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上五島住民新聞ブログ版

みんなで町政と自分たちの町を考えるインターネットスペース。新上五島町より発信。

閑古鳥鳴く「ふれ愛ランド」(住民新聞1面)

2005年12月19日 | 新聞記事(一部公開)
 赤岳の海岸はかつて黒光りした玄武岩むき出しの荒涼とした独特の景観を奏で、訪れる人をしばし異界に誘い込んでいた。そこに建てられた景観にそぐわない珍奇としかいいようがない建物(海のふるさと館)。その後いろんな工事が付加されていること、利用者はさっぱり、設備は豪華との風聞も届いていた。今回「ふれ愛らんど」と名付けられた本施設全体を回ってみて、愕然。どんな構想に基づいて、どんな客層を想定してこの施設構成になったのか、疑問の数々。この過去の明らかに失敗といえる例を検証して、次につなげていくために少し検証してみたい。

施設に関して町の情報公開条例に則り過去の行政文書公開を申請した。施設の計画概要、予算・決算関係、利用者・利用料、施設の過去の活性化策などだが、結果は満足できる資料にはほど遠かった。計画段階の資料、利用者不調の中で取られてきたであろう活性化策などが一番知りたかったのに、公開資料は平成15年以降と決められていて皆無。建設費用すら分からない。やむなく旧新魚目町の広報誌のバックナンバーを求め支所に保管されていたものの、事業年度である平成2~4年度の欠番がやたら多いのだ。それでも保存資料をかき集め、地元の人から情報を得、分かる範囲で概要を把握してみた。
 まず、全体施設と建設費概算(新聞では別表に表示)。
投資総額としては恐らく6億円を超えると推定される。うち海のふるさと館はふるさと創生資金で建設。それ以外の施設は補助金事業と考えられるが、補助率等は不明。
 これに対し利用者は海のふるさと館でオープン以来10数年の累計5万2千人、年平均4千200人ほどだが、ここ数年は1000人台に落ち込み、ついに16年度で閉鎖。ヤング(ファミリー)を狙ったと考えられるバンガロー、テントサイト利用者は累計で1万2千人に満たず、年平均千人以下。地元客を対象にしていると考えられるパットゴルフやテニスもせいぜい年千人台。惨澹たる有様というしかなく、結果、ゴーカート・機動パトカーなど遊戯施設、ジュースやお菓子販売などの付属収入を合計しても、これまでの累計収入8千450万円で、海のふるさと館ひとつの建設費にも及ばない。
 5ヘクタール以上のやたらと広い敷地に展開されているこの施設、要は誰を主対象にしたかが不明だ。地元民の憩いの場としてなら、この海のふるさと館では一度入ったらリピートは期待できないし、遊戯施設はあってもゆったりとくつろぐ雰囲気の場はない。かといって島外の団体、あるいはしんうおのめ温泉荘宿泊客等観光客を相手にしているのなら食堂や土産物売り場が致命的に不足、またキャンプやバンガロー利用者なら交通に不便だし、自炊のための環境(スーパーなど)は最悪である。テニスコートは島でも有数の強風地域だから適地とはとても思えない。余談ながらタラソテラピーというのは高級エステなどにあるような設備らしいが、ほとんど利用されずに放置の格好。
 無惨である。かくして、計画当初から「?」だった地元曽根地区の住民の予想通り、「喚声が聞こえるのはシーズンのひと夏に2~3度あればいいほう」ということになる。 閑古鳥鳴く施設であっても、管理人は要るし、光熱費などの経常経費も馬鹿にならない。このため平成16年度のふれ愛ランド事業部収支は、営業収益510万円に町の一般会計からの繰入(要は赤字補助)550万円強を加えて何とか維持されている。17年度は海のふるさと館閉鎖で収入減が見込まれるから、さらに厳しいだろう。ふれ愛ランドは公園としての機能も持つから、収支だけを取り上げて評価するのは的を射ていないとはいえ、新上五島振興公社の同じ管轄である温泉荘も毎年1000万円を越える繰入を行っているから、別項の行財政改革推進委員会で、公社のあり方を含めて再検討(閉鎖をも念頭に置くと読める)と指摘される現実がある。
 しかし批判ばかりしていても生産的でない。あの施設を若松町の荒れ果てた運動公園の二の舞いにしたくないなら、再利用策を地元に下ろして検討すべきであろう。すっかり景観は壊れたとはいえ、観光ロケーションとしては曽根地区は捨て難い魅力を持つ。体験型施設に変えて再生を検討している人もいるから、そんな人の意見や希望を拾って、具体的行動に移るときではないだろうか。

あしもとをみつめよう(住民新聞2面)

2005年11月17日 | 新聞記事(一部公開)
流通激戦区のこの町を考える
ここ数年でこの島の商業地は激変した。浦桑地区が本土資本の流入で一大商業ゾーンに生まれ変わる一方、有川や奈良尾、若松などの商店街は閑古鳥が鳴く「閉店街」と化している。むろんこうした現象は上五島だけでなく、この国のどこでもみられる風景ではある。いずこの地方都市でも、郊外に立地された大型スーパーに客を奪われ、商店街はシャッター通りになっている。町の現状もそのミニチュア版に過ぎないといえばいえる。だがこれを競争社会の日常風景として受け入れ見過ごしていいかどうか、少し考えてみたい。
激しさ増す価格競争
 私たちの暮らしに欠かせない食材を提供している食品スーパー。過当競争ともいえる町の現状を、地元の消費者だけを相手にこれまで頑張ってきたスーパー数社と、そこに納入している地元の豆腐屋さん数店を訪ね、その苦労を取材してみた。
 地元のスーパーはいうまでもなく地元に密着した経営を自然にとる。地元の産品をできるだけ扱い、顧客サービスを充実させ、信頼関係を築いていくためにダイレクトメールを打ったり、会員制方式を取り入れて割引や特典でサービスを強化したり、かんころを搗く季節には砂糖をまとめ売りで安くしたりなど、島のニーズに対応した売り方の工夫をどこの地元スーパーも行ってきた。価格競争だけではない地元スーパー同士の競合があった。そこに大きな資本を後ろ盾にした、組織化された安売り専門のスーパーが進出してきたのだ。彼らは店舗を幾つも持っているから大量に安価に仕入れることができ、その分安く売って売上を伸ばしていく、典型的な薄利多売の商法である。
 その結果は予想通り商戦が厳しさを増しただけではなく、地元の小規模な産品製造者にも大きな影響を与えている。というのは本土からの進出スーパーといえども、地元との協調を謳い文句にするし、客のニーズもあるから当然地元産品も仕入れることになる。したがって地元の製造業者がその価格競争の荒波の中に揉みくちゃにされている現実がある。
 現在、地元スーパーは価格最優先の路線を強いられている。できるだけ安く仕入れて売価を落とし、目玉商品を作って客を引きつけなければならない。増えたのはチラシだ。いずこも週二回程度の新聞折り込みが必須になっている。他店の価格動向を調べ、何を目玉にするかを常に考え、そのための安い仕入れ先を探し、チラシを作り、売り場を常に新鮮に見せ……コマネズミのように走り回らなければならない。「本当に疲れます」というあるスーパー社長の嘆きも想像するに余りある。その結果、勝ち組と負け組(何という冷たい言葉だろう)という区分けが現実味を帯び始めてきている。そのとき、地元スーパーは果たして生き残れるだろうか。
生産者の厳しさ
一方、こうしたスーパー商戦に巻き込まれている地元製造者は当然あおりを食う。たとえば豆腐など日配品はどうしても安売りの目玉商品になりやすい。目玉商品だと利幅は薄いばかりか、ときには破格の値で出してくるところもある。競争に勝とうと思えば利益ゼロも覚悟の上で安売りセールに対応しなければならない。以前のような店売りは皆無に等しくスーパーの販路に頼るしかないから、要請を拒否することは不可能。安売りを各スーパーで週1回やられれば、ほとんど毎日一部の商品は利益を度外視せざるを得ず、他の日の売れゆきに期待するしかないが、「みんな安売りの日を狙って来るもんね」ということになる。目玉だからといって品質を落とすわけにはいかず、かくして方法はひとつ、量でカバーするしかない。スーパーと同じく薄利多売路線だ。
 ところが生産量を増やすといっても簡単ではない。一方で厳しい経営状況から従業員は減らさざるを得ず、生産機械への投資もままにならない。したがってこれも残るは家内労働の労働時間でカバーするしかないことになる。スーパーの経営者と同じく、こちらも「疲れる一方」なのだ。
地域を守る消費者に!
本土資本の店に行けば、豆腐など地元産の数をはるかに越える種類の、相対的に安い豆腐が並ぶ。これだけをとれば、客である私たちには選択の幅が広がり、安い物が手に入るからよくなったということもできる。しかし本当にそれで良いのだろうか。
 防腐剤や添加剤、味覚だましの調味料がたっぷり入った真空パックの蒲鉾より、地元で採れた新鮮な魚を加工したスリミを買って自分で揚げたほうが美味しいし、安全だ。仮に多少高くともである。豆腐も同じ。鮮度は間違いなく地元の方がよいはずだから、これも安心して食べられる。「地元で作った良い物を並べればお客さんも分かってくれます。そうした物はやはり大事にしていきたい」というあるスーパーの経営者は語ってくれたが、そこが原点であろう。農協の朝市や無人店舗の野菜が人気を博すのも同じ理屈だ。
 もうひとつ、欠かせない視点がある。地元の店で、あるいは地元のものを優先して買うことは、地元の中でお金が回るということだ。これが本土資本の店で本土産のものを買うのはお金の流出である。前者を専門的にいえば「地域循環経済」という。地域が自立するためにはそうした地域の中で循環する領域を広げていくのが基本だ。
 大分県の一村一品運動は大山町(現在は合併して日田市)の「梅・栗植えてハワイに行こう」という運動に端を発している。その大山町はこの十数年は全く逆の方向に路線転換し、「一農家多産品運動」というべきものに変わった。その成果が「木の花ガルテン」という自前の店で、野菜から味噌などの加工品、惣菜・弁当など調理品、その他日用品の含め地場産品だけを並べ、地元民が利用するのはもちろん、都会から週末には大勢の客が押し寄せる。福岡や大分市にも店を持ち全店で5店。年商は10億円に迫る勢いだ。商品の値段も量も農家が自分で決める個人ブランドがみそで、成功の一端を担う。
 それはさておき、この町の現状を考えれば大山町の例は遠いモデルのように思えるかもしれないが、少なくとも「地元のものを大事に育て、地元の店を大事にする」という基本の精神だけは学ぶべきではないか。地元のスーパーと産品が本土のものに完全に取って代わられるとしたら、この島の将来はないといっていい。地元の生産者とスーパーの置かれた立場に少しでも思いを寄せて、賢い消費者になることを期待したい。

イントラネット(住民新聞1面記事)

2005年11月17日 | 新聞記事(一部公開)
 言葉の壁を無視すればいま私たちはインターネットを利用して世界中の情報を瞬時に手にすることができる。それはコンピューター同士をつないで相互に情報を交換したり、データを検索しあったりできる技術が生まれたからだ。イントラネットとはその技術を応用して、企業とか大学とか限られた(内部の=イントラ)ネットワークを構築すること。そうすることで掲示板を使って会議をしたり、必要な組織内のデータをメンバーが必要に応じて自在に手にいれることができる。携帯電話が個人間の対話の密度を飛躍的にあげたように、パソコンを通じた組織内の関係の密度が向上すると考えてもらったらいい。
 この町のイントラネットも、町民と行政の距離を飛躍的に縮め、利便性を高める目的で構想された。学校や職場、家庭のパソコンで行政情報の閲覧や公共施設の予約などができ、学校間を結んでの授業なども可能になる。身近な例ではいま郷長さんを通じて流されている町の回覧情報や通達などはネット情報に代えることも不可能ではない。むろん各家庭にパソコンがあることが前提になる。
専用の光ファイバー回線
 ところで、こうした情報システムには、インターネットでNTTの電話回線が必要なように、当然ながら通信回線が要る。企業とか大学のような狭いエリアなら独自に回線を引くケースも多いが、今回のような地域情報システムとなればおいそれとはいかない。敷設コストが馬鹿でかくなるからだ。自前の回線だとメリットもある。回線使用料はもちろん不要で、しかもNTT回線を利用するとすればいろんな手続きや規制があるが、自前だと自由だ。
 さてどちらを採るかという選択に際し、この町は(正確にいえば合併協議会の情報システム部会)は後者を選択した。自前の光ファイバーケーブル(注)を敷設したのだ。その全長219㎞。旧5か町の幹線を太いケーブルで、そこから各集落のまでの支線を細いケーブルで張り巡らしたのだ。工事は平成15年度。(注:髪の毛ほどの細いガラス繊維の導線を用い電気信号を光に変えて送る。通常の銅線ケーブルに比べ格段に早く大量の情報を送ることができる)   
線路は引いたが・・・
 工事が完了してすでに2年。町民の中で端末を利用した人、ないしは利用しているのを見掛けた人は数少ないのではないだろうか。合併協議会のシステム構想段階から関与してきた情報化推進室の竹内和朗室長はあっさり「ほとんど利用されていないのが実情です」という。
 なぜそんな悲惨な状況になっているのか。弁明を聞いてみると二つの事情が重なっているようだ。ひとつは自治体のイントラネット設置補助金の締切りが迫っており、使い方を詰める時間もないままに駆け込みで申し込んだこと、他は合併後の未曾有の財政危機発覚で、利用するソフトを開発したくとも予算が皆無に等しいこと、である。財政危機は少なくともここ5~6年は改善の見込みはないから、有効に活かす展望はみえない。もともと明確なマスタープランを描いてないから対策のアイデアも出ないのが実情のようだ。いま活用されているとすれば5か所の郵便局で、住民票とか印鑑証明が取れるようになったくらい。利用者は少しずつ増えているというものの、投資コストに見合うサービスとしては余りに寂しい。
 完全に現状は宝の持ち腐れである。例えていえば、電車のレールは引いたものの、停車場や電車はおろか、信号も電気系統も未整備のまま線路だけがある状況に等しい。
町政のチェック機能は?
 竹内室長は「いかなる批判もいまは甘んじて受けます」と謙虚だ。置かれた立場に同情を禁じ得ないものの、話を伺いながら、そもそも前提の議論がなかったのではという疑問をぬぐえなかった。
 敷設されたファイバー網が本当に有効になるには、町内の各世帯にまでケーブルが敷設されることが条件。そうなれば居ながらにして町の情報が手に入る。高齢化が進んでいるから、病院や保健センターと結べば、老人世帯への細かなケアが可能になろうし、議会中継なども容易にでき、町政への町民参加も厚みが増す。専用回線だからIP電話も実現し、町民は格安の電話代で済むようになろう。でも各戸まで敷設しようとすれば、最低でもさらに20億円はかかるとのこと。将来的にみても実現の可能性はきわめて薄いと想定される。計画段階ではそうした"夢の構想"が語られていたようだが、本当に実現を信じていたのだろうか。
 さらにそれ以前の本質的疑問がある。百歩譲って各戸にケーブルを敷設し、端末も無料で各戸に配布されたとしても、本当に必要とする老人世帯が機器を使いこなせるとはとても思えない。高齢化は自明なこととしてあったはずだから、そうした懸念が議論されなかったのだろうか。双方向の放送システムであるCATVならまだ現実味があったと思うのだが。
 いま竹内室長以下スタッフは、コストをかけずに有効な活用術はないか真剣に模索している。成果を期待したいが、本プロジェクトを検討して思うことは、計画段階で町内の有識者や外部のコンサルタントなどを招き計画を審議する場が設けられていたら、もう少し現実的なプランができたのではないか。本件だけでなく、町民からみて「?」と思う事業の事例は少なくない。前号の財政危機の特集記事でも触れた、有川港ターミナルと付属施設の土俵,金子知事もその豪華さに眉をひそめたと聞く広域圏の消防署などは最近の顕著な事例だ。
 最近良く取り上げられるように、国もPFI(民間の資金で公共事業を行うこと)や「時のアセスメント」の導入をはじめ、行政の独断専行を是正する取組が始まっている。行政の効率化は同じ財政危機にある国の至上命令なのだ。
 そうした時代の要請でもあるのだから、町でも、少なくとも一定規模の事業に関しては、例えば外部審査・外部委託のシステム必須のものとして導入するとか、事後的な評価を義務付けるとかを検討する時期にきていることは間違いない。