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インカ文明と地球の未来、リエント・アール・クラウドのメッセージ

2018年12月20日 | 歴史関連

以前、ブッダについての記事の中で、このクラウドという方に触れ、仏陀と言われた方の過去世の一つ、という様な説明だったと思います。内容が少し違うかも知れません。元はインタビューですが、編集しております。カッコ内は補注です。


(ここから)

私の名は、リエント・アール・クラウドです。

私は、今から、およそ七千年前に、インカ帝国に生まれた者です。インカ帝国の王でありました。

私の時代には、いわゆる、祭政一致といいますか、「政(まつりごと)」は、即ち宗教でもありました。その頃のインカ帝国では″太陽神″を信仰しておりました。人はどう生きねばならぬかというような教えが中心に説かれました。その当時の人達は、現在のあなた方に較べれば、はるかに神理を知っておりました。彼らは生きながらにして、あの世、我々(霊人)の今いる世界の人達と話が出来るという能力を持った者が多く、私は、その長として、インカの国を治めていた者です。

私のインカの国は、今から七千年も前のこと、(ヨーロッパ人によって)減んだインカはごく最近のインカのこと、(後の方の文明は)文明としては、既に衰え果てた文明であります。その頃のインカの人びとは、その後また多く生れ変わって来ております。

インカの民族は、必ずしもアジアから移動したわけではありません。アジア民族よりも古いものです。古代アトランティスからも、かなりの人間がインカの国へ逃れて来ました。また、ムーという国もありました。ここからも人々が流れて来ました。それがインカ文明の源流であります。

アトランティスは、今から約一万年前に、(海中に)沈没しました。ムー(の沈没)は、一万五千年ほど前です。その時に、そういう大陸の国々から、人々が渡って来ました。元からインカにいた人達もおりました。けれども、そうした文明を持った方々が、インカという国に流れ込んで来ることによって、新たな文明が興きていったのです。

その頃のアトランティスや、ムーの大陸の方々は、非常に高度な精神文明を持っておりました。例えば、テレパシーによる通信というものも可能となっておりました。科学文明も現代とは変わったものではありますが、非常に優れたものを持っておりましたし、海にも潜れば、空も飛ぶというような状況でありました。それは、機械を使ってですが、現在で言うならば、飛行機とか潜水艇とかいうようなもので、形は違うが似たようなものです。(その科学は)自然科学というものではなくて、ムーとかアトランティスにおいては、精神科学と自然科学とが一体となって進歩していたのであります。

私は、仏陀とは、言わば、魂の兄弟です。この、兄弟という言葉は、元は一つであるが、個性が違うという意味です。それは、同じ目的のために作られた魂の一人であります。また(分身という言葉がありますが)分身というのは、同一個性をもった人間が、一人が、何回も、何人にも分れて、現世に生れて来るということであります。

神は、様々な目的のために、天使達を作られました。そして、例えば「法」を説くために作った天使があります。そして同じ目的のもとに、何人かが組をなして作られているのです。

例えば、愛を説くという目的のために生れた人達もいます。例えば、知恵、知力をもって世を強化して行くために生れて来た天使たちもおります。

あるいは、奇蹟を起こして行くということを目的に、生れた天使たちもおります。医術を施すとか、芸術を盛んにするとか、その他、様々な目的があるのです。それも神の色々な御意(みこころ)の顕れ方であります。

たまたま(ここで)使っている兄弟とか、分身とか(いう言葉で)言われる魂系団は、もちろん一般の方々の魂の兄弟とは意味が違います。そういう魂の集団と申しますか、何人かのグループ、役割を持ったグループというのがあります。たまたま、私とか釈迦牟尼とかいう魂は、「法」を説くために、何千年かに一回、法を説くという使命のために作られている魂の兄弟なのです。その目的において一つだということであります。

また愛を説くためのグループがおります。これがあなた方もご存知の、イエス・キリストのグループであります。彼にも、魂のグループがあるのです。

イエスは、エジプトの地にクラリオという名で生れております。イエスの先々代はアトランティスに生れております。やはり同じような王であって、彼の名前は、アガシャーと呼ばれたものでした。それは、一万年を少し遡るくらい前のことです。やはり、アガシャーも愛を説いておりました。彼のグループは、いつの時代にも愛を説いております。

今後予想される、新しい時代の教えの、やはり中心は、心の教えであり、この三次元と、他次元空間との関わり合いを解明するということが第一義となりますが、第二義、第三義として、やはり、この現代の世を解明して行くための社会学なり、経済学なり、心理学なり、様々な幅広い学問領域を越えた教えというものが必要となって来るでありましょう。これまでのような宗教では、現代の人たちを救うことは出来ないのです。

現代には現代の、様々な困難や悩みがあります。それは、高度に発達した社会、文明、高度に発達した経済、こういった中において、人間の悩みが生れているからです。原始時代の人間の素朴な悩みでは済まないのであります。あなた方は、人間の心の悩みを解決すると共に、この文明を如何なる方向に進めて行くかという、大きな指針を打ち出して行かねばならないのです。

教えを説くための、少なくとも器自体は、自分が作らなければ、誰も作ってくれません。

かなり専門的知識というものが必要になってくるでしょう。例えば今日の宗教家の中で、世界経済に対して意見を言える人がおりますか。例えば、政治制度について、どれだけの意見が言えますか。法組織に対して、どれだけの意見が言えますか。株式会社制度に対して、どれだけの意見が言えますか。未来のあるべき社会の相(すがた)に対して、どれだけのことが言えますか。今の宗教家達のうちの一体誰が未来のユートピアの″相(すがた)″を説くことが出来ますか―。

必要とされているのは、来たるべき未来社会の相であり、来たるべき未来社会の中で人間が如何に生きて行くべきかということなのです。

いまユートピアが出現すべき時期が来つつあるのです。地球自体が、ユートピアになるということ、これが最終ユートピアです。地域、地域のユートピアを目指す動きは、今までもあったでありましょう。けれども、地球一つが、地球全体がユートピアになるという時期は、今のこの時期を逃がしてはあり得なかったということです。

高度に発達した文明、文明の利器、通信、経済、交易、こうしたものによって、いま地球は一つになろうとしています。(それは)五百年前に可能でしたか、千年前に可能でしたか、二千年前はどうですか、不可能でありましょう。

宗教も、また地球的な宗教となるべき基盤は出来て来ているのです。このような文明の発達なしには、地域宗教としての制約を免れることは出来ないのです。いま世界は一つになり、地球は一つになり、新しい地球文明の中の、一つの大きな宗教というものが、生れるべき素地が出来て来たのです。

古い文明は滅びていくのです。新しい文明が興るのです。それによってこそ、人類の大いなる進化も、地球という、神の創られた″磁場″の進化もあるのではないでしょうか。一つの地域に、永遠に文化が栄えることが、本当の進化でありましょうか。

地球規模の破壊(があるかどうか)ということで言えば、創造の前には″破壊″があるでしょう。古いものを壊していかなければ、新しいものは建設されません。破壊という一局面だけを捉えれば、それは非常に悲惨なものとなるかも知れませんが、新しいものを生み出していくための脱皮であります。神は手荒い大工であり、作業人であります。それは、人為的に行われること、天災として行われること、全てです。

考えてみなさい。新時代を迎える時期には、いつも共通の、目的なり、危機がある時ではないでしょうか。例えば、良くない例ではありますが、戦争という目的があれば、国民が一つにまとまった、そういうこともあるでしょう。しかし、地球的な規模の災害や困難が来た時に、初めて、世界人類は手を一つに携えて、皆んな共に頑張って行こうということが起こる、かも知れません。それまで、いがみ合っていた者達も、危機に際しては一丸となり、それに立ち向かおうとするかも知れません。

そういう危機、あるいは戦争を経験するということも、永い眼で見れば、魂のどこかの面で、進歩のために役立ってはいるのです。戦争を知った次の世において、初めて平和の大切さというものを考えることもあるのです。

アトランティスは一夜に沈みました。彼らの一部の人間だけが逃れて来ました。そしてアンデスの地に、また新たな文明が興りました。神の描かれた世界計画は、形は違っても、いつも本質は一緒なのです。アトランティスは不幸かも知れません。しかし、インカの国は栄えました。インカも、やがて滅びました。しかし今度は、ギリシャの地に、そしてヨーロッパに、アメリカにと文明は広がって行きます。

アトランティス人であるならば、神は、なぜ、この大陸を一夜にして沈めなければならないかと、天を呪ったことでありましょう。しかし、神の、何百万年、何億年という眼で見た世界計画は、彼らには、とうてい分らないのです。一夜にして没した大陸の中には、善良な人達もいたのです。優れた人達もいたのです。宗教家も、神学者も、哲学者も、経済学者もいたのです。善良な家庭、家族、良き父、良き母、そして良き子供達もいたのです。彼らはみな、海の藻屑(もくず)と消えて行ったのです。

なぜでしょう、なぜ、そんな悲惨なことが起きたのでしょう。しかし、神の眼から見たら、それは悲惨ではないのです。大いなる進歩の前の荒療治なのです。そして、神は、もっともっと大きな眼で見ておられるのです。神は、この地球の上の、人間の生死というものだけに、それほど大きな配慮はしていないのです。なぜなら、人間は、永遠の生命を持っているからです。

もし、人間に、永遠の生命というものがないならば、これは不幸であります。神は、決して戦争を許してもいけないし、大陸を沈没させてもいけないのです。そうでしょう―。

人間は何億年、何十億年と生きて来たのです。そのうちの、僅か六十年、七十年という時を、この地上の、ある地域に住んでいる、というだけのことなのです。大きな眼から見れば、そのまま七十年の寿命を完うしたことが、その人の魂の進化にとってプラスになるのか、あるいは三十年、四十年の厳しい人生を生きたことがプラスになるのか、これは分り兼ねることです。

まあ今後(1980年代以降)、色んなことが起きるでしょう。それは数十年のうちに起こるでしょう。恐らくは、あなた方が生きているうちに、一部それを見、それを聞くことになるでしょう。

(その時の)あなた方の任務があるとすれば、それは、闇夜の法燈であります。世界が闇に沈んだ時に、どこかで、光が必要なのです。光が射して来れば、人々はそれに向かって歩んで行けば良いのです。光は、大きな光である必要はないのです。世の中全てを照らす程の光など、あなた方に持てるはずはないではないですか。しかし、世が闇夜となった時に、たとえ一本の蝋燭の灯であったにせよ、光があるということは、人々に進むべき道があるということです。一本の蝋燭の灯であってよいのです。あなたは、あなたで、蝋燭の灯を点ければよいのです。迷うことはないのです。あなたは、あなたがやれる灯を点せばそれでよいのです。

法燈を点(とも)しなさい。照らしなさい。さすれば道が見えます。世の中、全てを光らそう、照らそうとすれば無理が起きます。それは、あなた方の任を超えたことです。闇夜の一燈となりなさい!真なるものが、どこかに、この地上にあればよいのです。

あなた方には、あなた方の出来る範囲のことをやっていきなさい。その後のことは、その後の人たちがやっていくでしょう。

他の人間は、また他の光を点すでありましょう。あなたはあなたで良いではないですか。あなたにとっての蝋燭は、一体何であるか、それは、あなたが一番よく知っているはずです。他の人間には分りません。あなたにとっての蝋燭を探せばいいし、あなたにとっての懐中電灯を探せばよいのです。懐中電灯をあなたが照らしたからといって誰も怒りはしません。蝋燭の方が良かったのに、とは言いません。懐中電灯は懐中電灯でよろしいです。蝋燭の灯を点す人は、他に出て来るでありましょう。それはそれでよいではないですか。

あなたにとっての蝋燭、あなたにとっての懐中電灯は何か、ということを、自ら問い自ら見つけなさい。あなたが一番知っています。教わるのではなくてあなたが知っています。あなたが出来ること、あなたに不可能なことをやれといっても出来るわけはないのです。あなたに出来ることといえば自ら限られているはずです。それを選び取りなさい。

それ以外の方法、いくつかの方法があるでしょうが、それは、あなたには縁のない方法であります。

(時には、世の人々に警鐘を鳴らす必要もあるでしょう。その時の)その槌は天から与えられます。あなたは、その槌で、警鐘を叩けるときに叩けばよいのです。一回叩こうが、五回叩こうがよいのです。やれるだけのことをやりなさい。

(世の中の人々に、時に警鐘を打ち鳴らすという役割)、それはあなたにとって、不安、悩みとなっているようにも思えますが、それは、あなたの全人格にとって、永い眼で見るならば、苦しみだか楽しみだか分かりません。そのような時代に遇って、警鐘を打ち鳴らせることを、少なくとも、光栄と感謝しなければなりません。そんな、大きな心を持ちなさい。蚤に噛まれたら、もう今日明日にも死ぬような、そういうふうに思う人もいるし、蚊に血を吸われたらすぐマラリヤを患って死ぬのかと思って大騒ぎする人もいるし、それはその人の自由でありますが、それは、自分の永遠に続く全魂から考えてみて、よく判断することです。

現在、私がいるのは、あなた方が九次元と呼んでいる世界です。

九次元の世界は、もはや地球を超えております。九次元世界の住人は、もちろん、地球において肉体を持ったことのある人も、いますけれども、太陽系および太陽系以外の世界にも広がっております。我らはもう星というものを超えております。その九次元世界には、イエス、モーゼ、エル・ランティ様などと言われる方々がおられます。そういう″念″が常におられるわけです。

そういう方々とは、コミュニケーション、互いの意志を通じ合わせるような会話、あるいは意志の交換とか、そういうことをしております。地球の、戦争なり、地殻変動などに関しての、人類の指導方向などについての協議とかも、しております。

ただ、あなた方が認識するような、人間的な形ではありません。今あなた方に言っても、想念だけがあるとか、意識だけがあると言っても、恐らく分らないでしょう。手近な分かるような形をもって言うとすれば、もやもやとした″ガス体″が、相手を認識するのに、例えば、古代インドの姿で考えてみたり、古代エジプトの姿で思い描いたり、その対象者を認識しようとする主体者が、色々と焼き直して考えてみるだけです。だが、そうした容体というものは、どこにもないのです。

あなた方は、まだ物体的なものの見方で、我々の意識、魂を観ようと考えがちです。でももう、ここに在るのは「念」だけなのです。″想念″だけがあるのです。あなた方に分り易いように、三次元には肉体があり四次元には幽体があり、人間的な形をとっているけれども、これは一つの便法であって、そうしないと自分とか他人を認識できないから、そうした形を「神」がお与えになっただけで、我らの世界に来るならば、そうした″体″ではなくて意識とか念だけが存在しているのです。

それを人間的に解釈し直すと、それぞれの肉体を持ったような姿に見えるだけのことであって、そのようなものはないのです。念だけがあるのです。その念が、いま九次元にあるのか、三次元にあるのかと言われても、これは非常に難しいことであります。念だけがあるのです。三次元世界を思っている私があるのです。分かりますか。

リエント・アール・クラウド、という名称で表わされているエネルギー体があるのです。リエント・アール・クラウド、という名で称ばれている、例えば「電磁波」があるのです。″電波″があるのです。リエント・アール・クラウドという電波なのです。この電波は、三次元に向かって放送されると、お聴きになっているような意味をもった言葉となるのです。九次元の世界で放送(放射)されているのが通常の状態だということです。電波(霊磁波)だと思って下さい。

在るのは、意識、愛に充たされた意識、慈悲に満たされた意識、法に満たされた意識、知恵に満たされた意識、こうしたものだけがあって、この愛なり、知恵なり、法なりを、九次元から八次元へ、七次元へ、六次元へと、放射しているのです。
(1985.5)


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