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草刈り、に思う

2019年06月05日 | 日常生活

しばらくブログの方、ご無沙汰しておりました。

その間に、それほど特に、これと言ったこともありませんでしたが、実家の母の所ヘ、しばらくは行ってました。畑の草を刈ってくれと頼まれたからなんです。その間、結構どっぷりと、3次元的な暮らしだったと言えるかも知れません。

私は、以前から、そうそう草なんてものに神経質になることはない、もっと別の、気にし、目をやらなくてはならない事は一杯あるのだよ、と言ってはおりますが、状況を見ると、放ってもおけない、ということなんです。

多くの人々が、異常に、世に言う、草、雑草といわれるものを気にしますね。
そうなんです。もう、何をしてでも、毒物である除草剤を生活の場に撒き散らしてでも、家の周囲の望まない植物を除去することを、まるで必須の義務のように思い詰めているかのように見えます。

実家の方でも、草を生やしたままにしておくと、ご近所の人に言われる、と、ずいぶん気にしているようです。で、放っておいて、やらせておくと、とにかく言われないように、除草剤でも何でも言われない処置をしよう、という行動に出てしまう可能性があります。

で、私のような者の登場、となるわけです(苦笑)。

草の刈り方ですが、以前には、機械を使って一気にガーガーとやっていたこともあります。けれども最近は、丈夫な鎌(カマ)を使って、コツコツカンカンと、根ごと取るようにしています。

それでも、直ぐに、また生えて来ます。これは、私は、ありがたい事だと思うんです。もし、これが、永遠に生えて来なければ、どうでしょうか?困りますよね、きっと。野菜とかも、草ですからね、基本的には。

鎌でやると、いい事は、全部は取らないで、残すものを選べる(まあ、残し出すと殆んどが残ってしまいそうですが)のと、それに、間近で、小さな、雑草とひと括りで呼ばれている植物という生き物たちを観察出来る事でしょう。

皆んな、それぞれ、良く出来ているんです。よくこんなものが考えられるよなぁ、と思い、いつもながら感心してしまいます。それぞれが、決しておろそかにされることなく、絶妙にデザインされているということなんです。
家の近所の、その辺にある、いわゆる草むらをよく観察して見ると、そこには、小さなジャングル、あるいはビオトピアとでも言いたくなるような生態系が、密かに息づいていることが分かります。

なぜ人々が、それほどまでに草々を目の仇にするのかと言えば、まあ、稲作や野菜作りを通じて、植えた作物以外の植物に養分を奪われて収穫が悪くなる、ということが、経験上か妄想か、人々の意識にあり、それが、いわゆる雑草に対する敵愾心のようになっているのかも知れません。

ですが、その雑草たちが、それほどまでに排除されながらも、なぜ、ああやって繁茂出来るのか、その事についても、よくよく考えてみる必要があるのではないでしょうか。

それが判れば、今の様に、作物の栽培に過剰な手間をかけたり、あるいは、それこそ生態系を無視して無理やり雑草を排除したり、そうした無益なことを続ける必要もなくなっていくのではないでしょうか。

まだ、そうした植物の事は何も分かっておらず、研究の方向も方向性も修正の必要あり、という事になろうかと思います。

植物にも生命体としての意識がある、ということ、その辺の認識から入っていく、それが一つのヒントになるのではないでしょうか。あるいは、植物の生育には、精霊が世話をしている、ということもありました。つまり植物の栽培というのは、精霊の方たちとの共同作業だということですね。まあ、そうしたことも認識されていく必要があるのでしょう。


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