それは20年程前の僕がまだ高校生の時の話だ。
蒸し暑い夏の夜の出来事。
その日僕達兄弟は、兄と僕と妹で夜中の二時くらいに
カブト虫を採りに山に行った。
両親が寝静まったのを見計らい、
夜中に懐中電灯とダンボール箱を持って
兄の車でカブト虫を採りにこっそりと出かけた。
そこにはポイントとなるクヌギの木が何箇所かあって、
ポイント間は車で移動し降りて森に入っては捕まえて、
また移動してという流れを繰り返すだけ。
山は、夜蝉の声が疎らに聞こえ、
外灯一つなく暗闇に覆われている。
だからか、ふとした瞬間に昼に見た怪奇番組を思い出し、
急に怖くなったりもするんだけど、
懐中電灯でポイントの木を照らし、
カブト虫がいた時の興奮を味わってたら、
そんなことは知らないうちに忘れている。
この日もいつもと変わらなく、
山の麓に車を停めて、兄は軽快に山中へ消えて行った。
僕もまた当時小学生の妹の手を取り、
先行く兄の懐中電灯の明かりの後を追うように山に入って行った。
深く行くに連れ闇も深くなり、そんな不安を拭う様に、
兄の懐中電灯の明かりの方へ向かって、
「兄貴、そっちどう?」と声を発す。
それに対して「こっちはカブト3匹にクワ2匹~。」
時折こんな安否確認をしては、安心して山深くまで進んで行った。
次第に兄と僕の距離は縮まり合流してしまえば、
話すことさえしなくなる程、無我夢中でカブト虫を捕まえていた。
と、その時、
夜蝉の声に混じって変な音が聞こえ始めた。
耳をすませると、
それはカンカンカンカンカンカン・・・・・
とハイヒールで足早にこちらに向かってくる音のように聞こえた。
兄はまだその音に気付いていないようだったので、
「なんか聞こえない?」と僕は聞いたんだ。
兄は一瞬、耳をすませて何かを察したのだろう。
そして僕と目を合わせた。
その時の兄の表情は、今でも鮮明に覚えている。
恐怖に慄き、血の気は引き脅え、この世の終わりのような顔をしていた。
兄は、その次の瞬間「何か来るっ。」と言って、
一目散に山を転げ落ちるように逃げ出したんだ。
その兄の行動を目の当たりにして、
僕も気が動転して「ちょっと待てよ!」と声を荒げたが、
兄の姿は僕の視界からすぐに消えた。
兄の駆け下りる足音はどんどんと遠くなり、
それと反比例するように近づいて来るハイヒールの音は、
今にも僕の元に届きそうに刻々と迫って来ている。
そして昼に見た怪奇番組の想像が脳裏を巡り、
僕もまた恐怖に慄き、血の気は引き脅えた。
そんな迫り来る恐怖に耐え切れるはずもなく、
僕もいよいよと逃げ出そうとしたその時、
妹の存在に気が付く。
まだ小学生の妹は事態が分かってはいない様だったが、
兄と僕の様子の急変にすごく怖がって泣きべそを掻いていた。その後、大泣きを始めた。
僕はそんな妹の手を取り抱きかかえ走り出そうとした瞬間、
そのハイヒールの足音が真後ろまで来ていることに気付いたんだ。
そして足音は僕達を通り過ぎることなく止まった。
止まったんだ。
鳥肌が立ち血の気が引き「マジかよ。」と声こそ出ないがそんな心境だった。
僕は、抱きかかえていた妹を強く抱きしめ、
恐る恐る振り返ると、そこには白いワンピースの女性が立っていた。
夏によくやっている怪奇番組で見たことがある、
峠や古いトンネルとかで追いかけてくる怖いやつだと思い絶望した。
そんな時だった、「驚かせてごめんなさい。」とその女性が言った。
僕は、あっけに取られながらも何とか会釈をした気がする。
そしてまたその女性はハイヒールをカンカンカンカンカンカン・・・・・
と鳴らし山を駆け下りて行った。
いったい何だったのだろうかと安堵し妹の頭を撫で慰め、
とりあえず何だか分からないが助かったと実感した。
その後は、妹を抱きかかえたまま、ゆっくりと山を下りた。
間もなくしてエンジンのかかった兄の車が見えて安心したけれど、
車に着いて兄の顔を見たら、ふつふつと怒りが沸いてきたが、
それも阿呆らしく兄と僕は終始へらへらしながら帰った。
妹は、気付くとスヤスヤと眠りについていた。
これが蒸し暑い夏の夜の出来事。
今でも兄弟で集まると、この話になることがあるけれど、
あの時、弟と妹を置いて真っ先に逃げた兄への風当たりが厳しいのは言うまでもない。
またその女性があんな時間に山頂で何をやっていたのか今もその謎は解けていない。
丹澤
東京 中野 花屋 Greencoast
でも僕達は懲りずにまたカブト虫を取りに山へ行く。
そしてポイントの木を懐中電灯で照らすんだ。
ほら。
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