GreenPauseの風便り

ハーブ&アロマテラピーの魅力にぞっこんはまってしまった薬剤師が、植物の不可思議な世界の扉を開いていきます!!!

ボケるということ

2020-04-19 10:09:00 | 介護日記
写真は、羽田に向かう飛行機の中から撮影したものです。

この幻想的で美しい夕焼けを、私は、年に数回、切ない想いで眺めています。

というのは、ここ数年、認知症になった実家の母の介護の手伝いのため、

九州に帰省しているからです。

母は、弟が一人で介護しているのですが、それでも時々不安になるらしく、

私の所に、時々、電話をしてきます。

「どうしよう。ボケてしまったみたいなの。何が何だかわからないの。

私は、どうしたらいいの? 何をすればいいの? どうしよう…。」

弟は、外出しているのでしょう。

ひとりぼっちで、心細くなると、よく私に電話をかけてきます。

今、昼なのか夜なのか、わからない。

これから何をすれば良いのか、さっぱりわからない。

半泣きになって、電話をかけてきた母の悲痛な叫びが、私の胸をえぐります。

瀬戸内寂聴さんが法話で言っていました。

「ボケるなら完全にボケたほうがいい。中途半端にボケるから苦しむんです」

数年前に亡くなった義母は、大腿骨骨折をして2ヶ月入院し、

退院して自宅に戻ってきたときは、石鹸をお菓子と間違えてかじるほど、

完全にボケていました。

だから、認知症になった自分に苦しむことは無かった。

けど、実家の母は、徐々に失われていく自分に、恐怖を感じ、苦しんでいるのです。

なんと切ないことでしょう。恐ろしいことでしょう。

認知症の症状は、人それぞれ。

義母は、アルツハイマー型認知症。

母は、レビー小体型認知症。

症状も異なります。

それでも、私にできることは同じ。

温かく語りかけて、安心させることです。

「お母さん、今は朝9時よ。朝ごはん食べた? 」

「ううん。わからないけど、支度がしてあるみたい」

「じゃあね。まず、その朝ごはんを食べようね。ゆっくり食べてね。

食べ終わったら、歯磨きするのよ。それで、またわからなくなったら、

私に電話してね。」

「うん。わかった。朝ごはんを食べるね。」

電話を切った後、母は、私への電話のかけ方(短縮ボタン)をいつまで

覚えていてくれるだろうかと、また切なくなった。

義母の時は、完全に介護する立場でしか考えなかったが、

実家の母を見る時、将来の自分を重ね合わせてしまう。

果たして、私は、次第に自分が失われていく恐怖に耐えられるだろうか。

「過去を振り返らない。将来を思い煩わない。」

目の前の一つ一つに、精一杯心を尽くして行こう。

介護の秘訣。

いや、幸せに生きていく秘訣なのです。









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ある看護師さんの話

2017-09-18 11:22:59 | 介護日記


写真は、祖母が薬草として育てていたゲンノショウコ


私は、もう、介護生活を引退いたしましたが、書きのこしたことが、まだいくつかあります。

今、介護されている方々、これから介護される方々のために、

かつて、私を勇気付け、励ましてくれたエピソードを少しづつ、お話ししていきましょう。


私の大好きな祖母にまつわる心温まる話です。

当時、祖母は、90代。

ギリギリまで畑仕事を行い、高知の山奥で一人暮らしで頑張っていた祖母も、

よる年波には勝てず、とうとう寝たきりになり、入院生活を送ることになりました。

トイレに立つこともできません。

当然、オムツのお世話にならなくてはいけないのですが、祖母は「恥ずかしい」、

「申し訳ない」という想いが強くて、なかなか看護師さんにお願いできません。

そりゃそうでしょう。私だって、抵抗ありますもの。

そんなとき、あるベテラン看護師さんが、こんなことを言ったそうです。

「ねえ、鹿居さん。もし、私が病気して起きられなくなったら、私のおしもの世話をしてくれる?」

祖母(鹿居さん)「かまんよ。やすいことよ。」土佐弁の翻訳(いいよ。お安い御用よ)

「それじゃ、今日は、私が鹿居さんのお世話をさせてもらっていい?」

祖母「…。お願いします」

このちょっとしたエピソードに、私は心打たれました。

看護師さんの細やかな、優しい心づかい。

そして、少し認知症も入っていたにも関わらず、「やすいことよ」と、他人のおしもの

の世話の依頼を即答で引き受けた祖母の優しさ。

いつまでもいつまでも、私の心を温め、心地よい余韻を残してくれました。
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皆様のおかげで・・・。

2010-08-21 23:17:48 | 介護日記
待機されている方が多く、1~3カ月待ちは当たり前と言われるほど難しい施設入所ですが、ケアマネさんや入院先のソーシャルワーカーさんのご尽力で、
8月初旬、ばあちゃんを近くの介護老人保健施設に無事、入所させることができました。

天のお導きとした思えないような奇跡のタイミングで可能になった入所です。

皆様、本当にありがとうございました。

サロンのお客様にも、さまざまなご支援を頂きました。

寝たきり状態のばあちゃんをどうやって介護したらよいのか、途方に暮れていたときに、

看護士のあるお客様は、お忙しい中、2日間も来てくださって、手取り足とり、丁寧に介護方法をご指導くださいました。

あるお客様は、関東一円にある老人介護施設の一覧表が掲載されている本を

わざわざ図書館から借りてきてくださり、「とにかく電話をかけまくるのよ」と大いに励ましてくださいました。

またお菓子を届けてくださったり、お野菜をたくさん届けてくださったお客様、

心のこもった励ましの数々のメールやコメントをくださるお客様。

そうしたたくさんの方々の温かい真心に、どれほど元気と勇気を頂いたかわかりません。

サロンをやっていて良かった・・・・。

グリーンパウゼには、こんなに素敵なお客様がたくさんいる。

苦しい時だからこそ、優しさが心に深く響きます。

皆様、本当に本当にありがとうございました。

この場を借りて、深くお礼申し上げます。


ナチュラルケアサロン「グリーンパウゼ」











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ばあちゃんが寝たきりに!! 

2010-07-23 17:45:10 | 介護日記
ばあちゃんが、突然、寝たきりになってしまいました。

2週間ほど前のことです。

ショートステイ先から「強い腰痛が起きているので、病院受診をお願いしたい」との連絡があり、予定を早めて帰宅したのです。

スタスタと元気に歩いて出かけて行ったのに、車イスで帰ってきたばあちゃん。

これまで、肋間神経痛や肩の痛みや足の痛みを訴えたことはありましたが、

腰痛の経験はありません。

いったい、ばあちゃんに何が起きたのでしょうか?

でも認知症のばあちゃんに説明能力はありません。

そのまま、車に乗せて、近くの整形外科病院を受診しました。

延々と待つこと3時間、それから診察、レントゲン撮影、点滴、受診に要した時間、2時間で、合計5時間。

待ち時間の間、車イスで「痛い痛い」と訴えるばあちゃんを必死でなだめながら、事情を説明。

でもばあちゃんは認知症だから、何度説明しても、事態を理解できないのです。

(ふー、参ったなあ。やれやれ・・・)

ようやく診察の順番が回ってきて、ほっとしていると、

「それでは、診察ベッドに寝かせてください。」

な、な、なんと、

病院では、ばあちゃんをベッドに寝かせる時に、誰も手伝ってくれないのです。

(エエーーーッ!! こんなに痛がっているのに、看護士さんではなく、
私がやるの?????)

心底、驚きました。

必死で、ばあちゃんを車イスから立たせ、ベッドに寝かせました。

レントゲン撮影のときも、点滴を打つためにベッドに寝かせる時も・・・・です。

病院って、こんなんだったっけ・・・・??? 

検査の結果、医師から告げられた内容は、

「骨粗鬆症のため、骨はぼろぼろ。軟骨のすり減りや側わん症やらてんこ盛りで、いつ腰痛が起こっても不思議はない状態。本人が認知症であるため、
原因を特定できない。92歳という高齢だから、積極的な治療もできない。とりあえず鎮痛剤と湿布を処方しましょう。2週間後に来てください」とのことでした。

(エエ?? このままの状態で自宅に帰れ?と言うの? 

ばあちゃんを放り出すの???)

「残念ながら、うちに入院施設はないんですよ。」

「どこか、入院させてくれる病院を紹介して頂けないんですか?」

「今は、どこも空いていないと思いますよ。」

途方にくれながら、痛がるばあちゃんを必死で支えながら、自宅に連れて帰りました。

そして、ばあちゃんは、それっきり、ベッドから起き上がることができなくなりました。

ああ、そうか・・・・。

これが、医療崩壊の現実なのか・・・・。

壊滅的に不足している医師や病院数。

一昔前なら、こんな状態の老人は、当たり前に入院していたはずです。

目の当たりに体験してしまった・・・。

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びっくりしたなあ!!

2010-04-28 20:29:06 | 介護日記
最近、ばあちゃんは、夜中に家の中で徘徊する。

真っ暗やみの中を、台所までやってきて、電気をつけると、

あっちをがさごそ、こっちをがさごそ、探し物をするのである。

台所の隣で寝ている私は、その度にびくっとして、起こされるから

たまったものではない。

でも、毎回、起きてって注意するのは、しんどいので、大抵、放っておくことにしている。

そういうことだから、ばあちゃんは、台所で宝物を見つけると、いそいそ部屋に持ち帰って、楽しんでいるようである。

これまでの戦利品は、ミカン(いつぞやは、3個いっぺんに食べていた)、トマト、あんぱん、和菓子、

私の割烹着やセーターなどなど。

だから、台所には極力、ばあちゃんの好物などは置かないようにしているのだが。

昨夜は、なんだかいやな予感がしたので、見に行ってみると、

テーブルに置いてあった私の老眼鏡をかけ、

え~~と、その、あの、ばあちゃんは、すでに自分のメガネをはめているので、

つまり、二重にメガネをかけ、

バナナを前にして、途方にくれていた。

たぶん、バナナを見つけて食べようと思ったけど、

二つメガネをかけているので、焦点が合わなくなって、困っていたのだろう。

……絶句。

朝になって、主人に話すと、「へーー、おもしろいなあー」と一言。

ったくー、人の苦労も知らないで。

なんか、むかつく。








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世の中にたった一人でも・・・。

2010-02-26 21:15:51 | 介護日記
長い人生、生きていると、どんな人でも試練にさらされる時があります。

そして残念ながら、その試練は、どんなにつらいものであっても、自分で乗り越えていくしかありません。

試練は、他の人に代わってもらうことはできないものだからです。

試練は、人を成長させるために天から与えられる修行だから・・・。

でも、同じ試練を受けるにしても、誰か、そばにいて励ましてくれる人がいるかいないかでは、全く、つらさが違ってくるから不思議です。

世の中に、一人でもいい。

自分の苦労を心底わかってくれる人がいると、人は頑張れるような気がします。


先日、ばあちゃんが、トイレでウンチを失敗してしまいました。

トイレを覗いてみたら、ばあちゃんはウンチまみれになっていました。

間に合わずに、便座やズボンを汚してしまったのを、自分でなんとか片付けようとしたのでしょう。

ウンチまみれの手で、あちこち、べたべた触っていたので、それはもう本当にひどい状態になっていました。

「困ったなー」「困ったなー」と途方にくれているばあちゃんを、
「大丈夫大丈夫。このまま、お風呂に行こうね。すぐきれいになるからね。」と言って、
お風呂場に連れていきました。

当然、私もウンチまみれになりました。

大変なことになっていましたが、一番かわいそうなのは、切ない想いをしているばあちゃんです。

そして、すべてはばあちゃんのせいではないのです。

こういうときは、ばあちゃんの心を守るために、できるだけ、優しく対応しなくてはなりません。

ばあちゃんの服を脱がせ、全身をシャワーで流し、石けんでごしごし洗って、きれいにしました。

バスタオルで拭いて、新しい下着と洋服に着替えさせ、ストーブの前に連れていきました。

清潔になって、落ち着いたばあちゃんは、ストーブの前で、気持ち良さそうにくつろいでいました。

なんでもすぐ、忘れてしまうばあちゃんは幸せです。

でも私の戦争は、それから始ったのでした。

今度は、私自身をきれいにしなくてはなりません。

汚れた服を脱ぎ、シャワーを浴びて、着替えたら、まずトイレ掃除。

汚れた手でべたべた触っているので、扉から壁から、床まで、大掃除。

それから、トイレからお風呂場に通じる廊下と部屋のあちこちに、汚れがついているので、

雑巾と精油入りアルコールクエン酸水を片手に、ごしごし拭きそうじ。

そして洗面所と風呂場を大掃除。

なかなか臭いが取れないので、何度も何度もチェックしながら掃除を繰り返しました。

そして、今度は汚れものの大量洗たく。

結局、すべてが片付くのに、ほとんど一日かかりました。

夜には、どっと疲れが出ました。

しかも、きれいになっているはずなのに、いつまでも自分に臭いがついているような錯覚に陥ってしまう。

介護とは、本当に大変なことだとつくづく感じました。

けど、私は、体はくたくたになっているのに、心は少しも疲れていないのです。

普通だったら、「どうして、私はこんな目に会うの?」なんて、落ち込んでいたかもしれません。

実際、本当に大変な作業をこなしたのですから・・・。

けど、心は、さわやかでした。

なんだか、ばあちゃんを守ってあげたような充実感と優しい気持ちに包まれたからです。

何故でしょう?

実は、この一連のようすを、そばで、私の母がじっと見守ってくれていたからです。

母は、足が不自由で、私を助けたくても、何も手伝うことはできない。

けど、私の母は、ただじっと見守ってくれて、

「大変だね。よく頑張ってるね。感心だね。あなたは偉いね。」

と、ずっと、私を励ましてくれていたのです。

「どんなに大変でも、わかってくれる人がいる」というのは、

本当にありがたいことです。

勇気をもらえるものなのですね。

私の母は、もう、九州に帰ってしまったので、また介護は孤独の闘いになりました。

けれど、今度は、サロンに来られるお客様と、想いを分かち合いたいと思います。


グリーンパウゼでは、在宅で介護をされている女性を対象に、

火曜日限定サービスを行っています。

介護で苦労されているみなさん。

あなたは、一人ではありませんよ。

世の中で、介護の苦労を分かち合える人がいるだけで、元気がでてくるものです。

私といっしょにがんばっていきませんか?

もし、介護で、心も体もくたくたに疲れていたら、ぜひ、グリーンパウゼにご来店ください。

火曜限定サービスについては、

グリーンパウゼのホームページをご覧くださいませ。









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悪い予想はしないこと

2009-12-15 14:00:59 | 介護日記
そういえば、うちのばあちゃんは、認知症になる前に、

「ボケたらいやだなー。ボケたらどうしよう。」といつも言っていました。

そんなとき、私はいつも、
「ボケたら、本人は楽だからいいじゃないですか。困るのはこっち。」
「迷惑かけたくないから、ボケたくないの。」
「まあ、こればっかりは、天の思し召しだから、仕方ないんじゃないの。」
「でも、ボケたくないなあ」
「別に、ボケてもいいけど、その場合は、いいボケ方してね。」
「どういうこと?」
「お金取ったでしょう? とか、ご飯食べさせてもらってないとか、言うようないやなボケ方しないでよね。
ボケたら、その人の本心が現れちゃう可能性がでてくるんだから、欲深くなっちゃだめよ」
「うふふ。」

・・・・というようなことをしょっちゅう言っていたせいか、
おばあちゃんは見事に、いつもニコニコ素敵にボケてくれました。

万が一、ボケちゃっても、人に愛されるようでありたいですね。
私の祖母は、本当に観音さまみたいになって、自分を忘れていきました。
元々、観音さまみたいに優しい人でしたから、
認知症になっても、家族や親せき、病院の同室の人、看護師さんたちから
愛されていましたね。

わたしも、かくありたい!!って、・・・・????
いやいや、そういうことを言いたかったんじゃなくて、

そもそも、「ボケたくないな。ボケたくないな」といつも思っていると、
本当に、ボケを招いてしまうので、心配しないようにしましょうと言いたかったんです。

いつもいつも悪いことを考えていると、本当にそのわるいことを引き寄せちゃうんですって。

私の知り合いのお母様も、「年を取って人に迷惑をかけるような状態になりたくないなあ」と
いつも言っていたら、本当にそうなっちゃった。

どう年を取っていくかは、天の思し召しと自分の養生にかかっています。
「ま、なるようになるさ」と自分の全てを天にお任せしつつ、
心身の健康に気をつけるようにしていくことが大事ですね。

だから、「死ぬまで、凛として、素敵な女性でいよう!」って思っている方が良さそうですよ。



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ばあちゃんの飛んじゃってる世界

2009-12-12 09:40:16 | 介護日記
ばあちゃんはトイレが長い。
半端なく長い。

20分や30分は当たり前。時には1時間半も入っている。

扉の奥で何をやっているかは誰にもわからない。
けど、予想はつく。

後でトイレをのぞいてみると、
小さく折りたたんだトイレットペーパーが積んであるからだ。
そっかーー、ばあちゃんは、お仕事しているんだ~~~。

でも・・・・、それにしては滞在時間が長すぎる。
残りの時間は、瞑想しているか、エプロンのぽっけのゴミをつまみだしているか、
ズボンの毛玉を取っているにちがいない。

しかし、家族はたまったものではない。

「ばあちゃん!!! 早く出て! いつまで入っているの!」
「うん。今すぐ出るよ」

・・・・・・

「ばあちゃん、早く出て!! もう20分入っているよ。」
「すぐ出るよ。」

・・・・・・

「ばあちゃん!!!! いいかげんに出てよ。もう30分入ってるよ。」
「ふん。今、入ったばかりなのに。うるさいんだから・・・・」
「ウッキー!!!」
・・・・という具合。

ばあちゃんにはかなわない。
ばあちゃんは、我々とは別の世界で生きている。

教えなくても、鳥が海を渡り、くもが巣をはり、ネコたちが恋の季節を迎えるように、ばあちゃんは、自然のなすままに自分を超えて悠々と生きている。

そう考えると、忙しくバタバタ日常を過ごしている私たちと、
のんびり生きているばあちゃんのどちらがいいのかわからなくなってくる。

現代人は、だんだん自然から逆行する生活になってきたから、
多くのものを失い、深刻な問題を抱えるようになったのだから・・・。

ばあちゃんのこの世界は、静かに守っていってあげよう。
ばあちゃんの体のリズムは、途方もなくゆっくりで、我々とはまるで違うのだから、ばあちゃんが現代の忙しい世界についていくのは無理なのだ。

とはいえ、ばあちゃんの世界と現代の世界の橋渡しをする私の苦労は絶えない。

とにかく、自分を精一杯、守っていこう!!
ばあちゃんより先に、私が倒れては元も子もないのだから・・・。

ちなみに、この画像は、トイレ脇の照明。
今回の話題に、ちょっとは関係するよね。

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清水由貴子さんの死を悼む

2009-04-23 17:42:43 | 介護日記
同じ介護を行う者の一人として、

清水由貴子さんのご冥福を心から祈ります。

画像は、芝桜。
この美しい花を、捧げます。

たった一人で、すべてを背負い、精一杯、お母様に尽くされ、
どんなにか、大変だったことでしょう。
どんなにか心細く、おつらかったことでしょう。

そのご苦労を想うと、胸がいっぱいになります。
同じ介護地獄に陥ったことがあるから・・。

介護の苦しさは、経験したことがない人には理解できないかもしれない。
自分の足もとがガラガラ崩れていくような不安と恐怖、
自分の中の大切なものが、強制的にそぎ落とされていく喪失感と痛み

でも・・・、
それでも、清水由貴子さんには生きていてもらいたかった。

親より先に死ぬのは、最大の親不孝だから・・・・。

介護には、実は、光の部分もあるということを知って、
多くの方々に、勇気を与える存在であってほしかった・・・。

清水由貴子さんのご冥福を心から祈ります。    合掌


「グリーンパウゼ」は、介護をする方々や、子育てに苦労されている方々の強い味方でありたいと心から願います。

人が背負える重さには、限りがあります。
時には、どこかで開放されて、本当の強い自分を取り戻すひとときが必要です。

自分の限界を知ることが、まず一歩。

自分の心身を大切にする方法を学ぶことが、次の一歩。

















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ばあちゃんと猫

2008-11-12 22:03:03 | 介護日記
ばあちゃんは、猫が大嫌い。

ある日、デイケアから帰ってきたばあちゃんは、うちの塀の上に猫がいるのを発見。
私がかわいがっている子にゃんこですが、ばあちゃんは知りません。

「こら!!! こら!!!」
と持っていた杖で、猫をつつきます。

最初、遊んでもらっていると勘違いしていた子にゃんこは、杖でたまを取っていましたが、ばあちゃんは容赦なく、杖でつっつきます。

かわいそうな子にゃんこ。
ついに、杖で突き落とされてしまいました。ぎゃ!!!

猫の天敵、それはばあちゃん!!!!

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