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朝日記240325 3.(その3)汎心論 Panpsychismについて 報文XVII(その3)

2024-03-25 13:43:47 | 自分史

朝日記240325 3.(表紙その1)汎心論Panpsychismについて 報文XVII(表紙その1)

朝日記240325 3.(その3)汎心論 Panpsychismについて 報文XVII(その3)

 

3.汎心論の種類 Varieties

哲学的枠組み Philosophical frameworks

汎心論は沢山の理論に取囲まれており、ある形式でのこころが、遍在性があるとき概念はTononiによる一体化が注目されている。[8]

コスモサイキズム Cosmopsychism

汎経験主義 Panexperientialism

汎原始サイキズム Panprotopsychism

Russell主義の一元論 Russellian monism

 

コスモサイキズム Cosmopsychism

Cosmopsychismでは、その宇宙は unified object that is ontologically prior to its parts.その部分に先行して存在論的存在するとして統合化された対象である。汎心論の代替として[42]もしくは汎心論の一つの形式として[43] 記述されてきたのである。 Cosmopsychismの支持者は、その宇宙全体が現実的基本的水準であるとし、そして意識を例示化していることを主張する。それらは汎心論とはつぎの点で異なる、こちらは現実の最小レベルが基本的なものであり、それが意識を例示表象化するのである。

この筋でいくと、たとえば、人間意識は、より大きな宇宙的意識からのみ得られるのである。

 

汎経験主義 Panexperientialism

汎経験主義はCharles Hartshorne と Alfred North Whitehead,の哲学が際立ってつながっている。 David Ray Griffinがこの哲学の名づけ親であった。これは他の汎心論のものとは別にプロセス哲学として区別させるためであった。 Whiteheadの process philosophyプロセス哲学は宇宙の基本的要素が"occasions of experience",「経験の発生事態」であるとし、それは人類とおなじように複雑な何かを一緒に創生すると論じるのである。.[4]

Whiteheadの業績のうえに組み立てをすすめると、プロセス哲学者 Michel Weberはpancreativism汎創生主義を擁護していく。[44]  Goffはより一般的に panexperientialism 汎経験主義という用語を使って、汎心論の形式表象した、そこではthought思考よりもexperience経験がubiquitous.遍在するものとしたのである。[1]

  

汎原始サイキズム Panprotopsychism

Panprotopsychists汎原始サイキズムは、higher-order phenomenal properties高次元の現象的特性(qualiaクオリアのように)が、すくなくとも原理として、protophenomenal原始現象的な特性によってlogically entailed 論理的継承化されていると信じるのである。  

これはH2O分子についての事実がどのようにfacts about water水についての事実と論理的に継がっているかという問題と似ている:低位水準の事実は高次元事実を説明するに十分である、なぜなら前者は後者に論理的に継承しているからである。 同様にpanprotopsychismのad-phenomenal付着的なモノが、"protophenomenal"原始的事実に論理的意識性存在を継いでいるとしてこれを信じるのである。Protophenomenalの特性は通常、機能的および否定的定義を通じて取り出される: Protophenomenalは現象的特性(機能的定義)を論理的に引き継いでいる特性であり、それ自身、physical物理的でも、またphenomenal現象的でもないもの(negative definition否定的定義)である。 [45] Panprotopsychismは、結合的プログラムcombination problemへの解として宣伝されることになる; そのプログラムとは、ミクロ的物理的ものからの意識性が脳全体のマクロ的意識を起こさせるための結合をする、そのさまを説明する問題である。 Protophenomenalの特性は定義によって意識の構成部分であるので、それらの存在性はmacroscopic mindsマクロ的こころのemergence発現するに、神秘性を少なくするかもしれないようなspeculated思弁なのである。[9] 

哲学者David Chalmers はこれをその視点での複合問題の困難性に遭遇すると論じる。[1]かれはそれを"ad hoc"として考えた、そしてそれが理論の初志であるparsimonyなるべく複雑性削減する考え方を減じることを危惧したのである。.[46]

 

Russell主義の一元論 Russellian monism[2]

Russellian monismは、 neutral monism.[46][47] 中立的一元論である。この理論はBertrand Russellに帰するものであるが、 Russell's panpsychism, Russellの汎心論もしくはRussell's neutral monism.[9][46] Russellの中立的一元論ともよばれている。 Russellはすべての causal properties起因的特性は、identical intrinsic properties.内的特性の対するextrinsic manifestations外的操作であると信じたのである。Russellはこれらの同様なる内的特性をquidditiesクイディティと呼んだのである。物質の外的本質特性がより高次-秩序構造を形成することができるように、それらの内的本質特性も対応し、そして同一なquidditiesを形成することができる。Russellはconscious mind意識的こころはそのような構造であると信じたのである。[48][9] 

 

 

4.宗教的もしくは神秘的存在論 Religious or mystical ontologies

アドヴアイタ・ヴェダンタAdvaita Vedānta

アニズムと物活論 Animism and hylozoism

Buddha-nature

 

アドヴアイタ・ヴェダンタAdvaita Vedānta

Main article: Advaita Vedanta

Advaita VedāntaはIndian philosophyインド哲学での idealism観念論の形式である。Anand Vaidya とPurushottama Bilimoriaはそれが汎心論もしくはcosmopsychism.[50]宇宙心理主義であるか論議されてきた。

 

アニミズムと物活論 Animism and hylozoism

Further information: Animism and Hylozoism

両方とも汎心論として理性的に翻訳されるが、Animismアニミズムはすべてのモノが霊魂をもつとしている、そしてHylozoism物活論はすべてのものが生きて居るとしている。[8] しかし両方とも現代学術界では好みのそとにおかれてきた。[8]  現代の汎心論者は彼ら自身をこの種の理論から一定の距離を保つようにしてきた、経験の遍在性とこころと認知性の遍在性との間での区別を注意深くみている。.[1][11]

 

Buddha-nature

Main article: Buddha-nature

誰がそのときに「動的である」そして「非動的」であるか? 蓮の群れのなかで、すべてが境なく存在する。

草、木々、そして土の場合に、かれらは唯に彼らの脚を上げ、もしくはエネルギーをもって長い道のりをうごく、かれらはNirvanaに至るであろう。

 

— Zhanran 湛然,[51]、天台仏教の第6代教父(711-782)[52]

術語Buddha-nature仏-本性は古典中国術語佛性 (or fó xìng in pinyin)を英訳したものである、これはthe Sanskrit でのtathāgatagarbhaから転じたものである。Tathāgata はある者が到来したことを参照している、一方garbha はことば embryo または rootのなかに翻訳している[citation needed]

日本の枯山水庭の芸術では、芸術家は岩石の"ishigokoro"('heart', or 'mind'こころ)に気付きでなければならいのである。[51]  ひろく言われていることであるが、仏性は遍在的にdispositional配備的な状態として、つまり仏の世界を会得することが可能となるような状態として、定義されることができる。[53][54] ある仏教者の伝統では、これは汎心論の一形式をふくむとして解釈されているようである。 Graham Parksはもっとも「伝統的な中国、日本そして韓国の哲学がpanpsychist in nature自然汎心論者として資格をもつ」ということを論じている。[51]

HuayanTiantai, and Tendaiの仏教の学派は明示的に蓮の花と山々のような非動的対象に仏の本性を帰属させている。[7]:39

同様に Soto Zen 宗主の Dogen は仏の教えを「非感性的存在が外にあらわす」とし、そしてthe "mind" (心,shin) of "fences, walls, tiles, and pebbles".(「壁、タイル、そして小石」の「こころ」について書いた。)

九世紀の真言仏教者思想家 Kukai は岩や石のような自然対象物が仏のすぐれた体現の部分であると論議するためにかぎりなく遠隔に旅した。 Parks,によれば、仏性は"in western terms"「西側の術語において」は「"psychophysical."[51]心理物理学的」ななにかとしてもっとも適格に記述されるという。

 

 

[1] panprotopsychism: 大雑把にいえば、基本的なentitiesがprotopsyconscious、すなわち、それらが確かにして特定の特性をもっていることである、ここで特性とは先導役意識であり、そして集合的に意識のシステムをたとえばネットワーク的に特定構成し、これをもとにさらに大きなシステムでの意識を構成展開することができる考え方である。

 (from  panpsychism (consc.net) by David Chalmers)

[2] Wikisource has original text related to this article:

The Relation of Sense-Data to Physics

Wikisource has original text related to this article:

The Analysis of Mind

 

 

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