おもろの島々

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沖縄の焼物 その1

2011-08-20 | 沖縄の工芸
~ 気ままに歩く 沖縄 ~
タイトル

 ( 画像; パナリ 焼 )
パナリ焼
【 沖縄の工芸 】
『 沖縄の焼物 その1 』を見聞しましょう。

〓 焼物史の沿革 〓
◇ 沖縄の焼物の概略史を経年的にみる
・ 土器の時代
沖縄で 土器 がつくられたのは、今からおよそ6,600年前であると伝わる。
粘土材を成形した後、枯草や小枝を被せて焼き上げた。
初期の土器の多くは甕(かめ)などの大物だったと伝わる。
作り方では九州地方の影響を受けていたとされる。
以後、12世紀まで土器の時代が続いた。

・ 12世紀に 窯焼き の製品が伝来する
12~15世紀頃には奄美地方(徳之島)で焼かれた カムィ焼 が沖縄でも使われるようになった。 製品は壺 甕 鉢 碗など。
カムィ焼は土で窯を築いて成形品を中につめ、高温で焼いたので土器よりも固くて丈夫であるとされる。

・ 海外から輸入製品が多量に入る
12世紀頃から中国の焼物が輸入されるようになった。
14世紀末期から15世紀初めにかけては輸入量が最も多くあった。
輸入品の多くは中国陶磁器であった。
沖縄各地の遺跡から薄くて固い磁器製品が多数発掘されている。
15世紀には中国や日本のほかに朝鮮、タイ、ベトナムなど東南アジア諸国の焼物が輸入されるようになった。
その時、流入してきた物に 南蛮焼 と呼ばれる焼き締め陶器がある。
それらの輸入製品は大物の甕 壺 碗 皿の多さに特徴があるとされる。

豪族達と海外交易
琉球史上で一定の政治的勢力が出現したのが12世紀後半からとされる。
その勢力、つまり豪族達は各処で大なり小なりに占有領地を構えた。
そして、お互いに領地拡大を意図した対立と興亡を繰り返えした。
ところで、陣地の将兵や民を統括するには地産地消のみでは賄いきれなかった。 その対応策として編み出したのが対中国交易であるとされる。
交易遂行によって蓄財を得る豪族は勢力拡大の進捗が増した。

琉球王国創設以前から豪族達は主に中国との交易を遂行した。
交易に伴って種々の海外情報が流入するようになった。
焼物や塗物など多種多様な工芸品類は代表的である。

琉球王国創設直前の琉球は
群雄割拠が続くなかで沖縄本島が3大勢力に収束されるようになった。
その3大勢力名を北山(北部域統括)中山(中部域統括)南山(南部域統括)と呼ぶ。 琉球史の時代区分で「 三山時代 」と称している。
1322年頃から王国創設(1429年)まで三山時代が続いたとされる。

琉球王国の海外交易
統一琉球王国は1429年に創設されて1879年までの約450年間存続した。
王府は中国、日本、朝鮮、タイなど東南アジア諸国との海外交易を一層拡大強化して海洋王国構築への道を展開した。
交易は莫大な財力を生む事に成功して経済的・政治的に安定した国体維持を図り続けた。
中国には冊封史や進貢船を、幕府には慶賀使や謝恩使を派遣するなどして関係維持を保ち王国の安寧を保った。

パナリ焼 とは
八重山諸島の新城島(通称:パナリ島)で19世紀中頃まで焼成されていたと云われる土器。
手捻りで成形するときスナズルやタブの粘液を赤土に混ぜ、更にカタツムリや貝の粉などを混ぜて強度を持たせる。
露天でカヤやススキ等を被せて焼成されるのが特徴とされる。

パナリ土器の焼成は久しく途絶えていた。
ある研究者がパナリ土器の展示物を拝観して「 縄文時代の貝入土器と同じ物が八重山諸島に残っていた事にびっくり 」して、早速にもパナリ土器復元に取り組んだ。
その工程再現には謎が多くて暗中模索が続き苦戦しながらも 復元成就 を克ち得た方々の歩みを パナリ焼展示館 からご覧ください!
次回に続く・・・
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NHK BS時代劇
19世紀 琉球王府の人間模様を描く.
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