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朝日記240325 3.(その6、7)汎心論 Panpsychismについて 報文XVII(その6、7)

2024-03-25 14:02:56 | 自分史

朝日記240325 3.(表紙その1)汎心論Panpsychismについて 報文XVII(表紙その1)

朝日記240325 3.(その6、7)汎心論 Panpsychismについて 報文XVII(その6、7)

 

9.対抗的論議 Arguments against

理論的項目 Theoretical issues

心的な起因性問題 Problem of mental causation

 

理論的項目 Theoretical issues

See also: Falsifiability

 

汎心論についてのひとつの批判はそれが、経験的試験ができないということにある。批判の定理系としては、汎心論はなんら予測力をもたないものということである。

Tononi とKochは記述する;「物質とこころがひとつのものであるという要求を除けば、汎心論はそのこころが如何に組織化されそして働くかを説明する法則を語らず、また提供すべき建設性をもたないと。」

 

John Searle は告発する、汎心論の無誤謬性は水車小屋での試験不可能性よりも深いものがあると;それは「誤りであるという水準にてそこにおいて立ち向かうことをしない」が故の無誤謬なのであると。そのことは厳しく言えば意味をもたない、なぜならなんらclear notion明解な概念がその要求に対応し与えられてこなかったからである。[67] 論理的一貫性と明解性の必要性を汎心論の支持者であるDavid Skrbinaはうけいれている。[19]:15 おおくの汎心論の支持者はその議論を経験的支持に置かず、汎心論の道徳においている。Chalmersはいう、その理論のための直接の証拠は存在しない一方で、それに対する直接的証拠もないが、「ひろく理論的な性質の間接的理由は存在する、それは視点を真摯にとりあげるためにである。」

Tononi と Kochの批判にもかかわらず、かれらは、それは"elegantly unitary."「エレガントな一元的体」の道すじで物理的世界に意識を積分していると言明する。[34] 関係する批判は、理論が奇妙な性質であるとおおくのひとにみえるのである[9] 。Coffは、この反対[1] を見逃した:かれは汎心論が反洞察的であることを受け入れたにもかかわらず、彼は論じる、Einstein's と Darwin's の理論もまた反洞察的でもあることを論じたのである。

「その日のおわりに、あなたはその文化的な協力のためでなく、説明力によって見解を判定すべきである」とかれは記述した。[30]

 

 

心的な起因性問題 Problem of mental causation

Further information: Problem of mental causation

Chalmersのような哲学者たちは、意識性理論が脳のなかへinsight内観をあたえる容量(ちから)があることを、そしてそれが mental causation.心的起因性の問題を避けることに議論してきたのである。[9][106] もしかれらがそれをすることに失敗するなら、その理論からの epiphenomenalism,[106]随伴現象主義も失敗するであろう、それは尤もらしさ、あるいは自己矛盾として共通場での批判的な見解となろう。[86][107][108] 汎心論の支持者(とくにneutral monist 中立的モニストの傾向をもつ者たち)は、それを false dichotomyあやまれる二分論として却下することでこの問題にバイパスすることを希望したのである。こころと物質はコインの両面とし、そしてこころの起因性は単にこころの内的固有特性を裏とし、外的固有のそれを表として記述としたのである。[109]  Robert Howellは、起因的機能すべては依然として、dispositionally配置的(すなわち、科学的記述的行為として)にして、現象的には不活性的起因として残すのである。[110]  彼は結論する、「これは、随伴的なクオリアをまたもや我々に残すものであり、しかも非常におどろく場所にである」[110] 中立的なモニストはmind-body interactionこころ‐体相互作用という二分論的見解に反発するのである。[109][47]  

 

 

10. 結合的問題 Combination problem

 combination problem結合的問題(これはbinding problemバインディング問題と関係してる)はWilliam James,[11]に端を発するが、現在の哲学者をあげれば William Seager in 1995.[111][11] である。  その問題は意識とその遍在性との間の緊張から本来がirreducible 非帰納のものにみえることからおこるのである。

もし意識が遍在的であるなら、汎心論のある版では、原子すべて(もしくはすべてのbit,ビット、その理論に依っているので)が微小水準の意識をもつことになる。Keith Frankish が言うように、ちいさな意識が結合しておおきな意識経験を生む、たとえば彼の膝に刺すような痛みなどであるが、それは如何にして生まれるかである。[112]  この問題に関する概念はつぎのものに関わっている;古典的な逆説である sorites paradox (aggregates 塊りと organic wholes有機体全体), mereology (部分と全体についての哲学研究), Gestalt psychology,ゲシュタルト心理学 およびvinculum substantiale vinculum substantiale. についてのLeibniz'sの概念である。  citation needed]

 

 

参考文献 References:

 

推奨参照See also

概念Concepts

ひとPeople

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