住民の意思 もっと明確に
私が「上五島住民の会」に参加して1年が過ぎました。きっかけはいうまでもなく“高レベル放射性廃棄物処分場誘致”問題が沸き上がっていたから。初めてそのことを知ったとき「まさか! こんな島に?!」という思いだったのですが、日に日にTV、新聞等で取り沙汰されるようになり、「このまま傍観してていいのか」「他人まかせでいいのか」「自分の故郷を自分の手で守らなければ!!」という衝動に駆られ、友人と二人で「住民の会」に参加しました。
その後、会合に何度か出席し、参加者と意見交換をすることで、少しずつですが私なりに処分場施設がどんなものか分かってきて、ますますとんでもないという思いが強まりました。最近でもNUMOのTVコマーシャルでいかにも「画期的で安全ですよ!!」と宣伝し、宮さんや誘致派の資料でも安全だといいますが、そんな安全なものだったらわざわざこんな五島まで持ってくることなく、東京やその近辺で誘致してもいいでしょうに!! どこも手を挙げるところがないから五島のような遠隔地にまで話が持ち上がるのではないですか。
そんな危険施設なのに、なぜ手を挙げるような誘致運動がなされるのか。なぜ町民の皆さんがこれを静観しておられるのでしょうか? 今一度考えて下さい。20年ほど前“備蓄基地”を誘致して一時期は景気よく活気づいたかのようにみえましたが、今現在はどうでしょうか。幻に過ぎなかったといえませんか。
六か所村の再処理施設では事故が発生していると聞きます。再処理のごみが五島にくるとすれば、自分たちの健康がおびやかされることへの不安はぬぐい取れません。私たち島民が今一番望むことは何でしょうか。自然と健康を台無しにする島づくりですか。なぜ、この島の自然を大事にし、子供達に残してあげようと思わないのでしょう。
本紙9月号によると、本島元長崎市長が「被爆県だからこそ誘致しなければならない」と積極的な発言をされたと知りました。被爆県長崎だからこそ反対しなければならないのではないですか。私の住む地区で、ある方が核実験反対の座り込み抗議をされている姿を何度か目にしたことがありますが、頭が下がる思いでただ見守るだけでした。今回の処分場問題はもっと身近な問題。黙ってみているわけにはいきません。町民の皆さんも、反対なら反対と声を大にして、共に手を取り合って行動して欲しいものです。(青方郷 C.M.)
次世代への義務は
エネルギー資源のないわが国が原子力に頼る事情が解らないではないが、この事業を長く続けると、蓄積する廃棄物で居住空間が浸食されてしまう。それに代る太陽光、風力、潮力、温度差等、あらゆるエネルギーの開発・拡大利用が急がれる。
国はその廃棄物の処分に困り、好条件を提出して処分場探しに懸命になっているが、何処も引受地はないようだ。ところが何箇所かの候補地のうち本町では、町財政への寄与と建設特需事業を求めて、地元のNPOが中心となり最終処分場の誘致運動を進めている。これは本町民だけで決められる問題なのか。誘致されると下五島を含む全体に影響があるのは必定で、島のイメージダウンになり島で生産される総てのものが敬遠されることになりはしないか。また、現在の一時凌ぎの潤いを求めたことが子孫の恨みを買うことにもなりかねない。一度廃棄物で汚れた島の自然とクリーンなイメージ(誘致派は処分施設をクリーンと考えているようだが)を取り戻せるのか。私達にはキレイな島を次に世代に引き継ぐ義務もある。
議会でも、誘致反対の5~6人の議員を除き明確な意思を示さないという。町長も、本町は誘致の意思はないと断言しながら、反対運動はしてくれるなとも言われているようだ。NPOが主導する六ヶ所村や原子力関連施設の視察など、着々と誘致運動は進められ、模様眺めの状態にある町民の今の状態なら、一挙に誘致が可決されることも考えられる。立地調査に応募するだけでも10億円を越える交付金が入るというから、議会や町当局者には、打ち出の小槌にも映るのではないのか。
財政が苦しいのは本町だけではないはずだ。島独自の振興開発を考えない、交付金補助金頼みでは、目先を凌ぐだけで衰退を辿るだけだろう。(岩瀬浦郷 Y.I)
※本紙では実名で寄稿していただいていますが、インターネットという媒体の質を考慮してここではイニシャルにさせていただきました(管理者)