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北海道の自然、そして子どもの育ちと虐待について

”囚人”道路を訪ねて-6 緋牛内第二駅逓跡

2009-06-09 | ”囚人”道路を訪ねて



道道104号からはずれた『鎖塚』のある抜け道の出口付近は、ちょうど朝の8時ころに通ったためか、北見方面から来て抜け道に入り、網走方向へ向かう車が何台も左折してきていた。





その出口のそばに、駅逓の案内板があった。

二号緋牛内駅逓  案内板
端野町の駅逓は中央道路開削翌年、明治25年(1925)
二区に設置された。その後美幌端野間の道路が開通した
ことにより、明治38年(1905)中央道路との合流点で
ある現在地に移転した。当時の駅逓取扱い人は斎藤嘉藤
次であり、大正11年(1922)駅逓としての役目を終え
た。
 石碑の位置が当時の駅逓の井戸の近辺にあたり、石碑
のある高さが、当時の道路の高さでもあった。

 
          平成5年3月 端野町教育委員会



旅を終え、上の案内文を転記していて、気づいた。
この右の階段の上に、『碑』があったのだ。
現場は、ホテルの横で、階段を上るとホテルの敷地なんだろうと上るのを控えていたのだ。
で、さきほどの写真をよくよく見ると、右上の階段を上ったあたりになにか『碑』のようなものがあるではないか。あ~、失敗。
次に行く機会があったら、撮りましょう。


こちらは国道39号線に出て、美幌・網走方面を振り返ったところ。
案内板にあるとおり、付近は切り通しになっていて、道路はまわりよりも低くなっている。




こんなふうにホテルの看板に負けてますが、案内看板もあります。

北見盆地に入ると、畑・田んぼが一面に広がり、少し行くと北見市街に入りました。


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