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ゴンドワナ文明って...何?

2018年01月09日 | 歴史関連
ゴンドワナ大陸というのは、今から数千万年前まで存在した、今のアフリカと南アメリカを合わせた様な、巨大な大陸でした。

一億三千万年前頃にペガサスからの移住があって、地球の霊界の人口も急増し、人類の地上での活動も活発化し、地上もだいぶ暮らし易くなるとともに、人々の地上的な物事に対する欲得が芽生えて争い事が増え、地獄界が拡大して行ったことについては既にご説明しました。ルシフェルがサタンとして地上に三度目の転生をしたのもその頃でした。

霊界の指導者の方々の間では、それを何とかしようということで、三つの提案が出され、地上の人々の霊道(霊能力)を閉じること、地上の人々に守護霊をつけること、大指導霊が定期的に地上に出て地上の人々を指導すること、などが決められたということでした。

その提案自体は効果的だったのですが、霊道が閉じられたことによって、人間が本来は霊的な存在であることが理解されなくなり、地上の人々は、自分たちが、この世だけの存在であると思い込み、些細な地上的な物事への関心だけで生きるようになり、同じ文明が百万年も続く様な進歩のない状態が続くようになったのでした。

そして一億年ほどが経過しました。で、ある時、霊界の指導者の間で、一つの提案が出されたのです。モーリャ(モーゼ)様の提案でした。それは地上に「霊能力文明」とも言うべき、人間に霊能力を全開で発揮させる文明を起こしてみようというものでした。それが、いわゆるゴンドワナ文明だったのです。

れ、霊能力って、そんなものが文明になるのでしょうか...? でも、人間には本来そういう力が備わっているということで、それを目いっぱい発揮させてみよう、そうしたらどういう事になるだろうか、という、まあ、言わば文明実験ですね。地球というのは、そういう文明の実験の場所としても考えられているということなんです。

で、そのやり方なんですが、霊界の九次元の指導者の方々が、地上の人間がそうなるように、という思いを集中させるんです。そうして何世代かしますと、人間の肉体に変化が現われます。地上の男性たちの額の所に、いわゆる「第三の目」というのが出来たんです。これ、何処かで聞いたことがありますね。そして、人々に霊能力が発揮されるようになって行ったんです。

その霊能力ですが、どんなものかと言いますと、思いによって物質化をさせるとか、念動力、つまり念力でものを動かすとか、予知能力のようなことです。あと霊と会話が出来るとかいうこともあります。ここでの語彙で言いますと、エネルギー粒子の世界に対する感覚が鋭くなる、ということになるでしょうか。

さて、人々が霊能力を持つようになると、地上の世界はどのようになって行ったでしょうか。

これは分離が起こったんです。第三の目には色の違いがあって、その色によって能力に微妙に違いがあったようなんですが、それによって種族が分かれて行ったということなんです。そして、その種族間で争うようになって行きました。ゴンドワナ文明は数十万年も続いたそうなんですが、その間じゅう、いくつかの種族が離合集散しながら争いが続いたということなんです。

そして、いつ頃からか征服した種族を自分たちの奴隷にするようにもなって行きました。ゴンドワナ大陸の西と東に分かれて、西側の種族が征服した種族を虐殺するようにもなって行ったんです。人々の怒りや苦しみの想念が地球上に蓄積して行きます。そしてある時とつぜん地響きの音とともに大地に亀裂が入り、みるみるうちにその亀裂に海水が入り、大陸は西と東に分かれて行ったのでした。それが今の南アメリカとアフリカになったんですね。西側の全ての人間は死に絶え東側の予知能力のあった一部の種族の人々だけが南の大陸に逃れることが出来ました。そしてその人々が次の文明の種人種となったのでした。

この文明の中で、平和が続いた時期がありました。ゴンドワナには王家がありましたが、その王家には霊能力に秀でた者が生まれて、その卓越した能力で全土を支配していましたが、その王家にモーゼが生まれ統治されたことがあったんです。モーゼは、人間が神の子であり神と同じ力を持っているということを教え、それを正しく使うように人々を指導しました。それまで人々は霊能力を磨くことはしましたが、正しく使うということまでは考えなかったのでした。卑劣な手段を使うことは恥ずべきことだという認識が人々に広まって行きました。けれどもモーゼが地上を去ると、また種族間の争いが始まったのでした。

このように、まあ、霊能力であれ何の能力であれ、能力というものはやはり「力」なんですね。力に主眼を置いた視点というものは、能力主義みたいな、不毛な競い合いのようなことになって行くのではないでしょうか。で、人間の能力なんですが、違うと言っても、どれほど違っても、大きな視点から見れば大差はないのではないでしょうか。

けれども独自性と言いますか、個性の視点から見れば、一人ひとりの人間にはユニークな面白みがあるんです。他の人が思い付かないことを考え出す人、個性的な生き方をする人には、争いにはならない独自の楽しい生き方があるのではないでしょうか。

これからの時代、それぞれの人が自分のユニークさを楽しむ時代になって行けば、それぞれの生き甲斐、宇宙の中の自分だけの居場所を見つけることが出来るのではないでしょうか。それも神(宇宙創造のエネルギー)が私たちに与えてくれた贈り物だと思うのです。

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