奈良 御所(ごせ) 中西遺跡 現地説明会
京奈和自動車道 御所南ICの建設予定地で、2009年より継続調査されていた
中西遺跡内から南北約400メートル、東西約200メートルを超える大規模の範囲で、
古墳時代前期(4世紀前半)の26棟の竪穴建物跡(一辺3~6・5メートル)や、
鏡を模した鏡方石製模造品(直径6・1センチ)、その他多数の土器が出土しました。
方形区画施設(祭祀空間)と竪穴建物群(居住空間)が
計画的に造られた集落としては稀に見る大きさだそうです。
(竪穴住居ではなく、「竪穴建物」と表記されているのは、住居だと断定できていないからだそうです。)
この周辺では、さらに1mくらい掘りすすめば、弥生時代の水田が出る地層だそうです。
一般的な豪族が単独で造営できる規模ではないと思われるが、
遺跡周辺は5世紀に活躍した大豪族の葛城氏の本拠地なので、
「葛城氏ならば、造営できた可能性もある」が、
ヤマト政権にかかわる施設の可能性もある。と推測されるそうです。
流路で、北群と南群に画さられています。 その内側は、溝で細分されている。
遺跡内は、板を敷いた簡易道(
中央部)が作られていて、間際で観察することができます。
(ヘルメットをかぶっている方々は、関係者なので遺跡内に直接立っておられます)
竪穴建物跡
祭祀で使用した土器をまとめて捨てた土杭
井戸
の写真に解りやすく赤ラインを引きました。
上下
を見比べると
断面の部分の内と外で土の色が違います。内側(左)が黒い土、外(右)が白っぽい土
表面半円形の部分は井戸として使用するために、丸太をくりぬいて嵌め込んでいる。
井戸を使い終わった後、土器等を入れて封をしたようです。
流路より出土した直径6・1cmの鏡方石製模造品(滑石製、祭祀用に作られたと推定される)
煤で黒くなっているので、生活で使用されたものだろう。
祭祀用?の高杯