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女工○史

貧乏女工ミミの、デムパでイタタでグダグダな"感性の備忘録"

何故か指パッチン、左手でしかできないの… : ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』

2006年02月05日 02時27分09秒 | 音楽鑑賞のーと

土日は夜更かしでけるから好きさ。今日は珍しくぐずらんと予定通りにやる事終わったし。

…てな訳でさっきまでゆっくりと先日ちょっと書いたスーファミ版のドラクエ2をやっとりました。

今テパの村の辺でレベル上げ&貯金中。はやぶさのけんとミンクのコートを買うんだ。

たま~にはぐれメタルが出てくるのがなんだかちょっと嬉しい。トヘロスでコイツだけ出てくるようには、

でけんもんなんかすぃらねえ…特にパペットマンのふしぎなおどりがイヤでイヤで…。

しっかしスーファミ版、1もヌルいヌルい散々書いてたけど、2は更に輪をかけてヌルい!!!

よく巷間で言われている通り、オリジナルの2は歴代ドラクエの中でも最も難易度が高く、

ガキンチョだったアタイは何度もチャレンジしてその度に返り討ちにあっておりました

(何故かDQ、FF共に共通して、2が一番難しく、3にはゲームバランスを思いっきり揺るがすバグ技が入ってるのよねー)。

そんな作品だった為、かなり気構えして始めたんですよ。それなのにさあ…。

異変に気付いたのは風の塔に入る前。どっかええ稼ぎ場所ないかなーと、ムーンブルク城を超えて、

西の砂漠地帯まで到達した所、そこはメタルスライムの群生地帯。倒して得られる経験値は、

3以降のそれに準拠してオリジナルの約10倍!しかもルドルフ(サマルトリアさんね)、レベル18でベギラマ覚えやがった…

こんな早かったっけ?それともあたいのカンチガイ?なんかおかしーなーと思って、

攻略サイトとか見てみたら…どこのサイトもイベント毎の目標レベルが5、6レベル程、

ファミコン盤よりも低い…ああやっぱり…しかも光の剣をルドルフが装備できたり、

ミンクのコートの防御力が異様に高かったり(そんなええもんなら特殊効果もつけれや)…。

かんなり肩透かしやわあ…でもホントこの歳になるとねえ…おばさんガチでヌルゲーしか、

受け付けんくなってるから…かえって有難いわあ…頭はもっと別の事に使いたいの…(´A`)


んでもってそのドラクエ2をやってる間聴いてた(今もかかってまーす)んが、『WSS』のオリキャス盤CDですのよ。

しっかしねえ、音だけ拾って聴くと、色んな発見があるもので…特に映画版と比較するとよりね。

テンポとかオケの印象とかがもう全然…。『マンボ』がすげえノリノリなの。映画版比2倍位の速いテンポで、

しかもパーカッションバリバリ!『アメリカ』もどことなくルンバのようなムードだし(最初に入るクラベスの音がもう…)。

『クール』がジャズピアノの音をベースにした、やけにアダルトなノリの曲だったり。

あと映画版じゃ軽~く流されてる『ワン・ハンド、ワン・ハート』が、実はかなりしっかりしたデュエットだったり、

『サムホエア』にものごっつボリュームのあるバレエシーンが前後に挿入されてたりね…。

ただやっぱり、通しで聴くと舞台版の曲順って、やや分裂症的で曲調とシナリオのムードに、

余計な波があるように感じられますわね。その点の統一感ではやっぱ映画版のほうが上に感じるわあ。

フィナーレに向けての一貫した求心力のようなもんが表出されてるような。そりゃあただ単に、

『クラプキ巡査どの』と『クール』の順番を入れ替えて、『アイ・フィール・プリティ』を前に出しただけやけどさあ。

それと、ディテール聴くとどことなくオペラチックなんですよな。曲の構成が。『サムホエア』の歌の入りや、

『あんな男に』と『私は愛している』のつなぎの部分(丁度某作品のパクリメロディーのかかる部分ねうすす)とか…。

そこん所が同時代の作品と比べて、『WSS』の曲の異質な部分だったのよねえと、

あちこちで言われ尽くされた文言を再確認して納得するあたい…。

勿論大半は、指パッチンとか「マンボ!」とか「オーレ!」とか「ララララランランランラーララ♪」とか、

合いの手入れに費やされてるんですが…入れたくなりますよねえ、絶対これ。


あとこれまたやっぱしだけどお…オリキャスの方が歌上手いわ断然。特にトニーとマリア。

声の厚みや熱のこもり方がもう、映画版の中の人とは雲泥の差ですよ(ついでにテッシトゥーラも高いよ)。

つーかコレ聴いてると、マー二・ニクソン(映画版のマリアの中の人)って、んな大した事ないやんねえ…と思ってしまうのさ。

オリキャス盤のキャロル・ローレンスと比べると、確かにキレイな声だけど響きがじぇんじぇんペラペラ。

『トゥナイト』のリプライズのコンチェルタートも、地味にテンポ速くして誤魔化してたんじゃと、

疑惑が生まれてしまったわあ…どーしてくれんのよヽ(`Д´)ノウワアアン!!

あとリヴェラ姐さんのアニタ、当たり前やけど若い!当たり前やけどヒスパニック訛りの巻き舌が超こなれてて、

『アメリカ』なんか独特のニタニタした発声(アニタでニタニタ…?)も相まってすげえせくすぃー!!!

ただそこでの歌がやっぱりあたいのイメージする、ファンキーでシニカルないつものリヴェラ姐さんの歌い口だったから、

『あんな男に』とか、そーゆーシリアスなナンバーどう歌いこなしてんのかなーと思って聴くと、

これがまた押し殺したような演唱でええ味出してて…でもこっちはリタ姐さんの方が好きかもぉ…。


…んな訳で、映画版で満足してる方って不幸よねえ…なんて暴言が思わず口をつく位、かなりええアルバムなんで、

あんた今頃何を…と言われそうですがまだの方はどうぞ。ボーナストラックにレニーたんジサクジエーンの、

フルオケでの組曲版(『マンボ』の暴力的なまでの迫力にせいぜい度肝ぬかれるがいいわうすす)ももれなく付いてきます。

ついでにフィナーレももっと何とかしてホスィかった…。みぢかすぎてかんどうでけまちぇん。

トニーが狂ったように夜の町を「チノ!」と叫びながらさ迷う所から入れてくれたら…むりぽ?




今年最初の(個人的な)訃報…

2006年01月12日 23時41分09秒 | 音楽鑑賞のーと

今日、久しぶりに2chのクラ板覗いたんですよ。最近ずっと東亜+・ハン板・レゲー板位しか覗いてなかったもんで。

そしたら…



ビルギット・ニルソン(ソプラノ)逝去



…なんですとΣ(゜Д゜)!!??



…ネタスレよね…ネタスレネタスレ…でもスレ開けると…



B・ニルソンさん死去 スウェーデンのオペラ歌手



…ソースがきちんと…そんな…



あのオバハンだけは殺しても死なん人や思っとったのにい…。・゜・( ノД`)・゜・。ウワアアン!!



…ショックです…。自分みたいに古い録音のオペラばっか聴いて人間には、この辺の世代の名歌手って、

みんなかけがえのない"アイドル"なんですよねえ…。

それが段々、どんどん、櫛の歯の抜けていくようにいなくなっていく…。

確かな歌声だけを残して、一度もご尊顔を拝することなく…。

仕方の無いことなんですけどねえ…やりきれませんよ正直。

リアルでいいないいなと思って聴いてる歌手がどんどんあの世の人になるのは。

本当に、まるで未亡人にでもなったような気分を、毎年のように味わうんです。

少しづつ、しかし着実に、死を想う人の数が増えていくわびしさ…。

思い入れが過剰過ぎるんだろうかねえ…?


スウェーデンのヴェスタ・カルプって辺鄙な村に産まれて、鍬を持つ手を槍に持ち替えて、

ワーグナー・ソプラノとして長きに渡り(遅咲きだったからキャリアの頂点に立ったのこそ60年代に入ってからやけど、

それから80年代まで第一線で活躍してた物凄いお人です!)八面六臂の活躍をしたニルソン姐さん。

ユーモア溢れる大らかな性格の人で、様々な武勇伝をお持ちの方でもあります(ショルティ盤『リング』の、

録音の様子のドキュメントなんかでもその一端が伺える所であります…まだの方は必見)。

そんな人となりや、声と風貌から、勝手に"オペラ界のブル中野"なんてこっそり呼んでましたが(w、

とにかく、その声の破壊力たるや…。クリスタルのように鋭利で強靭な高音は、一度聴いたら忘れられまへん。

あれだけの質量の高音を自在に出せる歌手って、実はワーグナー・ソプラノではかなり珍しいんですよ。

メゾ寄りの声の人が多いから。フラグスタート様のような拡散して包むように響く声とも、

メードルのような重りに引きずられるように耳に圧力を与える声ともまた違った、

巨大な矢を鼓膜に向かって射られるかのような、ダイレクトな威力がニルソン姐さんの声にはありました。

だからもう、オペラにおける演唱一つとっても、歌い回しがどうとか表現がどうとかというより、

声そのものが意思を持って、脳に直接アプローチをしてくるかのようなイメージを持ってます。

今66年バイロイトの『トリスタン』を聴いてるんですが、ここでのイゾルデなんかまさにそう。

人格が遊離して、性愛の衝動そのものが叫びを発している…そんなイゾルデ。

2幕の長大な2重唱での、なんら理性のバイアスの存在しない本能の赴くままの歌いっぷりや、

ラストの『愛の死』の、"愛"以外の感情の一分の立ち入る隙のない、痛いくらい純度の高い歌…

ここまで感情、感覚を純化・昇華させたイゾルデの歌唱は、今後聴けるとは思えないなあ…断定はできませんが。

こういった果てしない高みへ昇華していった、不純物0のエネルギー体の塊のような歌こそ、

ニルソン姐さんの真骨頂でしょうねえ…。エレクトラ然りブリュンヒルデ然り。

"カタルシスの歌姫"とでもいうのかなあ…?そう捉えたくなってきますね。聴いてると。


せめて今日一日だけは、歌で姐さんの偉業を偲びましょう…。




ワスのHNとこの作品は一切関係ありません。 : オペラ『ボエーム』(1)

2005年12月21日 23時56分20秒 | 音楽鑑賞のーと

おんもは風が吹いてます。雷も鳴ってます。

もしやと思って窓を開けたら、またもや一面の銀世界…もうイヤンorz

明日はこの雪の中を、気合と根性で単車で出勤せなあかんのやなあ…。

もしスリップ事故起こして死んだら、線香の一本でも立ててやっておくんなせえ。


さてさて、やっぱり音楽には、"季節限定モノ"って、ありますよねえ…。

チュー○と広○香美が対義語なんもこれが原因でしょうしw

このシーズンになるとオリコンチャートにゾンビのやうにフカーツしてくる、

竹内ま○やのダンナの『クリスマス・イヴ』とか…。

アーヴィング・バーリンが遺族に遺した版権が『ホワイト・クリスマス』のそれだけやったちゅーんは、

それだけでシーズンになりゃお腹いっぱいになる位印税ガッポガッポやっちゅー事の証左でしょうし。

そりゃあ何故か毎年この頃にまるで雨後のタケノコのように、なんちゃらリミックスやら、

なんちゃらアレンジやらと、この曲を有名無名有象無象の歌手の皆さんがいじってCD化して、

それが商売になっちゃってんですから…所詮ご本家クロスビー氏にゃあ足元にも…

これについてはまた近いうちにでも書きましょう。


んで、ことオペラに目を向けると、こーゆー季節モノの代表格としてワスが捉えてんのが、

プッチーニの名作、『ボエーム』です。

こればっかりは、まず他の季節には何となく聴く気にはなれませんのよ。

ええ録音あったからとりあえず買ってみて聴いてみよーとか、そんなんでもない限りは。

ところが、世間がクリスマス色に染まってくるこの頃には、なんだかついつい、

手を伸ばしたくなってきます。気温の低下にあわせてまるでパブロフの犬の如く。

向こうの人もそれを分かってたんでしょうか、この作品の初演は2月1日。

それも今度オリンピックのあるトリノでだったりするんですよね。

まあオペラのシーズンなんて大抵晩秋から初夏までが相場でしょうから、

自然と初演時期が似たような季節になるんも当たり前の事なんでしょうが。

でもやっぱり薪がどーのマフがどーの肺の病がどーのと寒そうな描写のオンパレードですし、

クリスマス前後の話が大きくクローズアップされてる事もあって、やっぱり真冬の似合う作品です。

火の気のない部屋で酒でも飲みながら観たり聴いたりしてると、なんか物凄い身にしみるのよこれが。

特に3幕はもう…。『ミミの告別』の辺りでジワッと目頭が熱くなってきたりさ…。

話自体は、本当に淡~い青春群像劇ってカンジの作品なんですよね。

オペラにしちゃ特に凄惨な場面も、ドラマティックな大事件もある訳でもなく、

パリのカルチェ・ラタンで、貧しい詩人のタマゴロドルフォと、これまた貧しい女工ミミ(ん?)が、

1幕で出会って、2幕で愛を深め、3幕で破局の危機に揺れ動き、4幕でミミの死によって、

辛苦のにじむ結末を迎える…といった具合の、ある意味非常に淡々とした起承転結っぷり。

『椿姫』を水で薄めてアクを抜いたような話ととる方もいらっさるかも知れませんですね。

シナリオがこんなに機能的でまとまりが良いのって、実はオペラじゃ結構珍しかったりします。

音楽もこれまた非常にシステマティックな展開の妙が随所に感じられるもので、

1幕のロドルフォとルームメイトのにーちゃん達の快活なやりとりと、ミミ登場後のムードの切り替え。

2幕の群集の裁き方の巧さ。3幕のラストのモティーフの乱舞っぷりとそれを重くさせない音楽のこなし方、

同時進行の2つの二重唱という荒技。4幕の1幕との双子的な構成と、アリアという形を用いない、

モティーフのフル活用による1幕の出会いの再現で構築される臨終シーン。

パステルチックな甘い世話物であるにも拘らず、次から次へと出てくる斬新な音楽の造り。

プッチーニの天才っぷりと水鳥の動きのような目に見えない工夫の確かさ、

そしてこの作品も、ベタなように見えながらも明らかに旧世代の作品とは一線を画した、

ヴェリズモ的なドラマ造り・音楽造りの延長線上の作品なんだなあという事を思い知らされます。

それがドロドロした方向に向かうと『トスカ』のような作品になり、

スッキリ爽やかな方向に向かうとこの作品のような味わいになるんじゃないかなあ?

そーゆーシンプルで微温的な機能美を感じさせる音楽こそが、

この作品が冬にお似合いのものである一番の理由だったり、実はするんじゃあないかなあ…

よく分かんないけんども。


…などという事を、映画『ムーラン・ルージュ』等の監督でもある、

バズ・ラーマン演出の舞台の映像を観つつ、ちみっと考えておりました。

これについてはまた折を見て書きますです。いつもの事ですが…。



レナータ・テバルディの一周忌に想ふ : オペラ『トスカ』(1)

2005年12月19日 23時47分48秒 | 音楽鑑賞のーと

早いもので、あれから丁度1年経ってしまいました…。

クリスマス前の突然の訃報に、年明け頃まで半ば喪中状態の気持ちで過ごしてましたっけ。

そう、去年の丁度12月19日、"天使の声"と呼ばれた大プリマ、

レナータ・テバルディ女史が他界されたのです。

自分カラス様の熱狂的なファンでありながら、テバルディ女史のこれまた大ファンでもありました。

"ありながら"ってのもなんかヘンですが、とかく両者のファンっていがみあってるイメージがありますもので。

とにかく声も体格も大柄な方で(NHKイタオペの『アンドレア・シェニエ』の映像を観ておくんなまし。

デル・モナコ兄さんがまるで大木にとまったセミのようですw)、風貌からのイメージ先行で、

勝手に"レナータおばさん"なんて呼んで、親しんでおりました。

勿論おばさんなんつっても、お顔はなかなかにクラシカルな美貌の方なんですけんどもね。

実はレナータおばさんの歌を体験したのも、カラス様とほぼ同時期だったりするんですよ。

例の『新潮オペラCDブック』から出てた、58年ブリュッセルでの『トスカ』でした。

当時はまだオペラについての知識も当然浅く、例の接吻においての低い声での「muori!」3連発に震え、

終幕の身も世も無い嘆きの叫びに興奮を覚えたりしておりました。手に汗握る録音でしたね。

それからDECCAのスタジオ録音をなめるように一通り買って聴いたりしておりました。

とにかくスケールの大きい美声の人…という印象でしたね。

その声の美しさとスケールの大きさが、ここまで高い水準で両立するということのが、

どの位驚くべき事なのかというのも、最近になって思い知った所で…。

ただその反面、ちょっと歌い方がのっぺりとして大味やなあと感じる事もしばしばでしたね

(『アドリアーナ・ルクヴルール』やプッチーニの『マノン』のタイトルロールなんかは特に棒読み歌唱で…)。

でもそれもまた改めてライヴ歌唱を聴いていくと、こっちではスタジオ盤での印象とは大違いの、

ドスを利かす事も厭わない迫力に満ちた体当りの演唱のものが殆どだったりするのがまた不思議。

決して最初の『トスカ』を聴いた時の感じは大ゲサでもまぐれでもなかったんだなと分かり、

それから益々レナータおばさんにのめりこむようになりました(幾らすごいと言われても、

音質の悪いライヴ盤なんて…とお思いの方は、エレーデ盤の『カヴァレリア・ルスティカーナ』をどうぞ。

これが一番ライヴのレナータおばさんの印象に近いかなあと思います。一概には言えないけど勿論)。

特に好きな役は、前述のトスカと、『運命の力』のレオノーラ、『オテロ』のデズデーモナ、

それからなんと言っても挙げないといけないのは、『アンドレア・シェニエ』のマッダレーナですね。

特にマッダレーナはもうレナータおばさんの歌唱のイメージが完全に耳に染み付いてしまっていて、

誰のを聴いてもまず比較してしまいます。


今聴いているのは、56年メトライヴの方の『トスカ』です。レナータおばさんがスカラを離れ、

完全にメトに本拠を移す事になった、その最初の公演の録音ですが、いやー何とも気合が入っております。

アマゾネスの如く強く気性激しく、

それでいて揺れ動き易いナイーヴな心を持ったトスカです。

大雑把に聴いてみると、昔ながらのプリマドンナ然とした、鷹揚とした歌い口のトスカ像も、

ちらちらと垣間見えたりしますが(ステッキ持って花束抱いて女王の如き足取りで現れて、

執事でも呼ぶかのように「マーリオ!」と呼びかけて…ってノリ)、初手から強い、

でもちょっと余裕の無い調子でカヴァラドッシをやり込める歌いっぷリや、窮鼠猫を噛むというよりは、

恫喝には恫喝をといった感覚でスカルピアと互角にやりあう2幕の長い対決シーン

(全てが終わった後、憎悪丸出しで「この男の前で全ローマが震えていたのだわ」と吐き捨てるように言う、

その声の調子がたまらなく好きですね)、そして終幕の身も世も無い泣き叫びから、見得きり、

投身(なんと悲鳴付き!)まで、火の玉のようなトスカを余す所無く聴かせてます。

タッカーのカヴァラドッシは硬質のよく鳴り響く声(ビョルリンクもそうですし、当時のメトでは、

こんな声のテノールが流行りやったんかしらん?)が圧倒的で、2幕のカーンと響き渡る「Vittoria!」は、

もう圧巻の一言ですが、『星も光りぬ』まで似たような歌い口で歌ってしまう一本調子振りは少しひきます。

ウォーレンのスカルピアはいつもと比べるとややパワーに欠けた歌唱ですが、その分低音の黒々しさが目立ち、

色悪的というよりは、老獪な大悪党といった感の強い役作りに徹しているような気がしましたです。

そんな2人を歌唱面で完膚なきまでにやり込めるレナータおばさんの気迫に、翻って拍手をもう一つ。

勿論こんな巨大な歌の世界を支える、ミトロプーロス兄貴の振れ幅の大きいオケ運びにもひたすら脱帽。

打楽器の音がかなり目立ってますよね。3幕初めの教会の鐘の音がまるで『ボリス・ゴドゥノフ』の、

戴冠の場のそれのようにひたすらデカくてテラワロス。

全体的に歌の力重視の、横綱相撲の『トスカ』ってカンジですね。それでいてアグレッシヴで。

音質も非常に良いですし、レナータおばさんをライヴで初めて聴くって人にもオススメ。


さ、続きは布団の中で…。



マリア・カラス強化週間(5) ~ちょいディープ・カラス延長戦~

2005年12月07日 23時55分37秒 | 音楽鑑賞のーと

天気の移り変わりが激しすぎて、洗濯物が乾きまちぇん。なんとかしてくだちゃい(@ダイトウリョウ)

…昨日は病院から帰って家事に明け暮れているうちに一日が終わってしまい、

結局一回休みになってもーたんで、気を取り直して今日こそ続きを。


さてさて、前々々回の記事で、ちょっとカラス様のベルカントものに対して、

マイナス点のようなものをちみちみとあげておりましたけんども、

なんだかんだいっても、カラス様はそういったベルカントものの作品において、

多大な業績を世に残した方です。やっぱり中にはとんでもない名演があるんですよ。『ノルマ』以外にも。

ここで是非押さえて頂きたいのが、

55年ベルリンの『ルチア』同年スカラの『夢遊病の女』。

この2盤に共通するのは、前述のような様式的な不備をも超えて、なお聴く人の耳を捉えてやまない、

"破格の力技"の逸品であるという点です。それぞれのスタジオ盤なんかでは、

まだここまでの域には達せず、どうにも不完全燃焼の感があったりもするんですが、

ライヴですもの、完全にリミッターは外れてます。

前者の、夢幻的な歌の行間からでもルチアの恋の哀れな道程がありありと読み取れるかのような、

悲劇の中の悲劇といった面持ちの『狂乱の場』や、アンコールまで出た白熱の2幕大詰めの6重唱。

後者のフィナーレの大アリアもまた凄絶なもので、明らかに歌のスケールを超えているにも拘らず、

その歌唱のシリアスさで有無を言わせず聴かせるカヴァティーナ部分(何かの本でここでのカラス様の歌を、

"まるで死刑台にあがるかのような面持ち"と例えていた記述があったのが、

非常に印象に残ってます)と、歓喜がまるで怒号のように押し寄せてくるカバレッタ部分があいまって、

もうとてつもない緊張感と熱気がプレーヤーの中からも伝わってきます。ガチで。

前者は特に音質の面でもカラス様のライヴにしては例外的に音がいいんで、初めてのライヴ盤鑑賞にもオススメ。

更に物凄いものとしては52年フィレンツェのロッシーニの『アルミーダ』を。

全編これトリルの超絶技巧の2幕のアリア『甘き愛の帝国に』を、スケールの大きい声で、

パワフルに歌いまわす様等聴いてて壮観の一言なんですが…オケは重いしテノール陣はしょぼいし、

オマケに音が…ノイズの雨あられの悲しいものなんで…。お好きな方なら買って後悔はせんでしょうが…


少し下って『椿姫』以外にヴェルディで目ぼしい録音として是が非でも押さえとかなきゃあかんのが、

51年メキシコの『アイーダ』(カンケーないがワスの誕生日と同じ日の録音)と、

57-58年スカラのシーズン・オープニングの『仮面舞踏会』ですな。

前者はとにかくあの2幕2場ラスの分厚いオケと合唱を切り裂いて響くハイEsの大音声で有名ですが、

絶好調のデル・モナコ兄さんのラダメスに、血も涙も無い苛烈なタディのアモナズロ、更にはまだ新人なのに、

迫力の歌唱で豪胆にそれら大歌手に割って入るドミンゲスのアムネリスと、他の歌手も多士済々です!

歌手のメンツなら後者も負けてはいません。バスティアニーニのヒロイックな美声のレナートに、

シミオナート先生の決して不気味一辺倒にはならないウルリカ、何よりピッポ氏のリッカルドが素晴らしい!

3幕2場のアリアのリリシズムの洪水のような歌い口と、その後のあのアペルトのロングトーンがたまらんです。

カラス様との2幕の2重唱も、切羽詰った出口の無い2人の感情そのものの演唱で、聴き応えがありますし。

どちらも今はEMIから出てるんで、手に入りやすいんでお一つどうぞ。

…まだまだ触れんといけん音盤は沢山あるんですが…とりあえずこの辺で。


最後に一言。ピカリン出所おめ(はあと)。



マリア・カラス強化週間(4) ~ちょいディープ・カラス~

2005年12月05日 23時59分02秒 | 音楽鑑賞のーと

寒い!

なんじゃあ!朝起きたら外雪積もっとるやんけ!

単車で出勤なんて自殺行為やがな…それでも気合と根性でやったけど。

まだ師走も始まったばっかなのにこんな雪積もるなんて…温暖化って嘘ねきっと。

でも今年の冬は暖房器具になんか頼らないんだから!何があっても!ヽ(`Д´)ノ


…てな訳でくじけずカラス様の音盤薦めていきましょ。

今度は少し(どころじゃないかもだが)ディープにライヴ盤です。

ライヴなら何と言っても、まずはワスもこれから入手した『椿姫』から。

これは唯一出ているスタジオ盤(現在は正規はワーナーから。53年サンティーニ指揮)が、

何ともいえないヘタレな出来でしてねえ…。

カラス様の声、指揮共重く鈍く、ライヴの精度を基準にすると正直聴くに堪えませんです。

しかも6つ残っているライヴの全曲盤は、金子みすゞじゃありませんが"みんなちがって、みんないい"という有様。

勿論音質を度外視すればの話ですがね(マトモな放送録音の音源がひとつもないんだもん)。

大きく分けると、声の力で押すメキシコ時代(51、2年)、最もカラス様らしい鋭利な印象のスカラ時代(55、6年)、

声の力の衰えを丹念な演唱で補い、スタイルを確立させた58年の2盤(リスボンとコヴェントガーデン)となるかな。

どれから買っても勿論いいですが、まずは一番入手し易い55年のスカラライヴでいいです。

これだけでも充分魅力は伝わるんですが、セカンドチョイスとしては58年のコヴェントガーデン盤を。

同じ区分ならEMIでも出てる俗に言う『リスボン・トラヴィアータ』の方が遥かに入手し易いですし、

カラス様の声の調子も良いのですが、どうもキレイに纏まりすぎな感があるのと、

何と言ってもギオーネのあのハエが止まりそうなオケ運びが頂けません!

少しでも音の良いもので聴きたい(カラス様の『椿姫』の中じゃ一番マシ)人か、クラウス好きな方以外には余り…。

逆にコヴェントガーデン盤は、かなり高音が割れていたりして安定性に欠ける声なのですが、

しかしそれがヴィオレッタの性格表現(特に3幕は見事!)に十全に活きていて、鬼気迫ります。

レッシーニョの堅実な指揮も良いですし、ヴァレッティのアルフレードだって軽すぎかも知れませんが、

これはこれで好きです。前述のとおりアルフレードってそんな重要な役とも思えんし。

あとはもう興味あるものを興味の湧いたときに興味の湧いた順に。ただ一つだけ注意しておきますが、

スカラ時代の録音は、56年の方がジュリーニの指揮とバスティアニーニのジェルパパの調子が上です。


次に『ノルマ』。何は無くとも55-56年のスカラのシーズン・オープニング盤を。これについては後述。

他にも52年コヴェントガーデン盤や55年RAIローマ放送録音なぞが名盤ですが、

間違っても買ってはいけんのが53年トリエステライヴ盤!もうとにかくカラス様のライヴ盤の中でも、

音質の悪さで一際輝くものでして。風呂場で耳当てて聴いてるみたいな音のボケっぷりに、

さしものワスも白旗を上げてしもーた苦い経験がありまして…結構これ自分の周囲にも被害者いるんよなあ…。

『メデア』もスタジオ盤がありますが(57年セラフィン指揮)、正直1幕ラスのアリアとジャゾーネとの二重唱という、

前半最大の聴き所が何ともしおしおなんで、余り高く買ってはおりません(昨日の記事に書いたアリア集で、

聴いた方が数段良い出来です)。だから、最近EMIで出た53年のスカラのものと(バーンスタイン指揮!

最も重厚な声だった時期のカラス様の熱演が光ります)、58年のダラスでのもの(10月20日の記事参照)が、

中でもひときわ出色です。この2盤とスタジオ盤の組み合わせで、ヲタ以外の方なら満足される筈。


…延長戦ですね。すまんこってす…信者モードバリバリやん。



マリア・カラス強化週間(3) ~はじめてのからすさま~

2005年12月04日 17時25分19秒 | 音楽鑑賞のーと

さてさて、日も改まりまして…

お次は更に踏み込んで、そんなカラス様のオススメCDを幾つか。


まずガチでオペラそのものに馴染みの無い方、

どうせなら最初はマトモな音質のものでカラス様の声を堪能したいと仰る方は、

当然ですが代表的なEMIのスタジオ盤から入っていかれるべきです。

モノとかステレオとか、録音状態はそんなに気を配らんでもよろしい。

時代的にそんなに変わりゃせんから。EMIの場合。寧ろモノラルの方が…(乱暴^^;)

国内版なら大抵対訳付いてるのもポイント高いっす。


とりあえず何は無くとも買っておかないとあかんのは53年サバタ盤の『トスカ』です。

もうこれは絶対!指揮、オケ、キャストどれをとっても穴、無し。

カラス様も声の状態の最良の時で、声の演技力とのバランスも申し分ないです。

2幕でのスカルピア役のゴッビとのガチンコセメント対決は鬼気迫るものが有りますし、

それを煽り立てるサバタ指揮の下のスカラのオケも非常にスリリングです。

ピッポ氏ことディ・ステーファノのカヴァラドッシの、爆発的なリリシズム溢れる歌唱もステキ。


それから56年カラヤン盤の『トロヴァトーレ』。

レオノーラという役はアジリタの必要とされる役の中でも最も重い役の一つだもんね。

声的に一番お似合いの役でしょう。『恋はばら色の翼に乗って』の夢想的な歌い回しが特に良いです。

共演者もそこそこ高水準(ピッポ氏のマンリーコの鮮烈さ!バルビエーリのアズチェーナの胆力!)だし、

カラヤンの指揮も清新でサクサクしてて好ましいです。これまた絶対外せません!


そしてカラス様が実際舞台で演じた初めての役であるサントゥッツァ。

53年セラフィン盤の『カヴァレリア・ルスティカーナ』で。

元々ハイ・メゾによって歌われるこの役も非常にカラス様向きの役であります。

役柄より少々上品ではありますが暗い情念を逆立たせてトゥリッドゥにすがりつく様は息を呑みます。

何よりピッポ氏のトゥリッドゥの泣きを利かせたやけっぱちな歌い回しが何ともこの役に相応しい!

総演奏時間も70分少々程ですし、本当にオペラは初めてなんでって人にも自信持って薦められるものです。


そんでもって64年プレートル盤の『カルメン』。

この頃既にカラス様の声は衰え、かつて程の迫力は無くなったものの、

演技に深みが極限まで増し、まさに‘歌役者’としてのカルメンを聴かせてくれます。

例えば『ハバネラ』の4回繰り返す「l’amor」を全てニュアンスを違えて歌ったその周到さが、

人によってはうるさ過ぎて鼻につくのかも知れませんが、知性も野性も兼ね備えた、

少しおどろおどろしいけど魅力的なカルメンざます。個人的にはもう少し奔放な方が好きなんだけど…。

ゲッダのホセも口当たりよく、危うさの包含具合もなかなか絶妙だし、音もそれなりにいいし。


勿論忘れちゃいけない当り役中の当り役ノルマ。

カラス様のベルカントものは余りオススメできないみたいな事を昨日の記事では書きましたがこれは別。

セラフィン指揮のスタジオ盤が2種類ありますが、このうち54年の旧盤の分はカラス様の歌がやや大味なのと、

ポリオーネとアダルジーザ(フィリッペスキとスティニャーニ)がどちらもロートルなのが痛い所です。

60年のステレオ盤を推しましょう!カラス様の歌は声自体は盛りを過ぎてやや退潮しているものの、

端正な歌唱フォルム、神秘的な歌いまわし…全てが素晴らしいです。

コレッリのポリオーネも完全に力が出し切れてないけど若々しく鮮烈。

ルートヴィヒのアダルジーザも、よくドイツ圏の歌手だから異質だとか言われてるけど、

中性的でみずみずしく、あたしゃ結構高く買ってます。


あとは57年の『マノン・レスコー』(どちらかといえばセラフィンの指揮とピッポ氏のデ・グリューを

聴く為の録音だけど…)や59年の『ジョコンダ』(一軒名歌手揃いだがまだまだブレイク前で、

貫禄等今ひとつ欠ける共演者がどうもなあ…でもカラス様の裏主題歌ともいえる『自殺!』は必聴だし)も、

オススメ盤の中に入りますかな?


アリア集から入るのもいいですが、その中では『スカラ座のマリア・カラス』『ヴェルディのヒロイン達(第一集)』

『パリのマリア・カラス(第一集)』辺りなんかが出色だと思っております。

レパートリーの落穂拾いや、別アプローチ・高音質での名唱を聴けるという意味で、

どれも初心者から上級者まで聴き親しめる名盤ですしね。

まあ『マリア・カラスの芸術』1セット買っていただくのが一番なんですが、何せ25600円もする品物ですし…。


もう少しコアな所を次回取り上げます。



マリア・カラス強化週間(2) ~手前味噌な解釈によるカラス様の歌唱についての評論モドキ~

2005年12月03日 23時13分47秒 | 音楽鑑賞のーと

昨日は会社の飲み会でした。んでもって二日酔い。

毎度毎度スジが切れるまで飲んでまうんすが、失せ物もなく凍死もせずキチンと風呂入って布団で寝れたのでホッ。

やっぱり飲み会は2次、3次と人が少なくなるにつれ楽しくなっていきますからなあ…。


んで何とか独特の倦怠感からも回復し、記事の続きを…。

カラス様の歌の超個人的な分析であります。

まず、声は…悪いです。よく"うがいしながら歌っているような"とか、

"それこそカラスの鳴き声のような"とか例えている人もいるようですが、

正直、当たらずとも遠からずでしょう。

しかし、その音色は多彩で個性的です。

やや金属質的な、類まれなる鋭利さをもった高音、

鈍い暗さを秘めた格調高い中音、

ドスの利いた腹にズッシリ重く響く低音…

自己流解釈ですが、これは俗に"カラスの3つの声"などと呼ばれております。

これらの音域により異なった個性を持つ響きを駆使し、役のあらゆる表情を活写していく訳です。

特に女性の業を歌わせてカラス様の右に出る人などいません!

…とは書ききれないところがツライけど、ほぼ最高水準であることは間違いないです。

カラス様の声は50年代中葉から60年代にかけて(ダイエットの影響とか言われてますけどそれだけじゃないでしょう)、

表現力の増加と反比例して声から‘スケール’や‘余裕’というものが少しずつ無くなっていきます。

それでまた録音年代によって適不適がでてくるものの、ハズレをつかまされることは少ないです。

単に‘楽譜に忠実に’歌うのではなく、曲の解釈を最大限に生かした上で一音一音を大事に、

微妙に音色やアクセントの強弱に色を付けて、演じる役に血を通わせていく…

確かにそうして歌われた歌は本来意図された音楽とはややかけ離れた、

演劇的な側面の強いものになってしまうのかも知れませんが、

歌われる役柄の感情をここまでストレートに表現できる歌手ってのもいませんぜダンナ。

そして音域は広く(基本的な声質はハイメゾなのに3点Fまでこなす恐るべき広さ!)、

その重いハイメゾの声質にも関わらず高音のアジリタまでこなす人もこの当時滅多にいませんでした

(というよりカラス様の時代の後半くらいから雨後のタケノコのように増えるんですけど)。

そのアジリタも、粒の整ったトリルスリリングなレガートとを両立させた、

当時ルチアやジルダなんかをレパートリーにしていた歌手では逆立ちしても到達できないような、

独特の非常にドラマティックな境地に到達した逸品なんですよこれが。

そしてその数多い特質を利用して様々な歴史に埋もれたオペラを再び舞台のレパートリーとして復活させたのです!


でもやっぱりそんなカラス様にも欠点ってあるのよね。

何かっていうと…まず、折角高水準のアジリタの技巧が備わっているにも関わらず、

"意味の無い音は歌わない"という強固なポリシーの為か(現役引退後のマスタークラスで、

『セヴィリア』の『Una voce…』を歌っていた生徒が華やかなコロラトゥーラを付けて歌おうとしたら、

その音の意味を細かく質したとまで…それだけ徹底していたんですなあ…)、

『ルチア』の狂乱の場に代表される19世紀前半の‘ベルカント・オペラ’と呼ばれる、

コロラトゥーラを散りばめた規模の大きいアリアを主柱としたオペラの役を歌うにおいて、

華やかさや高揚感に乏しく(他のソプラノの歌うそういった類のアリアよりもなんかのったりしてるし、

地味なんですよ少し聴いただけだと)、結果様式感とかけ離れ、曲の本領を発揮しきれない場合がままある点です。

こういった作品でも声の特性を生かして非常にダイナミックでリアルな歌を聴かせてくれるんですが…


次回はそんなカラス様の歌を聴く為のオススメCDでも、シコシコと紹介を…。



マリア・カラス強化週間(1) ~イントロダクション~

2005年12月02日 00時03分14秒 | 音楽鑑賞のーと

気がついたらもう師走ですねえ…。

なんか部屋の寒さと忙しさに負けてブログの更新も滞りがちになっているうちに。

でも…12月はクリスマスを中心に、色々とイベントも多い月。

かこつけて色々ネタには困らんでしょう…多分。

早速今日2日から、テメーにとっての大イベントが始まります。

そう、我らが(?)マリア・カラス様の御生誕記念日です!!!

今日"から"っつーのは

何故かってゆーと、実はカラス様の誕生日には、2日から4日まで、

色んな資料や証言からバラツキがあって、特定ができていないからなんですよ。

教会の洗礼記録や出産に立ち会った医師の証言では2日、通っていた学校の記録では3日、

そしてカラス様自身や母親の証言では4日といった具合に。

んじゃもう思い切ってこの3日間を含めた1週間程を、"マリア・カラス強化週間"にしようかと。


さて、わざわざ"様"付けしている事からもお分かりかもですが、

ワスは相当病硬膏に入りまくりのカラスファンです。

もっと昔、オペラの音盤鑑賞を趣味に仕立ての頃は、もうとにかくカラス様イズナンバーワンな、

手におえない"Callas Widow"だったもんですが、流石に今じゃあそこまで無分別ではなくなりましたがねえ…。

まあそもそも、オペラというものの刷り込みがカラス様だったものですし。


まだリアル工房だった頃、英語の塾の先生とふとした事からオペラの話になって、

そのとき俎上にあがったのがカラス様の話題。

しかも間の悪い事にその時見ていた新聞に某S潮社が今度出すオペラCDブックのシリーズの広告が…

んでその第1巻が、カラス様の『椿姫』(52年メキシコライヴ)やったんです…。

「まあなんなら買って聴いてみよう」という話の流れになって、金出し合って買ってみて…

決して美声な訳ではない、寧ろささくれだった悪声なのに、非常にドラマティックで、

ヴィオレッタという女性がもし本当に存在したら(モデルは勿論いるんですけどね)、

実際にこんな風に苦しみ、悩み、死んでいったのでは…と初心者ながらに思わされたほどの、

迫真の演唱に、音の悪さも忘れてただただ開いた口が塞がらず…

後はもうオナニー覚えたてのサルのようにエンドレスで聴きまくり…洗脳完了。

それからとゆーもの、カラス様を中心に同時代の名歌手、さらには少し前の時代の名歌手、

さらにはもっと前の名歌手の録音(後の時代にはいかんのかってツッコミは一切受け付けません)と手を広げ、

今の自分がいたりする訳なんですよ。

早いものであれからもう10年になるわあ…逆算はおやめ!


まあでも実際の話、自分みたいに誰もがいきなりカラス様の歌に満足できるかというと、

やっぱりやや疑問な所もあります。正直非常に好悪分かれる声ですもの。

今でも熱烈なファンと同じ位熱烈なアンチも多く存在している位ですし(2ちゃんにさえ粘着アンチがいるし)。

そんな訳で、今回の"マリア・カラス強化週間"の中で、カラス様の声の魅力とオススメの音盤、

さらには実際に代表的なライヴ盤の詳細な感想までご提供できればと考えております。

…自分で書いててなんだけど、今までの記事に輪をかけてクドくなりそうだわあ…


…と、カキコ終わりと思ったら…たいちょからメール…


????!!!!おばさま入院!!!!????


…倒れたのが健康診断中だったっていうのが不幸中の幸いだというものの…

………とりあえず続報を待つしか……心配…orz



とりあえず美奈子嬢はやっぱり凄かった…と。 : ミュージカル『ミス・サイゴン』(2)

2005年11月27日 18時14分10秒 | 音楽鑑賞のーと

さてさて、ハマらねーハマらねーとか言いながら、

結局オリキャス盤2周して今国内初演盤4周目聴き中の『ミス・サイゴン』。

ここらでキャストについても少し。


まずキム。

今までも何度か書いてますが、自分が今回重い腰を上げて(そこまで大層なもんじゃないけど勿論)、

このCD買おうと思ったんは、あくまで追悼という意味を込めつつ、美奈子嬢のキムをどういう形であれ、

体験しようというものだったんですから。

んで結局聴いてどうだったか…ですが…う~ん…なんっつーか…若かった。

あの『題名のない音楽会』での『命をあげよう』を聴いて、

若い割に結構スケールの大きい歌をこなす役なのねえ…と勝手に想像してたんですが、

この盤では青臭い位のストレートで生硬な発声で歌っているのでややビックリ。

年齢的な面もあるんでしょうけどねえ(そういう意味で38歳の美奈子キムも聴いてみたかった。

正直実年齢の二分の一未満の役でも充分に似合いそうに見えたし…)…。

でも…キムってハイティーンの女の子な訳なんだし…役柄からみたらこれで正解なんだろな。

何より1幕のトゥイと、2幕でのエレンとのそれぞれの対決シーンの体当りの歌い回しには痺れましたよ。

一般的なミュージカル歌唱の上での上手さとはまた違う、若さから来るパワーのようなものを、

直接耳に叩き込まれるようで、やっぱ聴いてよかったなあとひたすら満足。

対してオリキャス盤のレア・サロンガですが…

年齢からは想像もつかない堂々とした歌唱(この人確か初演当時キムと同じ年頃やったんすよね?)に驚き。

確かに上手い。若いのに声も出来てる。なのに何でしょうこの物足りなさ?

美奈子嬢のそれと較べて歌唱表現が大人しめなんですよねん。それがちょっとなあ…。

悪かあないけど、もっとアタック感が欲しいかなあと思いました。

もっとも国内初演盤はライヴでオリキャス盤はスタジオ録音だから、その違いもあるんでしょうが。

同じ土俵で聴いてみたかったなあ…。

ちなみにトップに使ったのは、前日のは美奈子嬢の、今日のはサロンガの『命をあげよう』の写真だったり。


次、エンジニア。

市村さんクドいなあ…キャラは立ってるけど、狂言回しとしての責任を果たせているかとなると疑問。

『バンコク』やら『アメリカン・ドリーム』やら、流れから浮いている場面もちらほら。

別にキャラ立ち云々は否定はせんけど、もっと下品かつダーティーなキャラにしてくれた方が、

ワス好みかなあとも。滑舌や声のトーンの問題もあるんやろけど案外品があるよに聴こえたの。

オリキャス盤のプライスは反対に、上記のショウアップ・ナンバー以外は、結構モブっちかったなあ。

狂言回しの仕事を職人的にこなしてますってカンジの、クールで小器用なエンジニア。

これについてはスタジオ盤だっていう制約を物凄く受ける役だから、これだけでの判断は避けますが、

ドラマでのアプローチという面ではプライスの方が好きだなあ…あんまり悪目立ちせんで欲しいと。


んでクリス。

断然オリキャス盤のサイモン・ボウマンの方が上!健治さん(@『渡鬼』)薄味すぎだよう…。

自分が殆ど日本人男性のミュージカル歌唱に免疫が無いからかも知れんけど、

日本人の二枚目系の役の歌唱って、みんなこんな風に声張らずに歌うの?

やからきっと『世界が終わる夜のように』が、あんな陳腐に聴こえたんやろうなあ…。

オリキャス盤で聴くと別の歌のようにステキな歌に聴こえただあよ。

ジョン役の園岡さんにせよそうやけど、美しく歌う事よりももっと力強く歌う事にも留意をして欲しかったような…

『ブイ・ドイ』がなんか異様に場違いに感じたよ…単品で聴くと感動的なんやけどさあ…。

慣れればもう少し違うのかなあ…(´・ω・`)


さらにエレンね。

エレンは国内初演盤の鈴木ほのか嬢も、オリキャス盤のクレア・ムーアも両方文句無し!

どっちも基本は理知的かつ抑制的、でも自分の意見はハッキリ持った果断な歌唱で役柄にイメージが合っている。

面白いのは、キムと対峙させてみると、ほのか嬢の方は相対的に年齢が引き下げられて、

若い女同士のガチな感情を露にした争いという面持ちが現れるのに対して、

ムーアの方は逆に相対的に年齢が引き上げられて、エレンの優位性が露骨に感じられる、

やや冷淡な対立のシーンになってしまう所ですかねえ?

これは役の解釈の違いなのかなあ?ひょっとして民族性だったりして…。


とりあえず今はこんなカンジかしらん?まだまだ未熟よなあ…

誰かツッコミプリーズ。