写真は、羽田に向かう飛行機の中から撮影したものです。
この幻想的で美しい夕焼けを、私は、年に数回、切ない想いで眺めています。
というのは、ここ数年、認知症になった実家の母の介護の手伝いのため、
九州に帰省しているからです。
母は、弟が一人で介護しているのですが、それでも時々不安になるらしく、
私の所に、時々、電話をしてきます。
「どうしよう。ボケてしまったみたいなの。何が何だかわからないの。
私は、どうしたらいいの? 何をすればいいの? どうしよう…。」
弟は、外出しているのでしょう。
ひとりぼっちで、心細くなると、よく私に電話をかけてきます。
今、昼なのか夜なのか、わからない。
これから何をすれば良いのか、さっぱりわからない。
半泣きになって、電話をかけてきた母の悲痛な叫びが、私の胸をえぐります。
瀬戸内寂聴さんが法話で言っていました。
「ボケるなら完全にボケたほうがいい。中途半端にボケるから苦しむんです」
数年前に亡くなった義母は、大腿骨骨折をして2ヶ月入院し、
退院して自宅に戻ってきたときは、石鹸をお菓子と間違えてかじるほど、
完全にボケていました。
だから、認知症になった自分に苦しむことは無かった。
けど、実家の母は、徐々に失われていく自分に、恐怖を感じ、苦しんでいるのです。
なんと切ないことでしょう。恐ろしいことでしょう。
認知症の症状は、人それぞれ。
義母は、アルツハイマー型認知症。
母は、レビー小体型認知症。
症状も異なります。
それでも、私にできることは同じ。
温かく語りかけて、安心させることです。
「お母さん、今は朝9時よ。朝ごはん食べた? 」
「ううん。わからないけど、支度がしてあるみたい」
「じゃあね。まず、その朝ごはんを食べようね。ゆっくり食べてね。
食べ終わったら、歯磨きするのよ。それで、またわからなくなったら、
私に電話してね。」
「うん。わかった。朝ごはんを食べるね。」
電話を切った後、母は、私への電話のかけ方(短縮ボタン)をいつまで
覚えていてくれるだろうかと、また切なくなった。
義母の時は、完全に介護する立場でしか考えなかったが、
実家の母を見る時、将来の自分を重ね合わせてしまう。
果たして、私は、次第に自分が失われていく恐怖に耐えられるだろうか。
「過去を振り返らない。将来を思い煩わない。」
目の前の一つ一つに、精一杯心を尽くして行こう。
介護の秘訣。
いや、幸せに生きていく秘訣なのです。