春』も、ミュージカル版はオリジナル版のプロローグを引き伸ばした、全篇レビューのような形なんですよね

(少なくとも作中で観られる部分については)。そこだけ比べてみるとヒトラーが出るか出ないかの違いだけで、

ほぼオリジナル版はミュージカル版と同じ造りになっているのが興味深かったです。ただ大きな違いと感じたのは、

金をかけてド派手な衣裳と人海戦術でそれっぽく見せるミュージカル版に対し、オリジナルの方はとにかく、

歌やダンスのスピード感がかなりキてます。その分かなり衣裳とかはチープなんですけんどもね。残念ながら。

映画だけの感想でちょっとアレなんですが、どちらも良いけどこれについてはオリジナルの方が好きかなあ。

あんまり大掛かり過ぎると『ヒトラーの春』のB級感(これってあくまで駄作たる事を念頭に置いて作られた作品なんやし…)が、

損なわれるような気がしますしねえ…ちょっとカンチガイしてる意見かもですが…でも固まってる観客はどちらも同じとw

ところでこの『ヒトラーの春』のテーマとオーディションのシーンの『ドイツのバンドは最高さ』(落とされた歌手が歌ってるけど)が、

あとオーラス部分での『Prisoners Of Love』のテーマ(これのリハのシーンでオリジナルは終わりなんすよねえ…)が、

このオリジナル版でも使われておりますが…作曲、ちゃう人っすよね。でもミュージカル版のクレジットには御大の名前のし。

『ヒトラーの春』のテーマの方はどうやら、メル御大自身の作詞作曲らしんですが、後者2つはどうなんでしょ…。

あ、メル御大、ラスト近くで主席判事役で特出してます。昔っからあんな顔なのね…老けないっつーか昔から老けてたっつーか…。

全体的にそれでもミュージカル版より幾分か軽めの印象は受けましたが、笑いがシニカルで毒ありまくりな割には、

軽い作品として楽しめる質のええコメディーといったノリで御座います。その内きっと国内版DVD化も…ありやと思うけど…

ミュージカル版の映画のヒット状況が微妙なんでねえ…劇評も見事なまでに賛否両論で…。



なりはガンマン心は乙女、それは何? : ミュージカル『アニーよ銃をとれ』(2)

2006年04月18日 23時16分18秒 | 映画鑑賞のーと

ああ、不動産屋にまだ電話してねえや…部屋の再契約の事について聞かんとあかんのに…。

相変わらず『戦闘の監獄』に夢中で廃人状態やもんアタイ。漸くカラムの洞窟からデュエルの洞窟に足を伸ばしたの。

エレベーター開放して(道のりが長くておばさん覚えるのむりぽ…)4Fでお稼ぎ中。なんかイマイチおいしいモンスターが判らん…。

借りた職場の同僚の話やとコモドドラゴンがええゆー事やけど…なんか出現率少なめですなあ。オマケにブレスに毒が…。

あああ…装備に毒の抵抗付いてるキャラが半分位しかいない…付け直さなあかんかなあ…(´A`)ウツダ


…あ、とっとと前回の話の続きに…入る為に今映画版を観てるんですが…

アニーたんのパーソナリティーを考えるに当たって、ここでのベティ・ハットンたんのそれのイメージが何より付いて回る所です。

唯一キチンと最初から最後まで動いて唄って踊ってるのを観た事あるアニーたんやもん仕方が無いですわいなあ。

初め実はトレーラーとか、『ザッツエンタ~』シリーズで一部ナンバー観た時のイメージやと、なんかかなりガラッパチな、

火の玉ネーチャン然とした女丈夫なんかなあとヲモタんですよねえ…声をそのままぶつけてるってカンジの、

良く言えばパンチの利いた威勢たっぷりの、悪く言えば乱暴で歌になってないともとれるような歌い方で。

だから演じ方もそうなんかなあ…と思っていざDVD手に入れて観てみると……乙女だわ、この娘…(*ノノ)キャ

確かに『気ままな暮らし(Doin' What Comes Natur'lly)』とか『朝に太陽(I Got The Sun IN The Morning)』みたいな、

元気の良さがウリなナンバーは確かにその通りのガラッパチなんですけんども、

『素敵だと皆が言う(They Say It's Wonderful)』の、あの恍惚の表情でフランクの胸に寄り添う姿や、

それをフランクに見咎められそうになってサッと身を引く、その恥じらい感の妙。

何よりフランクから帰朝(?)パーティーへの招待状を貰うシーンの『The Girl That I Marry(俺の結婚する娘)』のリプライズ。

初め無邪気にフランクの真似をして歌ってたのが段々思いが募り、歌と自分を照らし合わせて省みて、

相変わらず自分がフランクの好きなタイプの娘に成り得てないことを痛感して忍び泣く…その様にこちらまでちとホロリ。

歌の上手い下手はともかくとして、実はあのソフトトーンになった時のハスキーな囁き声での歌声が、ベティたんのアニーの好きな所です。

泣きの入り方が巧妙過ぎたり過剰過ぎたりすることが無く、かなり自然で好感が持てるのですよ。

同時に、ああ…実はアニーたんって、あんな男勝りに振舞っていても、心は誰より乙女なんだなあと気付かされるのです。

きっと田舎で"気ままな暮らし"などせず、深窓で親の手厚い保護の下で育っていたとしたら…純粋そのものの令嬢に…?

姉御肌も根っからの気性なんじゃなくて、男のように猟で生計を立てていく内に身に付かざるを得なかったものなのかも。

『あなたにできることなら(Anything You Can Do)』への導入で見せたフランクへの剥き出しの対抗心も、

プリミティブな自己顕示というよりは、そうやって小さい頃から培われていった一種の"プロ意識"への忠誠の表れととれるし。

正直、最後わざと細工された銃を使って勝ちを譲る事を選んだのも、このアニーたんなら漸く自分の無邪気な振舞いのせいで、

外されたままだった梯子を再びかけ直してもらえて、安心してフランクの一歩後ろを歩む事を選ぶ事ができたのかなあ…と、

そういう風にとれなくもないんですよ。一緒の舞台でやっていくどころか更に一歩踏み込んで家庭に入りかねない。

間違っても『An Old-Fashioned Wedding』など歌いそうにも無いアニーたんなんですよねえ。ある意味フランクより古風。

でもそういった面に忸怩たる思いもある反面、何だかこっちの方がアニーたんとして、素直に共感が持てるんですよねえ…。

前回の記事であんなにマチズモ(・A・)イクナイと、まるで落合○子や田○陽子のような事をゆーときながら

(あ、ゆーとくけどあたしゃあーゆーフェミナチ的考え方でえっきれえですから)、なんなんでしょうねえこの矛盾は。


これがもし当初の予定通り、ジュディたんのアニーたんやったらどうなっとったかなあ…って、勿論そりゃ考えますわいな。

考えますけど…正直ジュディたんがそのままやるより、ベティたんに替わって正解やったんやないかなあと思うんです。

だってジュディたん、西部劇似合わんもん。若い頃ならともかく…大人になってからのジュディたんがやるなら、

『ハーヴェイ・ガールズ』みたく都会からのニューカマー的立場じゃないと溶け込めんのんじゃないかいなあ?

歌については技量的には今更書くまでもないけど文句なし…つーか、上手すぎて却って合わんのですよ。

どんなにパンチ利かせてもシャウトしても、歌い口がこなれててスマートで、アニーたんの野性味や朴訥さが出ない。

前述のリリカルなナンバーにしたって完璧なんだろうが、少女の情感でなく大人の女の情感が伺えてしまいそう。

根っからの"ショー・スター根性"がどうアニーたんという役に作用するかも、上述の考え方から行くと賛否両論ありそうです。

余談ですがこの映画版DVDのボーナストラックでジュディたんのアニーたんのお蔵入り映像も付いてるんですが、

なんか…観てて気の毒になってくるんですよねえ…特に『気ままな暮らし』の方…なんつーか…まるでガイコツです。

頬なんかこけきって目だけがギラギラしてて、一瞬観てはならないものを観てるような気持ちになりますた(´・ω・`)ショボーン


さらにこれらを踏まえて、オリジナルのマーマンおばのアニーたんの歌を聴く…歌だけで判断しちゃダメですが、

乙女じゃあねえやな間違ってもこりゃ。大姐御もええとこです。呵呵大笑といったカンジの余裕綽々の大砲声。

並外れたスケール感の堂々とした歌で、とてもじゃないけどフランクの手に負えるような女性ではないです。

キャラクターとしては非常に魅力的なんですが、ベティたんの乙女なアニーを観た後だと印象のギャップに苦しみます。

野育ちそのままの天衣無縫さは、例え一時の気の迷いでもフランクが好きになる可能性を感じさせんのです。

その分『あなたにできることなら』での負けん気の発露や、『ショウほど素敵な商売は無い』のショウ賛美

(こちらはオリキャス盤ではなく、後の同名の題の映画を観ての印象ですが…)が、何の違和感も無く頭に叩き込まれて、

"女傑アニーの出世物語"としてのこの作品の効果を否応なく煽るんですがねえ…でここに来て、

またもやラストの男尊女卑云々の違和感が頭をもたげるんですよ。ここでは『An Old~』は絶対欲しい。


…考えてみればやっぱりこれは、人見て物言えって事なんでしょうね。これだけ何度も何度もゾンビの如く、

再演を繰り返している作品です。最早アニーたんの方とか、どのアニーがそぐわしいかそぐわしくないかとか、

そーゆー事を考える時期はとっくに過ぎたって事なんでしょうか。思い返しゃあ『An Old~』だって、

マーマンおばの為に更に新たに宛書きされたナンバーです。ムリから拘る必要は無いゆー事なんでしょう。

どっちかっつーと自分の好み的にはハナ差でベティたんの乙女アニーなんですけどねい…。

こうなったらマーティンおばとかドリス・デイとかバーナデット・ピータースとか江利チエミ姐さんとか

(この辺みんな録音ありますよね?ホリプロ系はいいや)一通り観たり聴いたりせんとあかんなあ…いずれね。


ああ、長々と語った割に大した事の無い結論…orz



♪おぷにん な~~~い♪ : 映画『プロデューサーズ』(2)

2006年04月09日 18時49分26秒 | 映画鑑賞のーと

昨日はかなり疲れてたんでしょうなあ…3時前に寝て起きたら1時半やった…。

一応目覚ましは9時位にセットしてたんやけど、鳴った所で停めてそのまんま力尽きて二度寝しとりますた。

何でそんなに疲れとったかって…だってレイトショーで映画観てその帰りにスパ銭行ってサウナに篭りたいだけ篭って、

悪いもんみんな流して2時半頃帰ってきたから…シャワーで外の汚れを落としきってからもうそのまま布団に直行よう…。

んでそのレイトショーで観た映画ゆーんが、その日初日やった『プロデューサーズ』なわけで。


やっぱねえ…実際スクリーンで観る映画はええね。楽しい。つーか正直2時間20分の間ず~っと、

マシュー・ブロデリックたん扮するレオたんに(;´Д`)ハアハアしとったんですけどねえアタイ…。

だって…何から何まで萌えるんだもんチキショーかわえ過ぎなんじゃあああヽ(`Д´)ノウワアアン!!

これが総ナメにした2001年度のトニー賞の中継番組を改めて観た時から、あの完璧なトッツァンボーヤ的風貌に、

密かに惹かれるものはあったんですが…ぎゃーじんさんであんな非の打ち所の無いトッツァンボーヤは初めて見たよ…。

出のシーンの『ピーナッツ』のライナス張りの安心毛布への執着振りとヒステリーの様で一瞬で落ちたわ…。

そっからはもう…フランツのホップ・クロップ攻撃に口を尖らせて恨みがましい目を向けるレオたんに萌え、

ウーラ嬢の腰振りにあわせて視線を動かすレオたんに萌え…中でも一番萌えたんは、『Where Did We Go Right?』の後、

半泣き顔でマックスに「帳簿をよこせこのデブチンヽ(>Д <)ノウワアアン!!」と掴みかかってマウントにとるレオたん…。

ガチで幼児退行してるんだもんあの顔で…ズル杉よう…。どこまで母性本能くすぐりゃあ気が済むの…。

その後の裁判のシーンでもいきなりリオから颯爽と帰ってきたと思ったらその格好がどー見ても、

ラテン・ラバーの出来損ないかジェームス・ボンドのダメコスプレってカンジでまた萌えだったし、

ポケットチーフが件の安心毛布やったのにもこれまた萌え。結局こんな調子で殆どレオたんしか目に入らん、

他の人の事知らん…状態やったんですが、それでも頑張って理性を保って真面目に楽しく観させて頂きました。


全篇これ小ネタとパロディ・シーンの応酬で、シネ・ミュージカルビギナーの方からマニアの方まで、

どなた様でも余すところ無くお楽しみ頂けますという造りなのがえがっだですのう。

特にパロディの方は気合が入っとりました。『Keep It Gay』の終わりに『ドゥ・ラ・ザ・コンガ』が挟まってたり、

『That Face』のダンスの箸休めに出てくるソファーの陰から物を投げたり顔を出したり引っ込めたりして、

なんかドタバタやってる(バア様まで…)のを表現するのは、『雨に唄えば』の『Make 'Em Laugh』のそれやし、

オーディションのシーンに出てくる伴奏のおばちゃんは『キャバレー』のキット・カット・クラブの、

オーケストラのおばちゃんを意識したような格好やったし、『ヒトラーの春』の大詰めが鉤十字の俯瞰マスゲームやったっつーのは、

やっぱりバズビー・バークレーのアレ以外のなにものでもないでしょうしねえ…特にアタイがウケたのは、

その『ヒトラーの春』の中で、ヒトラーが幕の下りた舞台の前に足を崩して座って、感無量の態で昔語りをしだすってアレ…。

完全に『スタ誕』の『Born In A Trunk』です。有難う御座いました。

オマケにロジャーヒトラー、耳の横で両手を広げるジュディたんのお馴染みのポーズまでやってのけとるし。

思わず声を上げて笑ってしもたがな。でも笑ってたんがアタイだけやったのがちょっと寂しかった…(´・ω・`)ショボーン

こーゆーパロディーって、元の舞台版でも余すところ無く採り上げられてたのかすぃらん?

小ネタはいちいち挙げていけばキリがないけんども、特に『Til Him』、唯一と言ってもいいこの作品のお涙頂戴ナンバーですが、

バア様方のコーラスをマックスが「やり過ぎだから…」と制したり、感動的に聴かせてケムに巻いて逃げようとしたら、

窓の外にも警察屋がいて拳銃突きつけられて歌いながら戻ってきたりと、単なるお涙頂戴に終わらん所がステキ。

エンドロールの後にもお楽しみが…ってのは(ここからまだご覧になってない方の為に白字反転)

多分『Goodbye!』のことやろーゆーんは、元の舞台、各種サントラの内のどれかに既に接していた方か、

そうでなくてもプログラムを熟読してた方なら、容易に予想は付いたんじゃないかな…と思うんですが…

よもやメル・ブルックス御大ご本人に最後のキメ台詞「早よ出てけや!」を言って貰えるとは…ちょっと嬉しかった。

あと、エンドロールの挿入歌に、モロバラード調の『Der Guten Tag Hop-Clop』が挟まってましたが、

その後奏に『我が闘争』のCMが入ってたのも個人的にはツボですたね。やり過ぎよおw。

近くの本屋に無かったらAmazon.comでも売ってるって…売る気満々やねえ…。ホントに検索したら当たり前やけどあるし。


映画ならではのナンバーの処理っつー点では、満足半分不満半分ってカンジですかね。

えらいド派手にショウ・アップされた『I Wanna Be A Producer』(いかにもレオたんに「あんたはダメ」と言われる用に仕込んだっぽい、

ステップのなっちゃいねえクセに顔のキメっぷりだけは相当なオバハンの踊り子さんがワロスですた)も映画ならではやし、

『Along Came Bialy』なんかはパーペキ人海戦術の勝利でしょう。まさに101人バアちゃん大行進!

舞台版より格段にスケールアップした人数で繰り広げられる歩行器ロケット、圧巻でした。最後の将棋倒しの長蛇の列も…。

不満やったっつーのは、カットされたナンバーについてですかねえ。まずあのオーソドックスで出来のええOvertureを、

なしてカットしたんかなあと。この間に先に主だったキャストとスタッフのロールを流すのが時代遅れやと言うんなら、

『シカゴ』みたく、シューバート劇場に集うパーティールックの紳士淑女の群れの様子やら、マックスや受付嬢の表情やらを、

マイムで追わせてみても良かったんじゃないかなと。少しオケが鳴ってすぐに「おぷにんな~~い♪」やと、

どうも導入の部分での気合の入り方が不完全になるかと…。それ以上におや~?と思ったのは、

『The King Of Broadway』の完全削除と、

『Along Came Bialy』の後に続くアンサンブル・フィナーレのカットです。

前者はマックスの人となりを端的に説明するいかにもな主役紹介の基本ナンバーである上に、

オマージュ・ミュージカルとしてのこの作品の肝でもある超重要ナンバーだし、後者は映画的な脚色の最も生かし易い、

ショウ・アップの効かせ所的ナンバー(てっきりここで『WSS』の『トゥナイト』のリプライズの真似とかすんじゃねえかなと、

予想まで立ててワクテカしてたのにい…)だし…それ以前にこの作品の中でも特に出色の出来のナンバーなのにねえ…。

『シカゴ』の映画版でも『My Own Best Friend』のカットなどっつー愚挙がありましたが、それにも等しいかもねえ。

共通するところとしては映画のテンポの緩除化防止って事なんでしょうか?とにかく映画全体のテンポを上げて、

『ヒトラーの春』等の少数の例外を除き、とにかく客に飽きさせる事無く一気に観せきるようにすると…。

その為にリプライズないしそれに順ずるナンバーを切ったり(『The King Of Broadway』と『Betraved』を秤にかけて後者をとったり…

勿論『Betraved』も大好きなナンバーやけど)、シーンの分割にも繋がるような過度のショウ・アップの多用をある部分では避けたり

(『Along Came Bialy』は元の舞台での1幕の締めのナンバーです)、そういう風に持っていったのかなあ…?

その割には『I Wanna Be A Producer』のリプライズは多用されてたから、マックスとレオたんとの役のバランスの補正の意味もあったんかも。

どっちにせよ、できればナンバーノーカットでお願いしたかったんだけどさあ…。そりゃこの調子で全部ナンバー入れたら、

確実に2時間30分は超えてそろそろトイレの気になりだす長尺映画への道を辿るのは確実でしょうが、

テンポの良さで一気に観せて聴かせて…って作品やから、そんな気にならんとも思うんやけどねえ。

ナンバー配分もバランス取れてるし、これ以上テンポアップさす意味などあったんかどうか…?


あ、役者について語ってなかった…。マックス役のネイサン・レインとレオたん役のマシュー・ブロデリックたん、

どっちも文句なしです。下手な言葉を尽くすよりもとにかく観てくれってカンジ。

ネイサンは『Betraved』のキレっぷりだけでももうお腹いっぱいになれるし、

マシューたんの地味にタップの上手いトコとか(『That Face』でステップの踏み方は…不問に処しましょ)、歌声の甘さなども良。

歌い崩し多めの変化球派のネイサンと歌い上げメインの直球派のマシューたんのコンビっちゅーカンジか。

勿論『Til Him』に例を引くまでもなく、ネイサンも歌い上げても相当に聴かせてくれるのは間違いないですが…。

ゲイリー・ビーチのロジャーとロジャー・バートのカルメンのコンビもええです。あのカマにありがちなオサレぶった隠喩を散りばめた会話やら、

キメ顔で女子の運動系の部活ノリの傷の舐めあいする様やら、わかってる人が演ってるカマのカリカチュアっぷりがアゲ。

ノンケさんでも女芸人の楽屋オチ系ネタが好きな人なら確実に笑いを持っていける所ですなあ。美味しい美味しい。

ただ1人、馬・サーマン嬢の演じるウーラ嬢…結構不満。なんか骨ばっててせくすぃーじゃないしぃー、

何より歌、どんだけボイトレしたってリズムの取り方がもっさりしてるし、ハスキー過ぎて役に合った声質とも思えん。

なしてオリキャスのキャディ・ハフマン嬢辺りを投入せんやったんかのう…?あっちの方がぜってー美人やし、

歌も比べ物にならん位上手いのにい…。やっぱネームバリュー?それとも二コールやったらもっと良かったん?


何はともあれ、一度は観ておいて損はない作品やと思いますです。ハイ。

アタイだってもっとゼゼコと時間に余裕がありゃ通うんやけど…あ、DVDは出たら絶対買います。

最後に一言…『ヒトラーの春』、あれじゃあフツーに出来のええミュージカルやんけ。最悪目指したんじゃないのんけ?

つーかSAのリード・テノールのあんちゃん、カッコえ過ぎなんじゃあ!萌えなんじゃあ(゜Д゜#)ゴルァ!!



安上がりな便乗商法はいけません。 : 映画『Till The Clouds Roll By』

2006年04月01日 19時15分38秒 | 映画鑑賞のーと

棚卸しとか雇用契約関係の事とかで忙殺されとる間に、いつの間にか一週間経ってたんすね…_| ̄|○

その間ずっとブログ放置プレイ状態で、ご覧の皆様相済みませんです。

つーかネット自体繋ぐ気力と時間が殆ど無かったしなあ…ちみっと気分転換にゲームやる位で。

それもピンボールとかフリーセルとか、そーゆー単純なヤツに限り。時間かかる事はでけんし。

転居もせなヲモて色々あたってみたんやけど、結局家賃よりも利便性を選んで動かずにいるだろうなあ。

あれだけひっこーし!って騒いでみても、物には歴然とした"相場"っちゅーもんがあるわけやしなあ。

それに家電類も案外安い値段で手に入りそうやし、動かんでもえっかって結論が導き出されそう。

所詮、そんなもんです。

散財はそれなりにしてますが、それも2万円台で小さく纏まる予定。後一週間で公開の『プロデューサーズ』の予習の為、

オリキャス盤(対訳付いてるそうなんで結局こっちにしましたー)を買い、ヅカのサイトからリンク辿って、

何故かウィーン版の『エリザ』のDVDが売りに出てたんでソッコー申し込み、今結構ワクテカもんです。

…ってこんなんの手続きしたんももう4日も5日も前の話なんよなあ…(´・ω・`)ショボーン


んで今、『Till The Clouds Roll By』を観てました。邦題は色々あるんでどれが正しいのかワケワカメなんで省略。

言わずと知れたアメリカン・クラシックポップの4大巨匠の1人(ワスが勝手に決めたのですが…)にして、

BWミュージカルを音楽的に大成させた人物である、ジェローム・カーンの伝記ミュージカルです。

カーンの成功譚を軸に、編曲家ジム・へスラーとその娘サリーとの友情をメインプロットとして、

話は進んでいくわけですが…なんっつーかなあ…えらいガチャついた造りなんですよねえ。

主役のジェリーとジムが歌わない役だからでしょうか、『巨星ジーグフェルド』と同じくドラマと楽曲が乖離してる。

MGMの作るこのテの作品で、ドラマと楽曲が密接に結びついたものを探せというのがムリな話かもですが、

それならそれでもっとショー・シークエンスの造りをキッチリ豪華にしてホスィかったなあと思うのですが…

この作品自体がカーンの追悼作(製作年の前年死去)という意味合いのあるもののせいもあってか、

これがまたとにかく沢山カーンの曲を詰め込みたかったんでしょうねえ、確かに色々盛り沢山に、

カーンの名作は耳目にできるのですが、そのとばっちりを受けてショー・シークエンスの出来のムラが激しく、

えらい扱いの軽いシークエンスや楽曲が散見されるんですよねえ。例えば『ロバータ』の『煙が目にしみる』。

『オール・マン・リヴァー』にも匹敵するカーンの代表曲なのに、ワンコーラスすら歌わない、

踊りはあるもののダイジェスト臭い。しかも踊ってるのはガワー様とチャリシー姐さん!

当時まだ互いに売り出し中やから仕方が無いにしても何やあの扱いは!どこの予告編かヲモタわヽ(`Д´)ノ!!

あー勿体無い勿体無い。アタイが監督ならあそこもっとフィーチャーして、5,6分位の纏まったナンバーにするがな。

流石にジューン・アリスンたんの『Cleopatterer』とか、ジュディたんの『Who?』なんかは、

キチンといかにもなMGMらしいレヴュー的シークエンスとして完成された、ええ出来のもんやったんすが…。

前者ではジューンたんの独特のアヒル声が堪能できます。しっかしあの純粋培養的ベビーフェイスキャラで、

あのフガフガのアヒル声…あれでキャラが成り立ってるのが冷静に考えると不思議なのですが、

妙に合ってるんですよねえ。しっかしこのシークエンス、男のワンサが全体的にキモい…顔も踊りもコスも(´A`)

後者は最早余裕綽々の態のジュディたんです。この当時MGM側の戦略として、結婚出産を機に仕事のセーブと並行して、

こうしたオールキャスト映画でのワンポイントリリーフ的な役どころで"脱ドロシー"、即ち子役からの脱皮を図ろうと、

あれこれ悪戦苦闘していたみたいなのですが…個人的には『若草の頃』でそれは既に問題なく完遂されていたと考えてたので、

そこまでMGM側がイメージ戦略に慎重になる理由がよく判らなかったのですが…もっとよ~~く休養をとらせて、

『ハーヴェイ・ガールズ』や『イースター・パレード』のような彼女にあった作品を厳選(『踊る海賊』とかを避けてさあ)して、

量よりも質を充実させた仕事をさせてあげるべきじゃなかったんかなあと思うんですがねえ。

あとロンドンでの修行時代のショーシーンで、あのアンジェラ・ランズベリーおばがブランコに乗って『How'd You Like To Spoon With Me?』などを、

セクシーに歌ってらしたのには少々ビクーリ致しました。案外猫撫で系のお声で、後年のロヴェットやらジェシカおばやらの面影は…

これがまた無いわけじゃないのが面白いですねえ。舌っ足らず加減とか、ジミに想像の余地はあります。

…あんまり想像したくはないんですけどねえ…。


と、この様にカーンの作品の再現といった形でショーシーンがドラマと並行して繰り広げられるのですが、

一番大きいのは最初の『ショウ・ボート』のダイジェストでしょう。15分以上に渡り、主要な6曲が、

当時の実際の上演に即した形で採り上げられてます。中でも白眉は何と言ってもリナ・ホーン姐さんがジュリーに扮して歌う、

『Can't Help Lovin' Dat Man』でしょうな!あの物憂げな雰囲気を背負った深い呼吸での歌唱のドラマティックさ!

目の配り方がまたアンニュイでセクシーだし。歌い上げる部分で独特の強そうな見得切りはあるけど、

それを差し引いてもまるで実際の舞台から切り取ったかのようにそこだけ場の説得力が段違いなんですよ。

恐らくMGM側もまだ、この頃はいずれ『ショウ・ボート』をウチで映画化するとしたら、ジュリーは彼女にと、

青写真を描いてたんだろうなあ(ここでのマグノリア役に早々とグレイスンを起用してるように)…。

それがなしてお流れになったのか…責任者出て来いや(゜Д゜#)ゴルァ!!

でもこうしてこの場面観ておりますと、幾ら『ショウ・ボート』が、BWのエポックメイキング的作品、

これまでのオペレッタ的なミュージカルの流れを断ち切った作品であるとあちこちで語られてはいても、

どうもまだまだ…と思わせられる所が多いですねえ。場面転換は少ない(と言うよりも無い?)し、

群舞も類型的で動きが少なく、衣裳の豪華さで誤魔化している部分が多く、ミュージカルと言うよりはレヴュー、

もっと言うと歌謡ショーの如き風情のシンプル過ぎる位シンプルな場の構成になっております。

やから却って現代においても再演とかが容易なんかなあとも考えてみたり。だってこれだけベースがシンプルやと、

幾らでもいじれるやん。基本的なシナリオやプロット、そして楽曲さえ活きてたら何しても良さげじゃね?…不遜かなあ?


フィナーレは、"カーン、ハリウッドに進出"と銘打って(?)、巨大なセットの中でのスターのメドレーとなっております。

思いっきり今までのドラマの流れをうっちゃって、唐突にこのシーンが挟まるので何だか(゜Д゜)ハア?ってカンジです。

シナリオ、オチてねえし。それとも何か?今まで学校辞めて女優になるとか言ってカーンを困らせたり、

突然行方不明になってメンフィスの場末のクラブで歌手やったりしてた親不孝者のサリー(ルシル・ブレマーだったり。

恐らく製作フリードやし、レコとしてのナニがものをゆーたんか?まあメンフィスのクラブのシーンで、

ヴァン・ジョンソンと『I Won't Dance』を洒落っ気たっぷりに歌って踊ってみせてるんで文句は無いけど)が、

漸く新進スターとして自分の力でカーンと同じ舞台に立ててよかったねおめでとう…ってのがオチなん?

思いっきりドラマの終結部分がショーの中に埋没してるんですけど…こんなんでええのんか?ホントに?

んでそのフィナーレ自身もなあ…まず折角ええカンジにデカいセット組んでやっとんのに、カメラワークが悪いせいか

(最後に思いっきりひいて全景映して観客を圧倒…ってゆー常套手段は踏んでるけど)、あんまり大きさ・豪華さが感じられんのと、

トリのシナトラ兄やんがなあ…選曲が悪い。あの若さと歌のスタイルで『オール・マン・リヴァー』はねえべさ。

黒人以外歌っちゃダメーとまでは言わんけど、楽曲に比べて声が軽いんで(必死にアレンジで誤魔化そうとはしてたようやけど)、

どこまでも歌が上っすべりになってるのがイタい。『マイ・ウェイ』とか歌ってる頃とかならまだ、

幾らでも間の持つ歌になったんだろうけどねえ。背伸びしてもまだ足りないって感じですなあ。

ここで『煙が目にしみる』登板させときゃ、エレガントなムードで過不足無く幕…ってカンジで良かったかも。


全体的に作りの粗とやっつけ仕事感が思いっきり目に付く作品でした。金返せとまでは言わんけど…

所詮一枚500円の廉価版DVDだしい…。



ガチでバンザーイ!はなしよ(@萩本欽一) : 映画『フレンチ・カンカン』

2006年03月13日 23時54分22秒 | 映画鑑賞のーと

今日いつもの某郊外型大規模ショッピングモールに買い物に行ったら、

館内音楽で『Another Suitcase In Another Hall』が、なんか『愛のオルゴール』みてえな、

ヤヴァイ位爽やかなピアノアレンジで演奏されてますた。あの曲でこのアレンジはねえだろみたいな。

突飛過ぎて買い物しながら笑いの止まらなかったアタイ。ミストレスたんが聴いたら怒るぞ。

田舎のスーパーやアーケードにゃ時々、変なアレンジで意外な曲がかかるから侮れません。

かといってまんまな曲がまんま場違いな所にかかるのも思わず突っ込みたくなるもんがありますが。

ちょっと昔の学生時代、M山の中心街の某アーケードで、当時バイトしてたカラオケボックスの割引券配ってたら、

賑やかな街中に突然プッチーニの『マノン』の3幕間奏曲が何のアレンジもなくガチでかかってきた時があって…

人が働いてんのに気分鬱にさすんじゃねえやヽ(`Д´)ノウワアアン!!


…昔話はこの辺にして…今日は『フレンチ・カンカン』を観ておりました。

フランスの巨匠、ジャン・ルノワール監督の名作です。とってつけたような説明。あらすじもとってつけたようにこちらで。

この作品、初めて観たのは高校の頃。丁度シネ・ミュージカルっつーか、映画を本腰入れて観よっかなって思いかけてた頃で、

これもBSでやってたんをビデオで録画しつつ観てたんですが、すげえ面白かったって記憶はあるものの、

録画は大失敗。他のチャンネルのが映ってた。んでもっておぼろげな記憶だけを引きずって以降約10年、

漸く本日DVDを購入して再びじっくりと観る事がでけるようになった訳ですが…


なんっちゅーか、ホンモノはちゃうね。


これがホンマモンのホンモノかどうかはともかく、ホンモノって思わせる力は非常に強い。

撮ってる人(言わずと知れた印象派の大看板、オーギュスト・ルノワールの次男だし)を始めとした、

錚々たる製作陣の顔ぶれのパッケージ効果もあるんでしょうが、それだけじゃない。

件のオーラスの大カンカンだけとってみても、それが如実に現われてるような気が致します。

BWのポーターの名作『カンカン』(映画とヅカのしか知りませんが)や、フランス・オペレッタないし、

白銀時代のウィーン・オペレッタの劇中等、思った以上にカンカンってあっちゃこっちゃで観てる気がするんですが、

この作品でのカンカンが、一番観てて圧倒されましたね。曲の出来とか踊りの技巧とかそんなんぶっちゃけ置いといて、

"これがカンカンじゃ(゜Д゜#)ゴルァ!! "ってな有無を言わさずの説得力があるんですよ。特に舞台立てと踊りの演出。

客席を取っ払って空けただけの一見せせこましいステージに、幕の上手から下手から、果ては天井からポスターの裏から(!)、

次々と登場してくる踊り子のオネーチャン方。そしてドン尻に控えしフランソワーズ・アルヌール嬢扮するヒロインのニニたんは、

待ってましたというようなマーチ風の曲調に合わせ、バルコニー張り出しのオケボックスから舞台にダイブ!

あとはもう、舞台の狭ささえも味方に付けるようなパワフルな踊り。キメのポーズを取るためか、

度々途切れるオケのじらしがまた良し。これで終わりかいと思った矢先にまた始まって、なんかお得な気分。

次第に踊りの盛り上がりは高まり、観客まで踊りに参加してもうやりたい放題やし。この臨場感がまたたまらん。

ちょくちょく踊り子さんや観客の顔が大写しになったりして、それがまたみんな" (・∀・)イイ!!笑顔"なんよねえ。

この場が楽しくて楽しくてたまらんっつー。特にニニたんの笑顔のかわえさゆーたら…写メで撮って持ち歩きてえ。

んで締めはみんなで「恋はすばらしい 美しい恋…」と大合唱してその歓呼の中幕…完璧じゃないっすか。

今まで色々ショーのステージが舞台の作品を観てきたけれど、ここまで踊ってる人観てる人、

みんなが"楽しい!"オーラを場全体に発散してたものってなかったよな気がする。

それがそのまんま、場の臨場感に還元されてるんだろな。ムーラン・ルージュってこんなトコなんですよと、

何の但し書きがなくても頭で強固なイメージができちゃう。例えホンモノがこれとは違ってても、

それはこれと違うものであるホンモノが悪いと臆面もなく言い切れるだけの力があるのよねえ。

時間にすれば僅か8分半の出来事なのに、その倍以上の密度を感じてPCに身を乗り出して観てました。


最もそうやって心の底からただ愉しむにしちゃ一筋縄じゃいかんもんがこの作品にもあるんですけどねえ…フランス映画らしく。

特にニニたんの行く末がアタイとっても心配で心配で…。この時代のパリにゃあ珍しい、ガチでカタギの洗濯女。

パン屋の見習いのポーロと婚約同然の仲だったものが、ひょんな事からダングラールのスカウトを受けた事で、

彼女の運命はそのイージーな考えをよそに、急展開を迎えます。踊り子になる=興行主の女になる…

まあでもダングラールの事は好きだからそれはいいわー。とりあえずポーロとチャッチャとバージン済ませてー…

それ位の軽い気持ちでいたのに、嫉妬で頭に血の上ったダングラールの元愛人のローラの咄嗟の姦計で、

何とまあニニたんに惚れていたアレクサンドル王子を自殺未遂に追いやる事になってしまい、

いつの間にやら"王子を自殺未遂に追いやった踊り子"っつー、プロ中のプロの肩書きが付いて廻るようになり、

結果的に彼女が踊る事自体が新規開店のムーラン・ルージュの呼び物になってしまうわけです。

いかにも当時のパリといった風情の、札付きの噂による"スター誕生"。こうなったらもう、

ダングラールが他の女に心を移したからともう踊るのやめる!なんて当初の如き幼稚な論理は通用しません。

無駄な抵抗は非常に短く、今までの優しい態度とは打って変わったプロとしてのダングラールの厳しい発破と、

観客の自分の名を呼んで煽る声に否応なく促され、きっと悟ったんでしょうね。いつの間にか"玄人"になった自分を。

あの満面の笑顔も、何の遠慮もない足上げも、今までの自分を振り切った、その表れなんでしょうか?

方や見送るダングラールも何とも…。あのニニたんへの厳しい言葉は、ある意味自分に正直な本音であり、

そして又自分に鞭打つ汚れ役としてのそれでもあったんでしょう。敢えてカンカンを踊るニニたん達を観ず、

舞台の裏手で椅子に座って指揮真似したり足を上げる振りしたり観客の反応に満足げに微笑んだり…

たまらず出てみれば観客達に「あんた誰?」並みの扱い。最早自分の手を離れてスターになった、

ニニたんを陰から眺めている事しか出来ない。"私物化"出来ない程にスターとして大きな存在になったニニたん。

興行主と踊り子という外面的な関係性は一向に変わっていないのに、明らかにこの2人の運命はこの瞬間接点を無くすのです。

それを変えたのは気まぐれな運命とそれに煽られて勝手に盛り上がっているパリの人々。

そりゃスターの存在って、そういうもんなんでしょうけど…なんかここまで展開が急だと、それだけに揺れ戻しが怖い。

あとはもう、美と芸を磨いてサラ・ベルナールのように神格化されるか、その途上で失速して、

物乞いのプリュネル婆さんの様に成り果てるか…なんか度々出るあの婆さんが、ニニたんの運命の暗示のように見えて、

哀れ且つ不気味なのであります。またそのプリュネル婆さんに「あんたはいつでもプリンスだよ。」と、

常に言われるダングラール。結局は何か?スターを作る男が一番偉いって事か?でもなあ…

ダングラールだって、こうやって短いサイクルの恋と別れを繰り返して、相当気と心をすり減らしてるような気もすんやけど…。

そのせいかここでのジャン・ギャバン、何だか年よりもえっらい老けて見えます。

実は内心、結構傷付いてるんでしょうねえ…スターって、なる方も作る方も大変だというええ例ですな。

そんな結末までは敢えて見せず、カンカンの盛り上がりのうちにこの話は終わるのですが…


…あたいの書き方も敢えてイヤな想像まで立ち入らずにサラリと…(´A`)



ちゅーかなしてゲバラなん? : 映画『エビータ』

2006年03月08日 23時36分08秒 | 映画鑑賞のーと

なんかなあ…また仕事が辛くなってきている昨今。

何がどうって訳や無いけど、今のメンツで仕事するのがかなり苦痛になってきているのです…(´A`)

内2人特にどうにかしてくれと。片方は寄ると障ると他人の仕事に難癖つけるわ陰口叩くわ、

もう片方は一緒に組んで仕事やってるんだけど、書き物仕事がかなりを占める仕事なのに、

仕事の責任を取るのを拒むみたいに書類に自分の名前を残したがらない。仕事を覚える気はあるらしいけど、

そんな輩に喜んで仕事を教えるほどあたしゃ寛容な女じゃないのよ(゜Д゜#)ゴルァ!!

やっぱり仕事の内容が他のメンバーと隔離されてるから、理解されてないんかもねえ…。

まあ愚痴ゆーても仕方ないんでえ、とりあえず頑張らんとねえ。いつかは好転するでしょう、何もかも…。


そんな訳で、自分にカツを入れるため、『エビータ』の映画版観ながら今シコシコこれ書いてます。

言わずと知れた、『JCS』と並び称されるALW&ライスコンビの代表作…です。

世評では『JCS』の方が評価としては幾段高いように見受けられるのですけんども、

あたしゃ『エビータ』の方が遥かに好きやなあ。『JCS』を映画でしか観た事が無く、

しかもその映画版の印象がかなり悪かった(演出の安さとヒッピーテイストの強さが何とも耐え難く、

音楽もあんまり耳で聴いてええなあって思えるものがなかったせいか、ちょっと理解不可能でした…)せいもありますが、

エバ・ペロンっつー人自身にかなり興味があった事、女の一代記もの…それもダーティーもしくは、

エキセントリックな面のある王族や権力者が主人公であるものには何でも節操も無く飛びつく性分のせいか、

こっちの方が数段飛びつき易かったせいもあるんでしょうねえ。

だからこれが初めて観たロックテイストの多分にあるミュージカル作品であったにも拘わらず、

案外スッと耳に入っていったんだとも思われます。Overtureの出だしにはかなり面食らわされましたが。

話自体はパーペキ"エバ・ドゥアルテ・ペロンさんの生涯をダイジェストで振り返りましょう"というノリ。

結構ブツ切り感の強いシナリオで、とにかくポイントポイントを押さえてショウアップして作られてます。

やややっつけ仕事な印象が強いのは、この作品が先ず最初にレコード・アルバムとして企画され、

それから舞台にかける為にシナリオ等を肉付けしていったという製作手順が原因なんでしょうかねえ?

だからといって史実に外れているかというと、そりゃディテールではあれこれ作為はあるんでしょうが、

省略されたものの多さの割には案外史実に忠実だったりします。勿論かなり誇張されてはおりますが。

ちゅーかこのお方のバヤイ、今でもアルゼンチンじゃかなり政治的に微妙な立場のお方のせいか

(遺体の辿ったウソの様なホントの話的受難の歴史にもそれは表れてたり)、色んな政治的な立場の違いで、

物凄く評価が分かれるみたいなんですけど。まあ"独裁者ペロンのファーストレディーを気取る娼婦"としてでなく、

"アルゼンチンの太陽、聖母エビータ"の人物史として見るなら、その"偉業"や"崇拝"のされ方と共に、

エエセン行っとるんやないかと思います。つーかかなり上手い具合に汚点的なものの省略をしてるねえ。

まあでも…あんなヴァカみてえなバラマキ政策を無謀にも敢行したエビータってステキ…(;´Д`)ハアハア

実際あんな風にくじを紙飛行機にして飛ばさせて、拾って名前が読み上げられた人に家一軒プレゼント!とか、

ガチでやってたんですぜあのお方…南米ってやっぱ違うねえ…色んな意味でうすす。

まあそれが祟って第一次ペロン政権のたった10年程の間に、小麦と食肉の輸出でオゼゼウハウハだった、

アルゼンチンの財政はあっという間に破綻してまう訳なんですけどお…(゜∀゜)アヒャヒャ


よく『Don't Cry For Me, Aregentina』しかないやないけと言われる音楽も、まとまりは良いし、

モティーフの絡め方もそれなりに考えられてるし(ベタだけど効果的なリプライズの入れ方は、

この頃からALWの常套手段やったんでしょうか?)、エピソードの羅列といった感の強いシナリオも、

音楽を乗せてみると結構スピーディーに頭に入って、作品世界に自然と入っていけます。

映画版でエバを演じているのはご存知マドンナ。アグレッシヴでいかにも、下の口と寝首掻きでのし上がりましたという風情。

かと言って過剰な下品さはなく、そこそこに女らしいですし。どっちかっちゅーとでも、アクティブなナンバーの方がイケますな。

『A New Aregentina』とか『Rainbow High』とかね。『Don't Cry~』とかだと上手いこっちゃ上手いけど、

なんか歌い回しがクサくて好悪を分ける所があるよな希ガス。この辺はとにかくスケールの大きい美声の、

オリジナルのルポンおばとかの方がそりゃ上ですわいなあ(スケールだけでなくパンチも利いてるし)。

一番のお気に入りは『Waltz For Eva And Che』ですな。開き直りの絶口調で寝言抜かしのチェをやり込める、

そんなアータがアタイは大好きよ。反対に映画版のオリジナルナンバーの『You Must Love Me』は、

なんか蛇足っつーか、音楽的にもリリック的にもこの作品にゃあ合ってない事この上ないですわん。

あれはペロンに宛てた歌なん?デスカミサード達に宛てたん?それとももしかしたらその両方なん?

どれにしたってピントずれずれやけどさあ。そういえばこの映画、流石わざわざカサ・ロサーダのバルコニーで、

『Don't Cry~』を撮影したり、"レインボー・ツアー"で廻った先をガチで撮影隊を組んで、

現地で撮り歩いたりしただけの事はあって、そんじょそこらの伝記映画よりも余程舞台立ては豪華かつリアルです。

ただその豪華かつリアルな舞台立てのせいで、ナンバー構成の性格からすると情報量過多な部分があり、

音楽的にはええ出来でもドラマ的にはややペラいナンバーが悪目立ちする場面が散見されるのが惜しい。

更に狂言回しであるアントニオ・バンデラス扮するチェのパーソナリティーが作劇上舞台のそれより、

やや後退しており(ヘタすりゃ誰もアレがエルネスト・チェ・ゲバラと分からんのんやないかと)、

単なるエビータの生涯のナレーター兼神出鬼没の難癖付け師にしか見えんのんですよねえ。

どんなに出づっぱりでもモブはモブでしかないから、ナンバーの多さの割りに役が軽く感じられるんですよ。

まあこのブログが始まってすぐの記事である『蜘蛛女のキス』の項でごちったように、

革命家って人種を蛇蝎の如く嫌うあたいには、丁度良かったのかも知れませんが…。

んでこれら問題点の積み重ねによって、結果…この映画、単なるマドンナのPVに成り果てとるやんけヽ(`Д´)ノ!!

と、よく批判が挙がったりしております。まあさもありなんです。でもさあ…なんだかんだゆーても、

ここでのエビータって"伝説の女"としてイコナイズされた存在なんですから。自分独りでこの映画をしょって立ってるくらいの、

図々しい出張り方しててちょーどえーんやないんかなあ…な~んて能天気に考えたりしますがねえ。

逆にそういった誇張や作意の無い、この映画を観た後程無くして観た四季の舞台(鈴木エバ&芝チェ)の方が、

何だか味気なく感じたりもしたものです。まあ原因の殆どがあの四季独特の母音歌唱に、

最後まで耳がひとっつも慣れなかった事なんですけどね。ホントあれ何なんですか?

歌詞が一字一句淀みなく聴こえる事がそんなに大切な事なんかすぃら?こればっかりは理解でけません。

色んな意味で教えてエロイ人!…この終わり方多いなあこのブログorz

まあ元々萌えたいだけ萌えてるしぃ~ : 映画『ブリガドーン』

2006年02月16日 23時40分01秒 | 映画鑑賞のーと

誰かさんが珍しくアステア御大の事を褒めてたんで、あたいもでけるだけ頑張って、

いつもボロクソに叩いてばっかのケリーを褒めてみる事にします。お題は『ブリガドーン』です。あらすじはこれね。


この作品、MGMのミュージカル映画の中では、メジャーどころの割りに余り人気の無い作品だったりします。

作品世界が余りMGMの作風にそぐわない点、チャリシー姐さん扮するヒロインのフィオナがミスキャスト臭い点等、

弱点はそれだけにあちこちにあるんですが…あたしゃ大好きです。ええ。鼻血出そうな位観てて萌えるから。

神の奇跡に守られて、100年に一度、霧の中で目覚める村っていう神秘的な設定がまずツボですなあ。

都会での生活に抑鬱感を抱える男が迷い込んで、村の女とたった一夜で運命の恋に落ちるというのもツボ。

秘儀的な匂いのする結婚式の場面や、ラーナー&ロウの清楚な雰囲気の歌もやはりツボです。

この作品の監督のミネリパパがいかにも好きそうな、一歩間違えば書き割りに堕しかねない画で処理された背景に、

現実じゃありえねえような植生の草花に彩られた、やや箱庭的だけど起伏に富んだパノラマチックなステージが、

またいかにもおとぎ話チックで素敵。案外奥行きのあるセットだったりするしねああ見えても。

とにかく観ているこっちまで、ガニ股ちゃんことケリーと一緒に幻の世界に引き込まれ、逃避していくかのような…。


でもなんと言っても本作の白眉は、『ヒースの丘バレエ』でしょう!!!

ガニ股ちゃん扮するトミーが、フィオナと彼女の妹ジーンの結婚式に使うヒースの花束を、丘を駆け回って摘む踊り。

単刀直入に説明するとそうなんですけどね…これがもう…個人的には古今東西全ミュージカル映画のデュエットダンスの中でも、

最も萌えるものなのではとも思える位素敵なんですぅ!!!好きなデュエットダンスという意味でなら、

他の色々な要素でも様々挙げられますが、萌えるという意味ではこれに敵うものはそうそうないのでは?

まず出だしでガニ股ちゃんが歌う『The Heather On The Hill』。爽やかで夢想的なメロディーに乗って、

出逢いの刹那と引き比べて恋心の永遠さをシンプルに歌い上げる、ラブソングの佳曲です。

もうこの曲からしてうっとり(;´Д`)ハアハアモード。ラーナー&ロウも、ロジャハマに負けず劣らず、

時々ピンポイント爆撃の如くハートをアタックしてくれる萌えラブソングを書いてこましてくれるんですが、

あたいはこれがダントツ一番好きですね。『キャメロット』の『あの時はもの言わぬ愛』も激萌えなんですが、

こっちの方が上かなあ。またこれにガニ股ちゃんの細めの歌い口が、悔しいけど…信じれん位合うの…。

西やんソクーリの顔に似合わず、サイモン&ガーファンクルでも歌わせたくなる位細くて耳溶けの良い、甘い声なんですよねえ。

あんまりこーゆー歌歌ってないから宝の持ち腐れっぽいですが、ここでは思いっきり堪能させてくれます。

んでさらに極上なのがその後に続くフィオナとのバレエ調のダンス!いつもはちょっと辟易するルーティンコリオも、

ここではちょっとおとなし目。それでも相変わらずセット内をドタバタ走り回るクセは抜けてませんが、

寧ろヒースの丘を子供みたいに楽しそうに走り回る2人がひたすらロマンティックで、今回ばかりは○ですな。

チャリシー姐さんは、よーこんな踊りにくそうな服装(ペチコートを重ねた古風で重そうなスカート)で、

ここまで流れるように軽々と踊れるなあと感心しきりです。まるで風の妖精でも意識したかの如く、

シンプルかつ曲線的な動きでもってガニ股ちゃんの周囲をすり抜けるように踊っております。

リフトが非常に多用された振りなんですが、2人の息がよく合っているからでしょうか、全く重さを感じないし。

静かに盛り上がっていく音楽、湖を望むセットのロケーション、風のように軽やかな2人の踊り…

全てが調和して、夢の世界そのものの素晴らしいデュエットダンスが織り成されております…

あたしゃただもう言葉を失って画面の前で、時間も忘れて(*´Д`)ポワアアン…


もうここだけサルのように巻き戻しちゃー観ちゃーで大抵時は過ぎていくんですが、他にも出色の場面は色々。

いかにもスコットランドってカンジの結婚式の踊りは、その秘儀的なムードもさることながら、

なかなかの劇的かつアクティブな盛り上がりを見せて、萌えだけじゃなく燃えが味わえますし、

フィオナが芯になって歌い踊る『Waitin' For My Dearie』は、中の人のキャロル・リチャーズの、

ふんわりとした声がまず魅力的(チャリシー姐さんの歌は大抵吹き替えです)。それとなく予言的な歌詞もいいし、

間に挟まれた小芝居チックなバレエも可愛らしくてええです。あの乙女軍団の中に入りてえ…。


それにしても…チャリシー姐さんのフィオナ、そんなにミスキャストかなあ?確かにちょっとケバくはあるけど、

あんまりベビー・フェイスの人が演るのもなあ…却ってこの位大人っぽい女性の方が理想的だし。

フェアリー的な可愛らしさよりも、ニンフ的なスラッとした美しさを求めたい役です。

都会的な雰囲気という先入観が付いて回るんでしょうが、田舎娘という視点で見るよりも、

異世界の女性という視点でフィオナを捉えたいのですよ。そーゆー意味では充分に適役だと思うのですが…。

チャリシー姐さん以外ならキャロンたんとかジェーンたんとかか?キャロンたんはちょっとガキ臭すぎるし、

非現実的な美人のイメージじゃねえ。ジェーンたんは寧ろヴァン・ジョンソンとちょっとだけ絡む、

羊番の少女の方が似合いそう…っつーかさあ、折角ヴァン・ジョンソン使うんだったら、

あんな終始お疲れチャーンムードな役にせんで、あの羊番の少女にそれなりのスターを当てて、

コミカルな歌とかダンスとか当てて脇からドラマを盛り上げたればえかったのに…。

この作品に不満があるんは唯一その辺り位かなあ?ちょっと贔屓目に過ぎるかも知れませんが。


…つーかガニ股ちゃんの事褒めるつもりがなんか脱線してね?



"美しくまだ若いドーリー"…( ´,_ゝ`)プッ : 映画『ハロー・ドーリー!』

2006年02月13日 23時23分07秒 | 映画鑑賞のーと

腰の痛みはだいぶ和らぎました。でもまだサ○ンパス貼ってます。

今日はもうサクサク行きましょ。お題は『ハロー・ドーリー!』です。なんかこのあらすじいきなりダウトやけど…。

この作品、実はアタイ、ミュージカル映画を好んで観るようになってすぐ、初体験したんですよね。

バーブラ・ストライザンドって聴いた事あるわね。ジーン・ケリーって…『雨に歌えば』の人?

監督なんかやってんだーへー…んじゃ借りよーってなノリでそのままビデオをレンタル。

んで観る。元々の楽曲がアタイ好みやったのと、話の面白さ、舞台立ての豪華さで、まあ満足しました。

でもねえ…なんっか違和感が…。そのときにはまだその違和感の正体が分からんかったんですけど…。

月日が経ち、どんどんアタイも余計な知恵がついて、しまいにゃこれのオリキャス盤を聴くようになって、

漸く分かったんですよ…違和感の理由が…。


違和感その1 : ここまでド派手にやる話じゃねえだろこれ。


なんだかんだいってさあ、これオールドファッションなドタバタ喜劇やんけ。のどかな雰囲気に楽しい音楽、

これでタイトルロールのドーリーおばさんが底抜けに明るく盛り上げてくれたらそれでよしみたいな。

それがなしてこんな大規模な作品になったんでしょうねえ…?たかがみんなで汽車に乗ってニューヨークへ行くだけなのに、

いちいちブツブツカット割りして大群衆のダンスを入れたり、(舞台版でゆーところの1幕ラスの)パレードシーンは、

一体何の戦勝記念パレードですかと言いたくなる位の規模のものだったり(たった1ナンバーの為に延べ人数22000人、

もうアホかと。しかも誰かさんがこれを撮りなおせといったお陰で…((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル)、後半の山場の舞台、

ハーモニア・ガーデンに至っては…あたしゃどこのパレ・ガルニエのロビーで飯喰ってんのかヲモタわ。

あれ、本当にただのレストランなのか?珍寶海鮮舫(所謂アバディーンの水上レストランね)とタメ張るバカ建築の悪寒。

その他にもあっちゃこっちゃで細かいカット割りの大群舞が入るエキストラ総動員のタブローシーンが入る入る…。

これらがいちいちナンバーに挿入されるもんやから必然的に1ナンバーが不必要に長くなってドラマの流れが行き詰るし。

一応振り付けマイケル・キッドっちゅー事なんやけど、余りにもカット割りが激し過ぎて動きが追いきれないせいか、

『バンド・ワゴン』や『略奪された7人の花嫁』程仕事が目立たない…ちゅーかよー分からん。振りが死んでる。

ハーモニア・ガーデンの従業員の踊りの一部位かねえ出色なんは…あれはキビキビしててよかったけど…。

とにかくゴテゴテし過ぎ。ショートケーキ喰おうとしてウェディングケーキ出されたみてえな気分やわ。

これは一つはやっぱり時流のせいなのか?例の三大傑作のせいでミュージカル映画が猫も杓子も大艦巨砲化したせいで、

こんな元々チープでレトロチックな作品でさえも、アホみたいにあの手この手でハデハデにせなウケなくなったと。

ケリー監督様のパフォーマー時代からの悪癖、イメージ過積載のシークエンス作りが更にこれに拍車をかけたと。

よー考えたら監督様の作品の目玉としてよくあるイメージ膨張型の長めのシークエンスから監督様の歌と踊りを引くと、

こんなカンジの数で押すけど中身はカラッポな群舞が残るような気がせんでもない。んででかいセットに細かいカット割り。

う~ん…ハリボテやね。物が人に変わっただけの。ダ…ダメじゃない…仮にもあのMGMで天下取った人間が、

こんなイージーミスしちゃあ…。あーあ、監督かせめて振付担当がガワー様やったらなあ…。


違和感その2 : なぜバーブラ?


世間じゃ主役がオリキャスじゃない大作ミュージカル映画として、特に"ジュリーたんがイライザではない『マイ・フェア・レディ』"が、

槍玉に挙がっているようですが(あたいもオードリーのイライザにゃあ色々と問題はあると思うけんどもよそりゃ…)…

罪深さじゃこっちの方が遥かに上だと思いまーす!だってえ…ミスキャストなんだもんバーブラ。

見た目はさあ実は意外に合格やと思うのよね。当時27歳とはとても思えねえ老け顔の魔女顔。

台詞回しも巧みだし、歌の上手さは恐らく誰が聴いても折り紙つき。じゃあ何が悪いのかってゆーとね…

ドーリーおばって、いつからこんなタダの鼻持ちならん出しゃばりの毒舌ババアになったん?とにかくBBBドーリーには、

"愛嬌"や"チャーミングさ"ってもんがカケラも感じられんのよ。まくし立てる台詞の声質とかもそうだけど、

まずは表情ですねえ。ユーモアがそのままブラックユーモアになってしまうあの意地悪い目つき!

ハーモニア・ガーデンに戻ってきた時のあの目の運び方…あんたどこの国の女王様ですか?まるっきり睥睨やん!

歌もねえ、確かに上手いけど…オリキャス盤を聴いてしまうとスタイルの合ってなさが歴然としてます。

ややシャウト気味の息の吐き方、タメの多い歌いまわし…特に『It Takes A Woman』のリプライズや、

『Before The Parade Passes By』のワンコーラス目とか、あんな泣き入れて歌うなや(゜Д゜#)ゴルァ!!

必要以上に話が重くなる重くなる…ドーリーおばメインで追ってると、なんか「未亡人の幸せ探し?泣けるの?」って、

変なカンチガイする人間が出てくる危険性が…否定はせんけど表に出るテーマじゃないでしょ。

歌の上手さが裏目に出てドーリーおばのキャラが変わってきてるんじゃないかと小一時間…。

やっぱチャニングおばやなあ…あの思わずヴィッ○スドロップあげたくなるダミ声がたまらん…。

初め聴いた時はBBB様との余りの落差に(゜Д゜)ハア?状態やったけど、B級チックなオケと併せてどんどん中毒状態になっていくの…。

どこがどうええんか説明する事は今の所放棄してるんでアレなんですが、あの濁った声が、

却ってチャーミングに聴こえるんですよねえ…。愛嬌は文句なしやし、どっからどう見ても、

ユーモラスの塊のようなオバハンですもんねえ…でもあの声だから、まっとうな名作ミュージカルを映画化するには、

不適当やとゆー風に判断されたんでしょうかねえ…?ちょっと意味が違うような気がするんですが…。


…なんかイチャモンばっかですなあ。ただボーッと観てるだけなら、結構面白いんだけどなあ…。

てゆーかアタイこれ書いてて段々、こんな(そりゃええ意味でではあるけどもよさ)古臭い作品が、

なして60年代も半ばに差し掛かったBWであんな爆発的にウケたんか本気で分からんくなったんですが…。

サッチモおぢぢのビルボードNo.1ゲトに象徴されるよに曲が死ぬ程魅力的やったからか?ガワー様の演出のお陰か?

それともこれもやっぱりBWの鉄則かなんかが関係しとるんかえ?教えてエロい人…orz



↓の画像を見て萌えた方、お友達になりましょう。 : 映画『キス・ミー・ケイト』(2)

2006年02月11日 22時50分20秒 | 映画鑑賞のーと

昨日は会社の新年会でした。今頃新年会っちゅーんもなんか間違ってるような気がせんでもないですが…。

いつもお世話になっとる事務のオバチャンが、かなり姉御系の方やっちゅーんが分かったんが今回一番の収穫。

それに二日酔い殆ど無いしい…。2次会じゃ殆ど焼酎のウェルチグレープ割りしか飲んでなかったからか?

あ、↑、かなりイケます。アタイの味覚がおこちゃまやからかも知れませんが…勇気がおありの方はお試しを。


そんなこんなで相変わらず『キス・ミー・ケイト』観てます。あんまりダダハマリするよな作品やないんですが、

落ち着くんですよねえ。こーゆーの観てると。目にも耳にも据わりがええ。アタイの趣味の古さが分かるねえ。

更に気付いた事をつらつらと書き連ねませう。よー考えたら前回そんな大した事書いちょりませんし。


前回〆間際にハーミーズ・パンの事についてチラッと書きましたが、実際にお姿を拝見したのはこの作品が初めてです。

ちゅーかこれに付いてたメイキングを観るまでどの人がそうかってのにもきづきませんでしたが…

まさかここまでアステア御大そっくりとはねえ…。背格好から顔のカンジからもうクローンみてえ。

やからまずトレーサー的な部分で御大半専属コリオグラファーとして打ってつけやったんやろなあと思うワス。

誰のダンス担当しても、振り付けの当て方の自由度高そうやからそれなり以上のええ仕事しそうですけどね。

『From This Moment On』なぞ、自由度の高さっつーか更に一歩進んで完全にダンサー任せやったりしますが。

実際メイキングでも話に出てますが、一度袖に引っ込んで1ペアずつ出てきて一踊りするところは、

完全に踊り手委任なんですってねえ。だからこうなるとフォッシーなんか完全に自分のスタイルで、

踊っちゃってるワケで。お相手のキャロル・ヘイニー嬢共々、これがほぼ初めてのコリオお披露目なのに、

既に自分のスタイルってのが確立されてる所がすげえ。極端に低い姿勢でのステップや、

腰や手先足先等体の末端部分を意識した見せ方、そしてダンス全体に漂ういい意味での脱力感…。

天才なんだなあとつくづく。でもよー考えたらトニー賞をゲトして華々しいデビューとなったかの名作、

『パジャマ・ゲーム』はこの作品の翌年に初演されてるんですよねえ(何とフォッシー27歳の頃!)。

ガワー様もそうやけど、ガチで早熟の天才やったんやねえ。才能ある人って違うんだなあ。

それにい…なんかかなり恐縮なんですが…この作品でのフォッシー、かわええ。萌え(;´Д`)ハアハア

メインのダンスシーンのほかにもあっちゃこっちゃでコソーリ顔出してるんですが、

『We Open In Venice(初日はベニスで)』で、ボビー・ヴァンと道化みたいに顔塗ってマント着けて、

ちょこまかと舞台上を飛び回りながら紙吹雪をまいたりしてるんですが、なんか動きが小動物チックでねえ…。

手乗りサイズで飼育でけたらええなあと思わず観てて妄想フル稼働な萌えモードのアタイ。

すいません。これからはフォッシーの事"たん"付けで呼びます…。

ミュージカルファンの皆様的にはフォッシーたんの顔っちゅーとどうしてもあのお世辞にも萌えとは遠い、

酒焼けしたヒゲ面が思い浮かばれる所なんでしょうが…そっちの方がフォッシーたんを取り巻くイメージにも、

文句無くフィットしますしねえ…アダルティーでアーバンな…つーかアタイも今まではそうやったんやけど…

若い頃はこんなにかわえかったんよっつー事を、世の中にもっと喧伝せねばなりませんです。ハイ。


…なんかまたこっち方面で暴走し始めましたので、話題を修正しますorz

翻って楽曲や歌について見ていきますと、なんかポーター作品とは思えない位、使用されている楽曲が、

オールドファッションな事に気付かされます。かなり古典劇のミュージカル化という事を意識しているのか、

オペレッタっぽいナンバーが目立つんですよね。それもフレッド&リリー方面に集中して。

ポーターは最初この作品の作曲を依頼された時に、自分の曲のスタイルに合う作品じゃないからと、

お断りしようかと思ったそうですが…そうして頭に描いたスタイルっつーのがこーゆーモンやったんでしょうな。

てゆーか充分ハマってますしねえ。カッチリし過ぎな位にカッチリした韻の踏み回し方とか、

頑張って意識して作りましたって風が出てて好きですよワス。最もこうしたオペレッタ調の楽曲も、

舞台上の取り澄ましと裏でのドタバタを多少皮肉ったような感が出るのもポーター流なんでしょうか?

その分ロイス&ビルサイドの楽曲がいつものちょいワル系のポーターなもので、そのコントラストもおもろいです。

リリーを演ってるキャスリン・グレイスンですが、いつも発声が古臭えだの歌いまわしに表情がねえだの、

口を開きゃ文句ばっかですが、何気にええです。オールドファッションな曲がキャラに合ってるし、

歌いまわしの表情の無さがリリーの高慢な印象を上手く修飾してます。短気で強がりさんな素のキャラも、

しっかり演じられてますし。『I Hate Man(男なんか大嫌い)』のプリチーな暴れっぷりがややツボ。

水を得た魚の如きミラー姐さんのロイスと比べたら、印象が薄くなるのは仕方の無いところではありますが、

それでもなかなかの健闘ぶり。元々リリーって、こーゆーお嬢系の役者をワザとキャスティングして、

「いつもの○○ちゃんじゃない…((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル」…ってなコトをやらす伝統があるらしんですが、

そーゆー意味じゃある程度の成功を収めてんじゃないかすぃらん?まだちみっとお嬢が抜けきってなくて、

ちーと小粒な印象をぬぐえん所なども含めてね。ハワード・キールのフレッドにしてみても、

いつもながらの余裕綽々とした歌いっぷりと素のナサケナスな男っぷりとのギャップが光ります。

ヒゲ付けてるとええ男なのに、ヒゲがねえと途端に間抜け面になるんよなあ…。

そんな2人の歌うデカいデュエットナンバー2点。『So In Love』と『Wunderbar(ヴンダバー)』。

この2人のキャラに合うのは断然後者の方です。この作品のポーターの擬オペレッタ調ナンバーの究極といえるもので、

いかにもなワルツ風のメロディーに、リリーは更に『こうもり』のメロディーでカデンツァを乗せます。

目を閉じると蓄音機で聴いてるかのやうなグレイスンの歌声のレトロな響きが曲にピッタリ!

対する前者も、フルコーラスで歌われる場面が曲合わせの譜面初見という設定上の制約があるせいか

(それとも歌いまわしに熱のこもらない人らが歌うのを見越してワザワザこーゆー設定にしたのか)、

イマイチムードに乗り切れてない感があるのが少々残念ですが、これだけ甘く歌い上げてくれれば、

まあよしとしましょう。歌ってる表情克明に追ってると、2人の間の感情のゆらめきが仄かに伝わって、

それなりに楽しめます。ご丁寧に2人がガチで共演してる『ショウ・ボート』の写真が入ってる写真立てが、

そんな2人の在りし日の様子を語るかのように傍らに置いてあるのが何ともニクい演出だったり。


あんまりダダハマりするよな作品ではないっつー割には、2回に渡って語り込んでしまいました。

それもこれもフォッシーたんのせいねきっと。さてもっぺん『We Open In Venice』観るか…。



ミラー姐さんってちょっと清川虹子に似てね? : 映画『キス・ミー・ケイト』(1)

2006年02月09日 23時17分08秒 | 映画鑑賞のーと

腰は昨日よりは痛みはひいてきたものの、まだまだやっぱり痛いです。

午前中ずっと頭が重くてフラフラやったんやけど…これは朝飯大して食ってなかったからかなあ?

バナナ1本とチョコレート一欠けとオレンジジュース一杯じゃあかんのかい?

いやね、朝食欲ないんよ…低血圧ちゃんやから…またこの前教えてもろた体操やってみよ…。


まあ夜は比較的元気なんですけどね。さっきまでチョコレートバリボリ喰いながら(勿論50g制限は守りつつ)、

『キス・ミー・ケイト』の映画版(これがあらすじね。)を観ておりましたもの。アメリカン・クラシックポップの4大巨匠の一人、

コール・ポーター(アーヴィング・バーリン、ジェローム・カーン、ジョージ・ガーシュウィンとこの人…

ワスが今決めた)の最大のヒット作にして、トニー賞のミュージカル部門の最初の作品賞に輝いた、

記念すべき作品でもあります。この前観ていた『ブロードウェイの100年』によると、40年代に入ってからポーターの作品は、

全くの鳴かず飛ばずの状況で(『パナマ・ハッティー』辺りがこれ以前の最後のヒットやったっけ?)、

既に過去の人になりかけていたのを、この一作で大場外逆転ホームランをかまし、

その後の『カンカン』等の作品に至るみたいな取り上げ方がされておりました…。

映画版は良くも悪くも、いかにもMGMらしいなあっちゅー改作がされております。

基本は『ショウ・ボート』と同じく、ダンサーの見せ場確保のためのナンバーの入れ替えと改変ですが、

こっちの方が遥かに徹底してます。ちゅーか、ぐぐって舞台版の脚本の詳細読んで、

ここまで違うとは思わんかった…シナリオ自体は大体同じなんやけど、ナンバーの配置とか全然違うし。

ちゅーかハッティとポールって誰さ?舞台版には名前があるのに映画じゃとんと姿が見えんぞ?


主な改変としては…

1:映画版はフレッドの家での楽曲の打ち合わせのシーンから始まるが、舞台版はいきなり次の舞台稽古のシーンから始まる。

2:舞台版オープニングのアンサンブルのナンバー『Another Op'nin Another Show(またショウが始まる)』が映画版では省略され、
  以後も全く出てこない(モティーフはあちこちで何べんも顔を見せますが)。

3:舞台版2幕最初のアンサンブルのナンバーである『Too Darn Hot』が映画版ではロイス初登場時のタップナンバーになっている。

4:映画版では『Why Can't You Behave(なぜ、まともになれないの?)』の後奏にビルとロイスによるアクロバティックな、
  デュエットダンスが挿入されている。

5:映画版フィナーレ前半部分(ビアンカの結婚式)、ビルとロイス中心の3組のペアのダンスナンバー『From This Moment On』が、
  オリジナルで付け加えられている(近年の舞台版でもこのナンバーが登場しているものがあるが、2幕半ばで歌われる、
  リリーと婚約者(舞台版では将軍、映画版では大農場主)のデュエットとしてのもので、当然映画版のようなダンスシーンは無い)。


…こんな所でしょうか?他にも『So In Love』の登場順がずれていたり、ビルのナンバーが一曲削除されていたり、

1幕フィナーレ前のアンサンブルのナンバーがダンスから歌から丸ごと消えていたりしてますねえ。

総じてダンサーの役であるロイスとビル(特にロイス)の見せ場を増やす代わりに、

アンサンブルのナンバーをそっくりそのまんま削っております。

どうやらハッティとポールというのは、これらアンサンブルの芯となる役のようです。

要するにアンサンブルのナンバーをほぼ全て削った事で、彼らもお払い箱になったので作品から消したって事でしょうか?カワイソス。

結果としていかにもなMGMのスターの個人技重視のナンバー運営に即した作品とあいなったわけですが…

そのせいか、とにかくアン・ミラー姐さん演じるロイスが、ロイスの存在感が…ひたすらデカい。

そのお陰で彼氏のビルだけでなく主役のフレッドやリリーまでが容赦なく食われまくりです。

ナンバーの配置的には歌のコンビ(フレッドとリリー)とのバランスは丁度ええ筈なんですけどねえ…。

勿論悪目立ちというわけではなくて、ええ仕事はしてるんですけどね。それどころか個人的にはこの作品こそ、

ミラー姐さんのベスト・アクトであるとあたしゃ思うんですよ。まずはミラー姐さんを観る作品じゃと。

登場してすぐの『Too Darn Hot』からしてテンションがもう違う!テーブルやソファーの上を渡り歩きつつ(行儀悪…)、

マシンガンのようにヒールの音を連打連打ひたすら連打!黒い扇や首に巻いたスカーフ等の小道具の使い方もキマってて、

決して腰から下だけじゃ終わらん踊りのセンスの良さが出てます。とてもセクシー!能天気な歌声も良。

劇中劇の最初のナンバー『Tom,Dick Or Harry』も3人のダンサーを率いてスクリーン狭しと大暴れ!

いかにもかさばりそうなドレスのスカートさえもダンスのアクセントにしてしまってる所がまた凄い。

虫取り網を構えたり、ダンサーのにーちゃんらをほっぽって泉の端で寝そべって小休止したりもキュートでええし。

ハーミーズ・パンの振り付けはやっぱり安心して観れますね。決して自分の色をハッキリとは出さないけど、

踊り手の持ち味が最大限に発揮される振りを当ててくれてるなあって、こーゆーダンスシーンを観てると、

いっつも思ってしまいますです。職人芸の極致よなあ。実はちみっとだけ作品内にも出演してるけど、

どーせならミラー姐さんと一踊りしてホスィかったよ(ボーナストラックのメイキングを観ずにどこに出てるか分かった人は神)。


一旦置こう。あの事とかあの事とかはまた次回書きましょ。