なんか昨日の『WSS』についての記事、予想以上にいろんな方が食いついてくれて、
正直目が点になっておりますのあたくし。いや、かなり嬉しいんですけどね。
いっつもかっつも訪れる人の読む気を失せさすようなぐだぐだした、言葉遊びのような内容の無い文ばっか、
書きなぐっておりますもので…。やっぱり色んな人が自分の文章叩き台にして、色々言ってくれるのってええなあ…。
その中の健さんのお言葉にちょっと引っかかるもの(ええ意味でね)があったあたくし。
>若い人たちは常に新しいものを求めて、
>古い時代の音楽を馬鹿にする傾向が強くて悲しくなってしまいます。
…やっぱり、そうなのかなあ…?
本当に個人的な意見なんですけんども、確かにマス媒体に必要以上に踊らされて、新奇なものにばかり、
寄っかかって飛びつく層ってのは、存在するとは思うのですが、価値観の多様化している現代社会で、
そーゆー新奇的・先鋭的なものばかりが注目を浴びるっていう事は、実はそれ程多くはないのではと、
思ってしまうのですけれど…。若者層でも古いものの魅力をキチンと分かっている人、いい意味での保守層って、
目には見えない微細な砂粒のように、あちらこちらに点在しているんじゃないかなあ?
実は今の若い子って、そういうマスメディアの氾濫で自分の拠って立つ価値観のようなものを揺さぶられているって事に、
すごく敏感になっていて、まるで株の逆張りみたいにそういったカルチャーの源流を辿って、
古いものの中にアイデンティティーを求めていこうって動きがあるような気がするんです。
勿論それは大きな流れとは言えないんでしょうけど。そしてその中で自分の世界にあったものを見つけて、
バックボーンとしてそれらを追求していく事を楽しみとして、日々を生きているような人もそこからちらほらと。
実はコレってなんかの雑誌で読んだ、某クラシック音楽評論家の論旨を勝手に解釈したもんなんですけどね。
なんか今、比較的若い層の間で、ヒストリカル録音が静かな(ガチで静かな…)ブームなんですと。
戦前や戦後すぐののライヴ録音とか。丁度NAXOSとか、あーゆー海賊盤メジャーレーベル(どーゆー言葉よ?)が、
どんどんそういった録音を製品化していっておりまして、ネットとかじゃそーゆー録音を、
積極的に扱っているオンラインショッピングのサイトが、結構増えてきているようですし。
そういった現象をその評論家が、やや否定的な見解で上記のような文をその雑誌に寄せていたんですが…
実際、新しいものに魅力を感じる事が出来なければ、
古いものに惹かれていくのは当然の事だろうし。
自分で情報を集める事が幾らでもできるようになった社会なんだから、こういったものに金脈を見出す人間も、
そりゃ出てくるのは自明の理でしょうしねえ。
翻って自分はどうかというと、半分は貧しい田舎者のルサンチマンから始まったものなんですよ。
オペラに興味がある、ミュージカルに興味がある。でも生は距離的・金銭的な制約があって、
体験する事が不可能、もしくは体験する事が出来ても中途半端なものでしかない…。
ならどうするか?記録媒体に頼るしかない。まずCDを買おう。ビデオを借りよう。エアチェックに励もう…。
そういった所から専門誌・ネットの情報なんかで、自分の体験に照らし合わせて行って、
好きなもの・嫌いなものを取捨選択していく。すると何故か新しいものよりも、
古いものの方に興味が集中していくのが分かっていって、それからはもう、自分の専攻範囲を細分化し、
狭く深くでまずはどんどんその世界に没入していく。勿論時には情報のおこぼれ、枝分かれから、
裾野を広げていく事もあるんですが、結構それってエネルギーを使うんですよね。
なんかこう、いつの間にか固定観念のバリアがしっかりと構築されていくのが分かるんですよ。
なんかなあ、"新しいもの=軽薄短小"という、ステロタイプなイメージに逆に呪縛されて、
新しいものの良さを受け入れられない自分がいるんですよねえきっと。実際にそれらのものを、
同じ時代の息吹の中、生で感じた訳ではないのに。いや、そうでないから余計に、必要以上に古いものを崇拝し、
新しいものを白眼視する傾向があるのかも知れない。某国の反日教育と同じように、
体験したもの(=者・物)の見解が尾ひれを伴って拡大再生産され、
実物とは似ても似付かぬ巨大な怪物に変化していっているのかも知れない。
でもそれなら、今自分が目にしている、耳にしている、これらの記録媒体の、何にも替え難い素晴らしい輝きは一体何なんだろう…?
…う~ん…分からなくなってきました…。
つーか、好き嫌いで判断してよくね?って、割り切って考えるのが一番なんですけどねえ…。
あかん、自分で何書いとんのか全然わかりゃん…orz