アセンション アシスト ASーAS

地球とは、本当はどういう所でしょうか、情報を集め、知っていくページです。

霊界通信2の1、転生輪廻と親兄弟の縁、小桜姫のメッセージ

2020年09月19日 | 情報
先だって「霊界通信」として、紫式部という方の印象的なメッセージをご紹介しました。今回は、その第二弾として、小桜姫のメッセージを掲載させて頂きます。
以前、小桜姫については、少しご説明しました。「小桜姫物語」は、ネット上の青空文庫にもありますので、よろしかったら、ご参照ください。今回は、その小桜姫が、あるチャネラーに、色々アドバイスされた時のメッセージです。カッコ内は補注です。一部、省略、編集等しております。

(ここから)

初めて、お目にかかります。私が小桜と申す者です。神縁ありて、小冊子「小桜姫物語」を通して、こうしてお引き合わせ頂き、小桜は、たいへん果報者でございます。

さて、あなたと私とでは、生きている時代も違い、あなたのお考え、悩んでおられることの解決が、この小桜の任に負えますやら否やは、とうてい分かりかねます。いずれにしても、今日、この様に、神様のお力によって、あなたにお会い出来たのですから、小桜は、たとえ間違った事を申すやも知れませんが、少しなりともお力になりたい、という気持ちを、あなたに、お伝えしたいものです。

さて、私の境涯につきましては、既に書物でお読みの通りですので、主として、あなたに対して、こちらの世界から、助言なりと申し上げたく存じます。

(中略)

神のご助力と、多くの人々の支持を受けて、初めて、あなたも、自らの偉大なる御使命を果たすことが出来るというものです。これより先、物質的なるもの、この世的な欲望に執われることなきよう、心めされよ。あらゆる執着を断って、神の道のみを極めようと心めされよ。あらゆる執着を断って、神の道のみを極めようと心掛けられよ。この世的な幸せや、人の評判・名声といったもの、或いは、快楽といったものから、心自由であって頂きたい。

この小桜でさえ、日々、身を清め、心を清め、神と人との間に立って、お務めをしているのですから、ましてや、私などより遥かに大きな使命を持っておられる、あなたですから、尋常一様のお心掛けでは、到底、神の命に耐えられませぬ。これより先、奉仕にのみ、ご自分のお心の力をお使いなさい。

ところで、あなたの日常生活ですが、いま一つ不足している点があります。それは精神統一の時間を、あまり、お持ちにならない所です。あまり、自らの霊能力を過信されることなく、時々は、心を鎮めて、神と対座されることは、非常に大切な事です。ぜひとも、今後とも、精神統一の時間をお取りになり、至らぬものではありますが、私達からの霊界通信にも、心を傾けて欲しいのです。失意の時だけでなく、得意の時にも、私達の声に、耳を傾けて欲しいのです。あなたにとって、天職とは、後(あと)にも先にも、神の道を説く事であって、これ以外にはありません。どうか、経済的な心配や、人の陰口など、気にされないで、神の道を精進して行って下さい。

(中略)

さて、それでは、ご質問に答え、霊的能力と悟りの関係について、語ることにしましょう。といっても、私の霊的能力も、それ程のものではなく、悟りの程度も、たかが知れておりますが。

霊的能力は、悟りには付きものです。なぜかというに、地上の人間が霊的能力を得るという事は、心の窓が開いて、神の光が射し込む状態をいうからです。心の窓を開くという事が、同時に霊能を得るということであり、悟りを得るということでもあるのです。ですから、その程度も、より悟った方ほど、概して、巨大な霊能力をお待ちです。

(質問:しかし、悪の勢力に、もて遊ばされながら、霊能を持っている人も、いるのではないか。)

確かに、悪霊の手先となって、霊能を使っている者もおります。しかし、真に、その人が、悟って霊能を持っているかどうか、は、その人の人柄・人格を見れば分かります。

さて、次に、あなた御自身の悟りについて、触れましょう。

御自身が悟られた、きっかけ、は何だったと思われますか。それは、単に、自力によって得られたもの、だったのでしょうか。悟り、というものは、やはり、単に、努力のみで得られるものではなく、人格を高めてゆく途次で、神の御力によって与えられるものなのです。全ての人が、その人の、進歩の程度に応じた悟りを、神より与えられるのです。

次に、ひと言だけ、「祈り」について話しておきましょう。

人は、近頃では、祈り、というものを、随分と軽視します。しかし、祈りは、元々、神の子である人間にとって、毎日の仕事だったのです。祈りを忘れた、からこそ、人の心は、増々、神から遠ざかって行くのです。

(質問:それではお尋ねしますが、私が、自分の個人的な幸福の為に、幾つかの、お願いをするなら、あなたや、あるいは、あなたをお助けになる龍神達は、私の望みを叶えてくれるのでしょうか。それとも、叶えてもらう為には、何かの条件が必要なのでしょうか。)

お答え致しますと、まず、祈りが、真剣なものでないと聴き届けられません。祈りが真剣なものであって、初めて、次に、その祈りを聴き届けることが、その人にとって、真に救いとなるか、が吟味されます。そして、最後に、その人にとって時宜を得たものであるかどうか、が検討されます。しかし、広義においては、聴き届けられない祈りは、一つとしてなく、何らかの形で、それが成就される方向に、私達の念力が働いており、仮に、実現しなくとも、その事によって、さらに、素晴らしい事が現われるよう、私達は、必ず祈っているものです。

ちなみに、あなたが念じておられる自己実現については、あなたの祈りは、二年以上も前から、私共の世界に響いて来ておりますが、いかんせん、時宜を得ていない為、どうすることも出来ません。あなたは、今、新しい天命の下に動き始めておられますが、この動きが本格化するまでは、あなたの願いを聴き届けるのは早過ぎる、と、私よりも上位の神々からの、お達しが届いております。それは、忍耐という事も、あなたの修行にとって重要だ、と、神々が判断しておられるからに他なりません。ですから、いましばし、お待ちになり、あなたの為すべき事に励んで欲しいのです。

(質問:A氏の事業につき、昨日、否定的なお考えであったが、これを、祈りの力によって、成功に変えることは出来ないのか。)

一時的には、祈りが聴き届けられないことが、理不尽に見えることもありますが、時間が経ってみると、もっと素晴らしい結果を生み出す為の踏み台であった事が、明らかになることが、よくあります。A氏も然りです。

(質問:あなた方、光の使者達の予言も、まま違うことがあり、それが、私を当惑させ、若干の不信を、あなた方に抱くことにもなっているのだが、その点につき、どう思われるか。)

確かに、私達の予言も、外れることもあります。しかし、その様な場合は、おのずと限られております。一つは、あなたと私共との関係上、何らかの答えを、しなくてはならない場合であり、その場合でも、あなたの、お心が、ある結果を非常に強く希望しておられる場合、私共は、どうしても、あなたの希望に水を差す様な事は、出来かねるのです。結果は、過ぎてしまえば、よく分かるのですから。

(中略)

昨夜でしたか、あなたは、神様に、次の二つの事を祈っておられましたね。

一、神仏の使者である事を、既に悟ったはずの者が、何故に、やはり、時によっては、悪霊の邪魔をうけ、肉体的にも変調をきたすのか。神仏の使者である者が、こんな弱い力しか、与えられていないのか。神よ、答えたまえ。

二、神仏の使者である事を、既に悟り、高度の霊能力を持っている者が、何故に、身近に住む人を、嫌に思うことがあるのか。彼らが、悪霊に憑依されている事は、十分承知はしているが、それらの者と闘う事も、一つの、与えられた使命であるはずなのに、悪霊に憑かれている人を、嫌がり、避けたくなるのは、いかにも弱々しく、とても、このままでは、神仏のお役に立つとは思えぬが、これについて答えてほしい。

この二つの事が、あなたの、祈りの内容だったと思います。小桜に分かる範囲で、お答えしたいと思います。

まず、最初の質問ですが、これは仕方がないのですよ。この三次元の現象世界は、善と悪、神霊と地獄霊が入り混じって磁場を造っているのですから、あらゆる機会を見て、悪霊は、あなたに、攻撃をかけてくるのです。それはそうでしょう。あなたご自身の、目的なり使命なりが、彼らの生きがいと、両立していかない、のですから、彼らにとっては、あなたは、邪魔になる敵、亡ぼしたい人の筆頭、みたいな人物です。あなたを苦しめているのは、単なる地獄霊は少なく、やはり、悪霊の頭、サタンと呼ばれている、目的を持って行動している悪霊が主です。

あなたは、彼らと闘う為に、この地上に生まれた、いわば、職業戦士ですから、彼らに苦しめられるのは、いわば、降りかかる火の粉、振り払わざるを得ません。せめて出来る事は、肉体を健康に保つべく、よくコントロールし、精神的疲労感を一掃して、抵抗力を付けておく事です。また、あなた自身の、将来に対する不安や、自信のなさが、彼らの、つけ込むスキになっておりますから、将来に対して、確固たる自信を持ち、古い言葉で言えば「不動心」ですね、これを養って行く事が大切です。

第二の点、これも難しいものですよね。霊的に目覚めれば目覚めるほど、他人を愛さねばならない、という使命感が強くなるのですが、それと、ちょうど反比例して、悪霊に対する嫌悪感が、強くなって参ります。過去の宗教家達も、全く同じ問題で、随分と苦しんで来られたのです。自分が人格的に高くなればなるほど、他人の欠点が、よく目につく様になってくる。また、真に善いものとは何か、を知れば知るほど、悪に対して敏感にならざるを得ない。また、霊的能力があるから、余計に、悪霊に対して過敏となる。ちょうど、悪循環が始まるわけです。

(中略)

さて、今日は、もう一つ、別の話をする為に、やって参りました。

あなたも、まだ、よくご存じない様な事として、転生輪廻の仕組みについて、お話ししましょう。

人間の魂が、幾代にも亘って生まれ変わる、という事は、ご存じですよね。けれども、実際に、どの様な仕組みで生まれ変わりが為されているのか、また、どういった過去世を生きたら、どういった未来世が待ち受けているのか、といった事を、詳細に述べられたものは、それ程ないと思います。

そこで、こちらの世界でも、魂の段階に応じて住む世界が違う事は、既に、あなたも、ご存じの事ですが、それらの段階別に、どの様な生まれ変わりがあるか、という事を、私の知る範囲で、お伝えしたいと思います。

まず、最初の例は、江戸時代に、ある藩に、お姫様として生まれ変わった人の話です。

その人の名を、仮に、千姫と呼んでおくことにしましょう。千姫は、過去世においては、チベットという国に、今から一千五百年くらい前に生まれました。その時は、とても厳しい修行の人生を送り、一生を独身で、まあ、いわば尼さんの生涯を送りました。そして、五十七歳で、ひっそりとした人生を閉じたのです。

この人は、十八歳の時に、非常に恋焦がれた人があって、その人と連れ添いたかったのですが、その人が、仏道修行の為に出家をしてしまい、とうとう結婚は出来なくなってしまったのです。そこで、他の人と、いまさら結婚する気にもならず、そのスミレの様な、うら若き女の身を、やはり、仏の道に投げ入れることになったのです。

けれども、その女心の深い底にあるのは、やはり、心に思った人への憧れ、真の仏道修行ではなく、死んで、あの世に還ってから、こそ、その恋する人と一緒に、夫婦になりたい、という思いでした。やがて、その様な恋心を押し包んで、尼として生きた生涯を終え、こちらの世界に、やって参りましたが、やはり、心のあり方は、仏の境涯には、ほど遠く、女として、もっと、人間的な一生を送りたかった、という気持ちで一杯でした。もちろん、想っていた人とは、こちらの世界で、一度きり会えましたが、彼の修行が、遥かに進んでいた為に、到底、夫婦になることも出来ず、ある人の紹介を受けて、私、小桜のもとを訪ねて来たのです。

その日は、そうですね、ちょうど小春日和の様な、穏やかな日で、朝から、小桜の胸には、「ああ、今日は、誰か私を訪ねて来るな」という、虫の知らせの様なものが、ありましたので、じっと持っておりますと、ちょうど、お昼前後頃だったでしょうか、歳(とし)の頃は、二十八歳ぐらいの、尼さんの姿をした彼女が、やってまいりました。日本の尼さんに近い格好で、白い頭巾(ずきん)を被り、紫色の袈裟(けさ)の様なものをまとい、足は白たびでした。右手には、なぜか、巡礼が持つ様な、鈴の付いた杖を持っておりました。

「あの、小桜姫様を、お訪ね申したいのですが。」「私が小桜です。さあ、こちらに上がりなさい。」といった会話から始まり、彼女の身の上話を、延々と、何時間も聴きました。小桜も、結婚こそ致しましたが、死に別れた夫の事で、心の修行を重ねて参りましたので、そういった点が、共感を呼んで、彼女を、私のもとに呼び寄せた様です。

彼女の願いは、もう一度、人間として地上に生まれたい。ついては、日本の国が、仏国として栄えているゆえ、もう一度、この国に生まれ、心を入れ替えて、ここで修行をし直し、こちらの世界に来ている、心に思い染めた人と同じ境涯にまで達して、改めて、その人と夫婦になりたい、というものでした。

なるほど、「女の一念、岩をも通す」と申しますが、この方の場合は、「女の一念、三世を通す」とでも申しましょうか、とにかく、凄い、思い込まれようです。

しかし、小桜は、この女性が、また、尼さんの様な生涯を、日本の国で送ることに、反対致しました。その様な恋心で、仏門に入っても、結果は見えている、と申しますか、前回と、恐らく同じになってしまうし、それでは、せっかく、小桜達の国まで来て、生まれ変わる意味がないではないですか。

そこで、小桜は、全く反対の生涯を、この女性に提案したのです。つまり、大名の家に、お姫様として生まれ、華やかな生活を送る中で悟る、という生涯です。小桜の意見では、人間は、格別に仏門に入らなくとも、日常生活の中で悟ることも可能だし、神様は、恐らく、私たち、女性に対しては、むしろ、そちらの方を望んでおられるに違いありません。

女の人は、正常な結婚をして、貞淑な妻として夫に仕え、家庭の要(かなめ)となって行く中で、神の道、仏の道に誘われるのだ、というのが、小桜の考えですし、また、私が、現在、神様の一人として小桜神社に祀(まつ)られている理由も、私が、神の道、仏の道を修行したから、ではなく、女として生きた一生の中に、神仏の心に適(かな)う所があったから、だと思います。

この女性は、丸一日、私の話を聴いて、納得しました。ところが、次は、一体どうしたら、お姫様として生まれ変わることが出来るか、が、問題となりました。私も、その辺の事は詳しくありませんでしたので、いつもの、指導役の、龍神のお爺さんに、お願いしたところ、こういう事を伺いました。

つまり、それぞれの産土神(うぶすながみ)のお治めになる領地の中に、「生まれ変わりの森」という場所があるのです。生まれ変わりたい人は、その森に行くと、そこには、小さなお堂があるのですが、その前で、自分の過去世の告白をし、自分のどういう所を、どの様に改めたいから、今回は、どういう地域に、どういう自分で生まれたい、そして、この様な事をしたい、という事を、願い(がん)懸けするのです。祈願の内容が、産土神の御心に適(かな)えば、すぐに許可されますし、許可されない場合には、しばらく産土神の命ずる所へ行って修行を積み、もう一度、生まれ変わりの目的と希望内容を、祈願するのです。

こうして、産土神に、生まれ変わりを認められると、次は、「生まれ変わりの池」という所を目指して歩いて行きます。そこは、「生まれ変わりの森」から、歩いて一時間位でしょうか、森が途切れた所で、ちょっとした、そうですね、三メートルぐらいの崖(がけ)になっており、その下が、直径二十メートル位の、美しい池になっているのです。その池を、崖の上から見下ろすと、予想に反して、自分の姿は映らず、池の中に、何層にもなって、世界が見えて来るのです。深い所の世界、浅い所の世界などです。

しばらく見つめていると、池の底の方に、自分が生まれ変わって行く先の世界が、見えて来ますので、そこを目がけて、思いっきり飛び込むわけです。一旦、池に飛び込むショックで、皆んな気を失ってしまいます。そして、母となる人の胎内に宿るわけです。この「生まれ変わりの池」に飛び込む時に気を失う、という事が、人間が、地上に生まれて、過去世の記憶を失ってしまう理由なのです。この「生まれ変わりの池」に飛び込む所が、崖になっている理由は、それだけの覚悟をして、生まれ変わって欲しい、という意味からです。

中には、この崖まで来て、気が弱くなって引き返す人も出て来るのですが、大抵は、その人の守護霊や指導霊に説得され、付き添われて、もう一度帰って参ります。ごく稀な例としては、産土神にお詫(わ)びをして、やはり、霊界に留まる人もいる様です。そういった人は、やはり、生まれ変わりの時期が来ていないのであって、まだまだ、霊界で勉強しなければならないのです。産土神も、その事を十分承知しながら、本人に、自分自身で思い直してもらう為に、「生まれ変わりの池」まで行かせることがあるそうです。

ところで、例の女性ですが、無事に「生まれ変わりの池」まで辿り着き、首尾よく、お姫様に生まれる事が出来ましたので、どうか、ご安心ください。これが、生まれ変わりの、一つの例です。


次は、別の視点から、私達の世界の事を、ご紹介致したいと思います。お伝えしたい事は、この地上に生まれる時、親子、兄弟、夫婦、友人達の縁が、どの様に出来るか、という事です。

まず、親子について、お知らせしたいと思います。親子の関係というものは、非常に縁の深いものです。これは、一回や二回の生まれ変わりで、出来たものではありません。

親子となる場合は、次の様なきっかけで、そうなるのです。

一、過去世で、大変、お世話になった方への、お礼の意味で、親となる。

二、職業的に、大を成す事を計画している人が、その職業を予定している人と約束して、子供となる(音楽家などに多い)。

三、過去世でも親子の関係があった。

四、魂の傾向が似ている者同士が、互いに、引き付け合う。

五、高級神霊が、或るご計画達成の為に、親子となるべき魂を、決められる場合。

大体、以上が、親子となる場合です。


兄弟となると、多少、色合いが変わって来ます。親子となるよりは、多少、結び付きは希薄となりますが、何らかの縁で結ばれている事に、変わりありません。

一、男親、或いは、女親と、別々に縁があり、当事者同士は、それ程も、知り合っていない場合。

二、過去世で、兄弟、或いは、友人だった場合。

三、過去世で、敵、または、ライバルだった者達が、そのカルマの刈り取りの為、兄弟となった場合。

四、かつて、恋人、或いは、夫婦であった者達が、今世でも、どうしても出会いたい、というので、兄と妹、姉と弟となる場合。

以上のような場合です。


さて、夫婦の問題が微妙です。これは、親子と同じ位か、ある意味で、親子以上に深い縁、とも言えます。というのも、男の魂にとっても女の魂にとっても、人生の大半を共に過ごす伴侶であり、互いの人生への影響度は、甚大だからです。ですから、例えば、女性の人生は、この世に生まれる前に、あの世で、夫となるべき人を選定する段階から大事になっているのです。

さて、夫婦になる縁には、次の様なものがあります。

一、過去世でも夫婦であった場合(これが一番多い)2222。

二、過去世では、恋人同士、または、片想いであった者で、結婚出来なかった者が、どうしても夫婦になりたい、と、約束する場合。

三、過去世で、互いに傷つけ合い、争い合った者が、そのカルマを刈り取る為に、夫婦となる場合。

四、神霊界の媒酌人の引き合わせにより、未知の魂同士が、新たな人生計画を遂行する為に、選ばれる場合。

大体、以上の場合が、夫婦の縁ですが、どの場合にも、この地上界に生まれて来る前に、霊界において、夫婦の約束をして、出ている事が肝要です。

この事に関して、次の様な問題が派生して来ます。

まず、第一番目は、貞操観念についてです。

近年(1980年代)地上界では、世界的に、貞操観念が薄れ、残念でなりません。男女の、自由な性的結合が行なわれている様ですが、何か、盲目の者同士が、手探りで、手に触れるものを何でも掴(つか)んでいる様で、不愉快な感じがします。

妻だけしか女性を知らない男性、夫だけしか男性を知らない女性、の存在が、滑稽視(こっけいし)される様な、世の風潮に対して、小桜は、とても悔しい想いで一杯です。むしろ、怒りに近いものを感じます。

夫婦というものは、この世で、二十数歳の男女として知り合ったのが、最初ではないのです。既に、この世に生まれる前から、一緒に努力してやって行こう、と、約束した仲なのです。ですから、自分の妻となるべき女性、以外に、手を出す男性は、他人の妻となるべき女性を、奪うのですから、実在界(霊界)から見たら、泥棒と同じです。また、何人もの男性に身を任せる女性も、契約違反そのものです。自分の名前が、一つしかない様に、自分の家が、一つしかない様に、妻、または、夫となるべき人は、一人しかいない、と考えるのが筋です。

第二の問題として、離婚、および、再婚、というものについて、考えてみたいと思います。

離婚、および、再婚が、多くなったのは、この世的条件で相手を見ることが多くなった、という事が一つ、また、妻以外、夫以外の男女を知る機会が増えた事が、一つです。女性の職場進出が増えて行く今後、離婚、再婚の問題は、増々、多くなって行くでしょう。

この背景には、男女を、別々の個性と見なし、互いに尊重し合いましょう、といった、西欧的な考えがあるのは明らかですが、本当の、正しい認識は、男女は二人で一組となっている、と、考える事なのです。お互いを尊重するのではなく、自分自身を尊重する、という事なのです。

とはいえ、再婚が悪いわけではありません。青春期に、好きだった人が一人きり、という人は、少ないと思います。同じ様に、夫婦となるべきカップルも、ベスト・カップルと、ベター・カップルとがあって、前者の場合には、相手は一人しかいませんが、後者の場合には、相手が複数いる場合もあるのです。ですから、たとえ、再婚したとしても、その知り合った相手を、縁ある人として、大切にして行くことが大事です。偶然なるものは、この世には、ないのです。全て、目に見えない、張り巡らされた縁の糸によって、人々は結び付けられて行くのです。

同じ様な事は、友人の場合でも言えます。この世限りで出来る友人もいますが、多くの場合は、何回、何十回もの転生輪廻で知り合った者、同士であることが多いのです。また、特に、高級霊が、使命を持って、この地上に肉体を持つ時には、彼を守り援助する為に、過去世の弟子や友人達が、大挙して、同時代、同地域に生まれて来る事があるのです。

ですから、互いの魂に影響を与え合う様な友人同士は、今世限りのものではない、という考えのもとに、立派な友情を築いていって欲しいものです。

過去世からの縁、というものを、随分と話して来ましたが、他方では、今世で始まる縁、というものもあるのですから、これも、また、大切にして行きたいものです。

目に見えない糸を、大切に紡いで行きましょう。その事が、あなた方の魂の向上に益する事も、また、多いのですから。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿