おでかけmemory

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奈良 纒向遺跡

2009-11-15 | 遺跡/現地説明会

桜井 纒向(まきむく)遺跡の現地説明会に 行ってきました(14、15日の2日間)
ここの発掘を どれほど楽しみにしていたことか…、もうです

都合がつかず 来られなかった方へ。 現地説明会の様子です。 
13分の説明をすべてを収めましたが You Tubeが 最大10分なので 前後を3分カットしました
ほぼ 本題には影響はありません。ただ 所々雑音があります
解りやすく 解説して下さっています 



新聞によると きのうの説明会には 午前10時のスタート前に 考古学ファンらが殺到し、
開会と同時に入場を制限されたそうです。(2日間の来訪者は 1万人超)

連日、各メディアが こぞって
邪馬台国の女王・卑弥呼の宮殿の可能性がある3世紀前半の国内最大の建物跡が見つかった
と報道し、特集記事が紙面を賑わしています。
そんな状況に 日に日に 邪馬台国畿内説が盛り上がってきました。

説明会で桜井市教育委員会の橋本さんは 「古墳時代は纒向遺跡から始まった」
 「卑弥呼論争よりも配置、方向性、はじめて東西南北を意識した建物跡が見つかった」
 「纒向以前と ここからとでは建物様相が大きく変わったことがわかった」 

古墳からしか分からなかった《古墳時代の始まり》が 今回の発掘で建物様式からも探れるようになったことが 
卑弥呼論争より とても大きな事だと説明されていました 

なぜなら それ以前の弥生時代では 地形に合わせてバラバラに建てていた(吉野ヶ里遺跡など)が 
今回の建物跡を含め 発掘された建物跡4つは 東西の軸線上に 並んで建物の中心がある。 
つまり《方向性》を考慮していることが分かった。

古墳時代のあとの飛鳥時代から始まったとされている 方向性を重視した建物(飛鳥京、藤原宮など)は
南北の線上に立てられていました。今回は東西ということで 太陽信仰と結びつくのかもしれません。
 
説明の中にあるように 黄色の筒が当時の柱です。
太いものが主柱(直径32cm)で 屋根(約10m)まであったと思われます
細い柱は 主柱の間隔が4.8mと広いので 床がフカフカしないように補強する為に 添えられた束柱(直径15cm)です
構造からだと建物は平屋の高床式で 床の高さは 2mくらい、広さは238㎡(畳 140~150畳くらい)だったようです
その後 この柱はすべて引き抜かれ 別の場所へ リサイクルされたそうです


西から東を向いて撮りました。ちょうどJRが通過



中央から北向きに撮影



南から北向きに撮影





東(線路側)から西を撮影



北から 南向きに撮影



俳優 苅谷俊介さんが 桜井市の腕章をつけて 説明会に参加されていました
10数年 通いつめて発掘を一緒にされていたそうです。今回彼の持論と予想通りの遺跡が 出たようです 



一緒に出土されたものの一部





これまでの出土品から伺える纒向遺跡の特徴は 
この時代の遺跡からは たいがい出土している農具が出土していない
なので 祭祀のための建造物跡と想像できる(そこから発展して 卑弥呼の居住地か?)
九州、中国地方から東海、関東にかけての器が 多数出土している → 国の中心的な位置

またまた わくわくしてきます  

現地説明会のそばで売っていた 奈良新聞(11月11日と14日の2部で 200円)

 

今後の発掘調査の進展に が 離せません 


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12 コメント

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ごめんね~ (マリンママ)
2009-11-16 18:16:00
PCがご機嫌が悪い・・動画は明日会社のPCで見ます。
南から北を撮った写真・・写っているのは普通のお宅なんですか?何だか凄く気になります~
マリンママさんへ (sapphire)
2009-11-16 20:21:47
はい、ごく普通のおうちですよぉ。(仕切りとして塀はありました)
結構 大きな発見なんで 普段興味のない人も「卑弥呼」という文字に
引かれると思います
よろしければ 明日、見てくださいね 

Unknown (しゃけ)
2009-11-16 21:29:46
これで邪馬台国論争は一気に畿内説が勢い付きますね。
私はもともと邪馬台国九州論者だったんですが。。。
しゃけさんへ (sapphire)
2009-11-16 21:48:33
はじめまして、コメントありがとうございます

確かに全国的に 盛り上がっていますね
今後 楼閣とか環濠、城柵が出てくれば…

九州から 大和への移動も「あり」ですから
まだまだわかりません

楽しみです

滝がお好きのようですね 兵庫の天滝は いいですよぉ 
Unknown (しゃけ)
2009-11-16 22:06:38
滝通の中でも天滝を日本一の滝と
押す人が少なくないですからね。
しゃけさんへ (sapphire)
2009-11-16 23:05:41
そうなんですかぁ 
天滝が大好きで 3回足を運びました
関東へは行く機会が少ないですが
いつか 袋田の滝を見たいとおもっています
やはり。 (taka)
2009-11-17 10:52:10
やはり。行ってたんですねぇ(笑)

電車の中では『巻向方面は〇〇駅でお乗換えです』って
ワザワザ社内アナウンスをしていましたので
かなりの人出だと推測していました。

来年は【平城京遷都1300年】ですので奈良に来てね
なんだかタイミングの良い発掘のような気もしますが、、

takaさんへ (sapphire)
2009-11-17 12:23:59
断念しかけたのですが 待ちに待った発掘でしたし
やはり ここは外せませんから~
予定を いじりまわして です
昨夜はNHKのクローズアップ現代で 今度の土曜日は
世界 ふしぎ発見!で 放送されるようですね

もちろん 来年は「あちこち奈良」です
生セントくんにも 会ってませんし 
Unknown (しゃけ)
2009-11-17 21:45:42
袋田の滝はぜひ一度行かれることをお薦めします。

それはそうと、私は大陸に近いことと、記紀の話など
から邪馬台国は九州にないとオカシイ!と以前から
そう思っていたのですが。。。

神武天皇や応神天皇の東征には何らかの歴史的な
史実が反映されているのだと思っていたのですが。。。
しゃけさんへ (sapphire)
2009-11-17 22:29:58
こんばんは
魏志倭人伝から考慮すると 発生したのは九州か?と思えますね。
渡来人のさまざまな技術や儀式、信仰などが流入する 
大陸からの入り口となるのは
最も近い 対馬 壱岐、北九州ですから。

でもそれは逆に考えると高度な鉄の武器を備えた大陸からの攻撃に
一番弱い地域でもあるでしょう?
そこで 昨日 書きました九州で、栄えていて 安全な大和への大移動の線もあるかとおもっています
神武も実在は?でしょう
神武、応神、崇神が同一と読み解かれた歴史家もいらっしゃいますし・・・

史実を「隠すため、ほおむるため」に仕立てた記紀でもあるし 
新井白石、本居宣長から続く論争の結末はいつでしょうね
今後の出土が楽しみですね

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