アセンション アシスト ASーAS

地球とは、本当はどういう所でしょうか、情報を集め、知っていくページです。

盆栽に思う...

2017年04月06日 | 雑感

桜の花を求めて、ご近所にお散歩に出たら、知らない道があちこちにあることに気が付いて、そういう所へ入って行ってみたら、思わぬ所へ抜けて出たりして、そんなことをして遊んでいました。

すると、ある家のブロック塀の上に、松の木の鉢植えが並べられて、盆栽仕立てにされていたんです。盆栽というのは、ご存知のように、鉢植えの木の枝を、添え木だとか針金によって手を加えて、木の形を望みの形にしていく趣味ですね。

以前だったら、この木はどんな風な枝振りになって行くんだろう、などと、ある種の興味を持って見たかも知れませんが、最近は違ってました。

針金で、がんじがらめにされている木たちが、何だか気の毒と言いますか、木の毒と言いますか、そんな感じがしたんです。

まあ、植物とは言え、木は、木なりの、自由で気ままな生長を望んで、地上に生えて来たのではないでしょうか。それが、あれこれ勝手な人間の思惑に、干渉されるようになるとは、どういう事なんでしょうか。

これは、今の人間社会にも、そのまま言えることですね。教育や行政、就職したら企業や会社の上司、もうあれこれ、こうさせたい、ああしなきゃいけないと、がんじがらめの干渉に曝されます。

そういうことをエネルギー的に見れば、どういう事になるのでしょうか。

まず、波長同通の法則という事があります。そういうことが嫌な人は、入って行けない世界ですね。伸び伸びとやりたい人は、そういう所では苦痛を強いられます。

そして、原因結果の法則というのがあります。相手にした事は自分に返ってくる、という事です。今の規制社会を維持している人達は、将来とても不自由な干渉を、他から受けるかも知れません。

いずれにしても、他の生命体に対する過剰な干渉というものは、望ましい結果として返って来ないように思われます。

さて、最初に触れました松の木の盆栽ですが、松の木というのは、先の国常立尊のメッセージ(伊都能売神諭)にありましたように、地球上に最初に生えて来た植物だそうで、木の公(きみ)という意味だということでした。

まあ、大変な方を、がんじがらめにしたものだと思いますが、そういうことにも、出来れば、私たちは気付きを得て、植物の方々共々、未来に向けてより良き進化の道を歩んで行きたいものです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿