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密林から出てきたラストサムライ小野田寛郎

2014-01-18 | 日記
人を殺す訓練を受けた眼とは、こんなだろうな。


そう、思わせた人物こそ小野田寛郎元陸軍少尉その人だ。
16日、都内の病院で肺炎で亡くなった。91歳。

太平洋戦争の終戦を知らぬまま小野田元少尉は、フィリピン・ルバング島のジャングルで30年もの間「戦争」を続けていた。
終戦から27年後の1972年2月には、グアム島のジャングルで生き延びていた横井庄一元軍曹が生還して戦後ニッポンに衝撃を与えた。
佐藤栄作首相の手で沖縄返還されたのも同じ72年5月、同12月には田中角栄首相が日中国交正常化を成し遂げた。
この一連の動きで「もはや戦後は終わった」といわれた。

小野田元少尉が生還する74年の2年前だ。




それまでも、南方の島々には日本兵が多数潜伏しているとの情報はあった。
実際、横井元軍曹の帰国後、ルバング島などでは残存兵を捜索した。
小野田らにとってはまだ、「戦争中」とあって、フィリピン警察隊と銃撃戦。
結果、終戦から27年もジャングルで生き延びていた小野田元少尉の部下、小塚金七二等兵は復興日本を見ることなく死んだ。


来年2015年で戦後70年になる。
終戦8ケ月前の1944年12月、22歳の時にルバング島に着任した小野田元少尉。
戦後30年では、まだ頭の中は「皇軍思想」が解けていなかった。
特に小野田は陸軍中野学校で皇軍思想を徹底的に叩き込まれている情報将校だけに、すべてが諜報戦になってしまった。
投降のビラもすべてが米軍の策略と思い込み、ジャングル奥に潜伏してしまった。

教育の怖さだ。


いま、北朝鮮の恐怖政治を日本は非難しているが、ちょっと前までは「軍国教育」のもと、同じような時代を経てきている。

ヒトラーのドイツ、スターリンのソ連、ムッソリ-ニのイタリア、フランコのスペイン・・・。
悪夢の歴史は繰り返す。
懲りない人間社会の最大の犠牲者は横井庄一、小野田寛郎、いや生還できたはずの小塚金七二等兵かもしれない。

◆小野田寛郎(おのだ・ひろお):1922年3月19日→2014年1月16日、男5人、女2人の7人きょうだいの四男。和歌山県亀川村(現海南市)生まれ。海南中(剣道部)→会社員(田島洋行)→久留米第一陸軍予備士官学校→陸軍中野学校二俣分校。1974年3月、51歳で日本帰国。75年、ブラジル移住、牧場を経営。自然塾開講や講演活動。妻・町枝。




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