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アセンション事件簿37、チェルシー有罪の証人は夫?

2021年12月17日 | 出来事
ビルとヒラリー両方の、クリントン氏の娘、チェルシーの軍事裁判について見ています。

チェルシーが、そんな人間に育ったのは、通常なら、親が子育てに失敗したからということになるんでしょうけれども、ハザール人の場合は、逆に、ある意味で子育てが上手くいったからそうなった、という所が、なんとも複雑な気持ちにさせられます。

この情報は以下のサイトの記事の内容を翻訳したものです。

https://realrawnews.com/2021/10/chelsea-clinton-military-tribunal-day-i/


(ここから)

チェルシークリントン軍事法廷、1日目
マイケル・バクスター記、 -2021年10月28日


火曜日に、チェルシー・クリントンの軍事法廷は、ゆっくりと始まった。

それは、彼女の弁護士であるクリントン財団の、ロバート・S・ハリソンが、1時間の(弁護側)冒頭陳述を行ったためである。

その陳述では、彼は、彼のクライアント(チェルシー)を、両親の犠牲者として描き出した。

その威圧的で虐待的な両親は、多感な幼い少女(であったクライアント)を、体系的、心理的に操作したが、それは、彼女の12才の誕生日に始まった。そして、それは(彼女の父親の)ビルが、アメリカ合衆国大統領に選出されて間もなくの頃のことだった。

切々と語る独り語りの中で、ハリソンは、ビルとヒラリーが、ある日、クリントン財団を運営し(将来的に)米国の大統領になるように、娘を強制的に訓練するようになったと主張した。

「チェルシーは、裕福な人々、お金持ち、強力な人々を尊重し、貧しい人々と恵まれない人々を避けるように教えられました。

彼女の両親は、彼女に、裕福な人だけが普通の生活を送るのにふさわしく、貧しい人々は使い捨てであり、汚いぼろきれのように捨てられるかも知れないと言いました。

しかし、幼いチェルシーには、強い意志があり、強い印象を受けはしましたが、彼女は、両親の世界観を盲目的に受け入れることはありませんでした。

殆んどの10代の若者と同様に、彼女は、時々、両親に逆らいましたが、殆んどの10代とは異なり、彼女は、厳しい、言い表せない罰に耐えました。」ハリソン氏は語った。

13歳のチェルシークリントンは、アフリカ系アメリカ人の少年と友達になり、それはホワイトハウスの低い地位のスタッフの息子だった、と彼は言った。彼女の両親は、彼女の新たに見つけた友人を知った時、マイノリティとの交際であったために、彼らは、自分の娘を厳しく叱りつけ、彼女に、すぐにその友人関係を解消するように要求した。しかし、チェルシーは抵抗し、ビルとヒラリーに、その少年は彼女の最良の友であり、いつか、彼と結婚したいと思うと言った。

「それで、ビルとヒラリーは、何をしたでしょうか?彼らは、彼女を厳しく罰したのです。彼らは、13歳の娘を、D.C.の最もみすぼらしい人々の多い場所に車で連れて行き、彼女を降ろして、家まで遠路を歩かせる前に『彼らと一緒にいたいなら、彼らの暮らしを見なさい、それが、きみの人生だ』と彼女に言いました。

同様の出来事が、1年後に発生し、チェルシーは、2日間クローゼットに閉じ込められ、水しか与えられませんでした。彼女はストックホルム症候群を発症し、共鳴し、両親の世界観に共感するようになったのです。もし、ここにいる誰かが犠牲者であるとするなら、それはチェルシー・クリントンでしょう。私は、600ページのエピソードを持っていますから、読めます。」

「どうか、もう、止めて下さい」

法務審議官部隊の軍団に代わって、この事件を提訴している少将ダース・E・クランダルは、検察官席から言った。

「分かりました。あなたは、私たちの尊敬する士官たちから、同情を引き出すことを目指しているのでしょう。

ですが、ここに事実があります。

私たちは、13歳、14歳、15歳、あるいは、16歳のチェルシー・クリントンを起訴しているのではないのです。私たちは、41歳の女性を起訴しているのです。

彼女は、一人で、そして自分の母親と一緒に、その両方で、子供の人身売買をする組織を運営しており、その組織では、何百人もの、もし何千人でなければですが、子供たちを、彼女らの『友人』たちの間で分配し、送り届け、あるいは、最も高額の入札者に無条件で売り渡していたのです。」

少将クランダルは、彼の最初の証人である、チェルシーの風変わりな夫、マーク・メズビンスキーを証言台に呼んだ。

ZOOM(映像)ではなく、本人が直接出廷したメズビンスキーは、(その関係の始まりの頃)クリントン家との人間関係と、ビジネス上の取引の基礎を築いた。

宣誓の下で、彼は、2005年に、クリントンに最初に求愛したとき、クリントン家の犯罪的な危険な事業については全く知らなかった、と証言した。

「私は、1993年から彼女の家族を知っていましたが、チェルシーと私は、2005年まで関係を正式なものにせず、そして、2010年に結婚しました。私は、その後まで、彼らの犯罪行為については知りませんでした」とメズビンスキーは言った。

「説明してもらえますか、メズビンスキーさん。チェルシーと結婚する前の12年間、クリントンの家族を知っていたのに、彼らの犯罪活動に気づかなかったのは、どういうことなのか? それは、ありそうもないことのように思われますが」少将クランダルは言った。

メズビンスキーは、クリントン一家が、自分たちの内輪の者以外の、誰も、彼らの犯罪について知らなかったほどに、巧妙に、自分たちを隔離した方法について明らかにした。
彼は、自分の純朴さを認め、チェルシーにすっかり魅了されていたので、彼らとの人間関係の範囲を超えた全てが「ぼやけてしまったのです」と言った。クリントン一家は、偽装と隠蔽の達人たちだった、と彼は付け加えた。

「彼らは、本当に、それほど偽装が上手だったのですか? メズビンスキーさん、それとも、もしかして、あなたは、単に、現実を認めないことを選んだだけなのではないのですか?」少将クランダルは尋ねた。

「両方、少しづつです」と、メズビンスキーは認めた。

すると、その時、クリントンの弁護士は、法廷側に、電話の許可を求めたのだった。

彼は、自ら席を外し、5分間のあいだ部屋を出て、戻って来た時、少将クランダルに、水曜日の朝まで法廷を休廷にするように頼んだ。

彼は、彼の依頼人の容疑を晴らす明白な「新しい証拠が見つかった」と主張した。

「今日は、私たちにも、やるべき他のことがあるだけです(ですから、それを認めます)。けれども、この法廷は、これ以後の遅延を認めません。」少将クランダルは言った。

彼は、水曜日の朝まで、その審理を中断した。


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