おはようございます。とうとう晦日の朝を迎えました。何も変わらない朝です。
昨日は旧友家族と一緒に昼ご飯を食べた後、バッティングセンターに行きました。バッティング勝負とは言ったものの、やはり六年と三年ではその力の差は一目瞭然でした。しかし、旧友の息子君は、我が愚息のフォームや素振りなどにいろいろアドバイスをくれ、いい当たりが飛ぶと、よし! ホームラン! と、声を掛けてくれたり、いい子です。本当に。うちの子は一人っ子なので、お兄ちゃん的存在が頼もしくて楽しくて仕方がない様子で、夕方になり、さあ、もうすぐ帰ろうか、という段になってもキャッチボールをやると駄々をこね、仕方がなしに近所の公園でキャッチボールをする事になったのですが……。
いいです。それはそれは感無量の光景でしたよ……。夕焼けの中、長い影をひく息子たちが、小さな声を掛け合いながら、キャッチボールをしているなんて、考えらえなかった。
旧友に子供が出来たと聞いた時、私はまだバンド活動に明け暮れる不良中年で、当時旧友が暮らしていた茨城県まで遠征ライヴに赴いたりしてましたよ。旧友に子供が生まれたと聞いた時は、当時はどういう意味か分からなかったけど、寂しい様な気がしたもんです。押し殺していた将来への不安みたいなのが、旧友が背負った大きな責任を見て、垣間見えたのでしょうかね。もちろん、そんな不安、振り切りましたよ。目標の27歳はもう過ぎたけど、まだまだ、オーヴァードーズか飛行機事故で死ぬまでには時間がある。しかしそれまでに、地位と名声を手にしなければ、唯の犬死になってしまう。と、自分を鼓舞したものです。
巡り巡って、諦めに諦めて、結局ただの場末の料理人となり下がった自分に、当てモンみたいな人生はホンモンの人生じゃないと、言い訳して、そうするうちにそれがまっとうな考えだと思えてきて、いざ自分に子供が出来てみると、その圧倒的な存在感に、なるほどな、と、あの時の寂しさの正体がわかった気がしたのです。 これは並の大切さ、じゃない。と。
いいかい息子、お前のいない宇宙なんか、父ちゃんには塵くずの価値もない。宇宙だって、お前とこうして出会った奇跡を思うと別に広いとは思わない。こんな奇跡を起こすには、まあせいぜいこれぐらいの広さは必要だろうなと、思うだけだ。
お前と父ちゃんは、宇宙の両端に凭れ掛かって、悠々と手をつないでいる。そんな関係なんだよ。どんな遠くへも行けるはずがない。どんな事があろうともね。宇宙がやがて、変な事になって消滅してもそれは変わらないんだよ。
「もうサブいから、そろそろ帰るぞ!」と、さすがに暗くなり始めて声を掛けると、ようやく納得して息子たちは、少しずつ距離を詰めてキャッチボールをはじめ、最後は、あした!と頭を下げて終わりました。
あした! 明日という意味もあるのか!いいね。お前らは、本当にいいね!!
写真は、旧友の愛車と、ガルペ