~ 気ままに歩く 沖縄 ~ |
( 画像; 琉球漆器 ) |
【 沖縄の工芸 】 『 琉球漆器 』を見聞しましょう。 〓 琉球漆器の伝来 〓 漆技術が中国から琉球へ伝わったのは15世紀とされる。 琉球王国時代は中国、日本、朝鮮、タイなど東南アジア諸国との海外交易が盛んであった。 王府には交易に係わる賓客や使節団などが度々訪れるようになった。 なかでも、中国の冊封使を歓待する儀典は重要な政治的課題であった。 来訪者歓待用に装飾品や配膳器などを整える必要があった。 王府は漆技術習得のため中国へ人材派遣するなどして育成に努めた。 やがては琉球国の技法が中国製品に追い着き追い越す関係となって 王府の厳しい管理のもとに造られる製品は世界で通用する国際商品にまで成長した。 そして海外交易の輸出品目で重要な位置を占めるようになった。 ☆ 琉球漆器の特徴 装飾技法に堆錦 沈金 螺鈿 箔絵 蒔絵などの技法を用いている。 料理用の器は螺鈿や堆錦などの細工で豪華な装飾が施される。 〓 琉球漆器工芸の歩みは次の時代区分で考察される 〓 (1)13代国王;尚 寧(1589~1620年)までの時代 (2)薩摩藩の琉球侵攻(1609年)以降の時代 (3)廃藩置県施行(1879年)以降の時代(琉球王府解体以降) (4)第二次世界大戦の終戦(1945年)以降の時代 (5)本土復帰(1972年)以降の時代 ★ 社会的背景と漆技法の歩み ◇ 13代国王;尚 寧までの時代 ・ 社会的背景 琉球王国は1429年に創設され25代の国王を経て1879年までの約450年間存続した。 なかんずく、初代国王;尚 巴志(1429年即位)から12代国王;尚 永(1573~1588年)までの約160年間が隆盛期であったと伝わる。 王府は海外交易から莫大な財益を生む事に成功して経済的・政治的に安定した国体維持を図り続けた。中国へは冊封史や進貢船、江戸幕府には慶賀使や謝恩使を派遣するなどして王国の安寧を保った。 ・ 漆技法の特徴 中国から学んだ漆技術に独自の研鑽技法を付加して芸術性の高い繊細な作品に仕上げられ自国産品と称されるまでに工芸技術を高めた。 ※ 加飾技法は朱塗に沈金を用い、花鳥図文様が多かった。 沈金技法では一つの頂点に達したと云われる。 また、朱漆の螺鈿技法も使用された。 ◇ 薩摩藩の琉球侵攻以降の時代 ・ 社会的背景 13代国王;尚 寧(1589~1620年)の代になって薩摩藩と江戸幕府の共謀軍に琉球王国は侵攻され占拠された。(1609年) 以後、明治政府の廃藩置県施策に伴う「 沖縄県設置 」までの約270年間は薩摩藩の支配下に置かれた。 琉球王国は独立国家ではなくなり、体面上の「 琉球王国 」として王統治世を続けることになる。 外交権は剥奪され、交易や諸策の施行は薩摩藩の指図を受けた。 当時の江戸幕府は中国皇帝から交易を断絶された状態にあった。 また、薩摩藩も財政的困窮状態にあった。 その打開策として琉球王国の対中国貿易に狙いを定めて占拠し交易収益の奪取策を執った。 ・ 漆技法の特徴 薩摩藩は「 高度な漆技術 」に着目して更なる技術強化策を図った。 絵師や貝摺師を中国に派遣して、デザインや製朱法、煮螺法など中国の進んだ技法を積極的に採り入れさせた。 現代琉球漆器の主流である堆錦技法も当時代に考案された。 ※ 加飾技法は黒塗で山水図や宗教的な絵文様が多くなって、より中国的な要素が強調されるようになった。 〓 銘柄確立と国際的評価 〓 ☆ 琉球製の銘柄確立 技工士達の技術研鑽の成果は諸外国から「 琉球製漆商品 」として認められるまでになった。 「 琉球製の銘 」を刻んだ商品として輸出品目の重要な位置を占めるようになった。 琉球製漆器は海外交易を通して重宝な進貢品・献上品の役割を担った。 中国皇帝への進貢品や日本の将軍家への献上品としても盛んに利用されるなど琉球王国を代表する美術工芸品となった。 ☆ 琉球漆器の国際的評価 薩摩藩は自藩の対中国交易の権威誇示を狙い 「 漆製品から琉球製の銘を消去するなど中国製を装った形にして 」幕府や将軍家への慶賀・謝恩の贈品として献上した。 それまでは中国製品と思われていた数多くの作品類が琉球製であった史実が判明されて、琉球漆器の歴史が見直され国際的に再評価された。 この史実は徳川美術館・根津美術館主催の『 琉球漆器展;1978年開催 』で公開された。 次回に続く・・・ |
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