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女工○史

貧乏女工ミミの、デムパでイタタでグダグダな"感性の備忘録"

彼女は何処から来て、何処へ往くのか? : オペラ『椿姫』(2)

2005年10月10日 21時13分42秒 | 音楽鑑賞のーと

相変わらず"のまネコ問題"、揉め続けているようです。

なんでも件の殺人予告の犯人が2chの該当スレに出現して、

自分がAVEX側の人間で、あのカキコは松浦社長の指示でやったことと、

AVEX側のジサク(・∀・)ジエーンをゲロりやがったそうで…。

今日未明頃はもう該当スレは祭り状態やったみたいっすね(今はどうやら沈静化)。

まあ、トリップが同じだったって事以外確実性の根拠は無いんで、

そこまで蜂の巣をつついたように騒ぐのもどうかと思いつつ。

漏れてる可能性があるし、カキコ自体愉快犯の自作自演臭いみたいだし。

なんかヘタしたらAVEX側の撹乱戦術の臭いまでするし…。

でも…


乗り遅れたのが悔しい…orz


…のでとっとと本題入ります。


話の筋の詳細について考えよう。って所で話は止まってたと思いますが、

いきなり結論から話すようで恐縮ですが、何よりこの作品のキモは、1幕ラストのヴィオレッタの大アリア、

『ああ、そはかの人か~花から花へ』にあるのです!

この中で、ヴィオレッタの包み隠さぬ真情はおろか、彼女の運命、そしてこの話がどのような末路を辿るかまで、

全てが語られているのです。それまでのサロンでの出来事は全てこのアリアの前座。

有名な割に単なる賑やかしに過ぎない『乾杯の歌』は勿論ですが、

アルフレードとの二重唱にしたって、緩慢な3拍子のメロディーの中での語らいは、

宴の席のことで済まそうとするヴィオレッタの受け流しの軽口のせいで、変に上っすべりです。

椿の花を渡してアフターの約束をしたのも、単に出来心から来る恩寵に過ぎません。

サロンの中で人々の賛美を一身に受けるヴィオレッタは、心の無い自動人形に過ぎないのです。


そしてその自動人形が心を取り戻すのは、宴が終わって独り灯りの消えたサロンに取り残されてから。

頭の中で反芻されるアルフレードの愛の言葉に動揺するヴィオレッタ。

今まで聞いた事の無い熱を持ったその言葉に揺り動かされた彼女は、ある思いに駆られます。

いっそ、何もかも捨てて男の愛に身を委ねてみようか?

思いは夢想を呼び、彼女は一瞬、美しい愛の世界に想像の翼を広げていきます…


しかし一瞬の沈黙の後、夢から覚めたように彼女は叫びます。


「ばかげたこと!」

そしてついさきまでの夢想に心躍らせた自分を罵倒するのです。虚ろな闇に向かって。

お前はパリという砂漠に打ち捨てられた卑しい女。

求めても得られぬものを欲して何になるのだ?

お前の行く道はただ一つ、快楽の中で尾羽打ち枯らして孤独の中で死ぬ事のみ!

強迫観念のように彼女は寒々しい部屋に目を見開き、そうまくしたてます。

それが運命だと言い聞かせるヴィオレッタ…

ところがそこで、彼女のアパルトマンの窓の下から、アルフレードの愛の歌が聞こえてくるのです。

始めのうちは一笑に伏す彼女。

ところが段々と、その熱の篭った声が、彼女の心の中から平常心を失わせ…

愛の夢と享楽の現実、悪魔の囁きに心を千々に乱され、どちらにも身を置き得ず、

ついに彼女の心は葛藤に耐え切れず、胸を張り裂くような悲鳴をあげるのです!

「ああ!ああ!私の思いを…!」


ちょっと聴いただけだと非常に華やかなこのアリア。

しかし描き出す世界は余りに残酷で、血の涙を流して苦しむ一人の女の素の心が、

痛い位に聴き手に伝わってきます。

そしてここで示された葛藤は、場が進むにつれ拡大再生産され、

ヴィオレッタの幸薄い運命に、更なる不幸の味付けをしていくのです…


…が、それはまた次にさして下さい。毎回毎回すんませんの。



叩き台がベタですんませんが…何分好きなもので。 : オペラ『椿姫』(1)

2005年10月09日 23時41分12秒 | 音楽鑑賞のーと
…朝から、"プチ断食"中で腹減りまくりっす…。

おかゆとダイエット用ビスケットとコンニャクゼリーと豆乳と野菜ジュース、これ以外のものは口にしてません。

結構食っとるやんって?ほっといて!


さてさて、『椿姫』強化週間、お次はオペラ版です。


言わずと知れたイタリア・オペラの御大ジュゼッペ・ヴェルディの(巷間いわれる所の)代表作、

それどころかオペラの代名詞的なものとして語られることも多く、

元の小説版よりも知名度が大だったりもするのですが…


正直これ、結構難物な作品や思うんですわ。

恐らく小説版と同じく、一見すると普遍的なメロドラマっぽいノリだし、お涙頂戴的な部分も分かり易く、

舞台立ても華やかだし…と、とっつき易そうなイメージはあるんですよね。

でも、そーゆー表層的な部分を一枚めくるとその裏には…

社会に対し陰鬱な目を向ける、凄絶な一人称の心理劇という

パンドラボックスの中身もかくやの暗澹とした正体が、眠っているような気がするんですよ。

小説版のぐだぐだ語りの中でとりこぼしてしまいましたが、元の作者のデュマ・フィス自体、

後に婦人問題や廃娼運動に積極的に拘った、社会派作家としてみられておりますし、

ヴェルディ自身もこの題材を、"革新的な現代劇"として料理しようとした意図がありありと見られます。

その為に(オペラ的に)余計な修飾を取り払い、ヴィオレッタ(マルグリット)の内面性をとことん追求して純化させ、

出来上がったのがオペラ『La Traviata("道を踏み外した女"の意)』な訳なんですよ!

まあその辺のうんたらかんたらは、後程ゆっくりと…。



採り上げましたる録音は、EMIのジュリーニ指揮の55年スカラ座ライヴ盤…てか、

カラスの『椿姫』のいっちゃん有名なヤツ。

とでもゆーた方が(反発もありましょうが)ハッキリ言って分かり易いかもね(w

自分最初に聴いたオペラの全曲録音がカラス様のこの曲だったせいか、

未だに完全マンセー状態でちょくちょく聴いております。

細かい演技等を抜き出してみたら58年のコヴェントガーデンライヴの方が上なんですが、

ドラマに対するアプローチが、自分的によりヴィオレッタらしくて、こっちの方が好きなんですよ。


自らの運命を悟り抗えず、

閉ざされた世界で苦しみの声をあげ続ける女。

愛を禁じられているが故に愛に飢え、

際限の無い自問自答の末、

恨みと諦め、孤独と欺瞞の中で死を迎える女…。


…そういったイメージが、カラス様の歌い演じるヴィオレッタ、

そしてまたヴィオレッタ・ヴァレリーという存在自体にあったりします。

あの喉から絞り出すかのような、捨て台詞の一つに到るまで計算された悲劇的表現、暗めの声の調子、

そして耳を突き刺す悲鳴のようなアジリタが、ヴィオレッタをとりまく酷薄な世界を、

魔鏡のように映し出すのです…。


…いかん。腹が減りすぎて筆がのらん!

丁度文章の区切りとしてもよさげだし、今日はここまで。

次回から、どんな話なんかさらいつつ、曲と盤についての感想を並行して書きましょ。



勝手にエディット・ピアフ讃

2005年10月08日 23時45分16秒 | 音楽鑑賞のーと

ちょっと奥さん(誰?)、聞きましたぁ?

来年の某大河の元セレブ杉田の代役、三原じゅん子なんですって!?

アタシあの人の時代劇って20年以上も前の関テレ新版の『大奥』の千姫役位しか知らないわ!

色んな意味で心配だわあ…ついでにコアラが今何してるかも。


少し話題を変えて…

前述の昨日の長電話で、光たんとイレーン・ペイジ姐さんの『ピアフ』の話でかなり盛り上がったんですが、

向こうがモロそれならこっちはモノホンをって事で、EMIから出てるピアフ様のベスト盤を引っ張り出して来ますた。


実は昔日テレ系の日曜夜9時にやってた、関口宏司会の某番組が、ピアフ様との初めての出会いやったんですが、

当時からすっかりヲカマ志向だったワスのハートの琴線に触れたのでしょう、

小学校で使ってた音楽の副読本の歌集にあった『愛の賛歌』を、

ピアフ様を気取ってるつもりだったんでしょうか、ワザと口をひねさせ声を荒げて歌ってたのを思い出します。


ガチでCD買って聴きだしたのは、大学入って少しはマトモにCDの買える街に出てから。

いや~、ハマりました!

一見アザミかイラクサのような刺々しい荒い声で、なんか場末臭い雰囲気(あたしゃ好きなんですけどね)ですが、

歌の調子の硬軟強弱の想像を絶する自在さと、歌を"語る"ことの強烈な説得力が、

磁石のように一気に耳を歌の世界に引き込んでいきます。

歌がそのまんま彼女の顔と声でメッセージを語りかけてくる、

そんなイメージ。

語られる歌の世界も多士勢々。時には気さくに語りかけるように。時にはフル・スロットルで…。

歌詞や曲自体の良さもあいまってか、アルバムとしてまとめて聴くと、

短くても完成された私小説を立て続けに読んでいるような
感覚です。


ワス的には、『私の神様(Mon Dieu)』という曲が一番好きです。

病床での切なる祈りが、感情の高まりと共に、いつしか喉から血を吐くような絶祷(造語です^^ゞ)と

化していくんですよ!


"神よ、彼をとりあげないでください。

一日でも、二日でもいい。

もし私が間違っているとしても、もう少し時間をください!"


…丁度『椿姫』強化週間なだけに、歌の内容がマルグリットとオーバーラップして、胸を打ちます。

実際これを歌っていた当時のピアフ様も、酒やらクスリやら交通事故の後遺症やら何やらかんやらで

体はすっかりボロボロの状態やったっつーから余計にねえ…。


視界の切り替えが激しいので、全部一気に聴くと思いっきり"歌酔い"してしまいますが、

それも秋の夜長には丁度良いでしょう。


さて、もっぺん最初っからかけよ…。