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北海道の自然、そして子どもの育ちと虐待について

アタッチメント障害から、行為障害へ-西澤哲講演会 その7

2010-09-01 | 被虐待児の心理臨床家 西澤哲さん関連

 

 

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さらにこの問題は今日でいうといろいろな問題と重なっていくと思います。アメリカで行われている疫学的研究で、アタッチメント障害のその後の経過を調べたものがあります。

 虐待やネグレクトなどの養育環境に反応して愛着障害になった「反応性愛着障害」と幼児期に診断されていた子たちがいます。どういう状態かというと、初めて会った大人に、だれ彼なしにベタベタするという状況をつくります。このことは、“問題”として見過ごされがちですがたいへんな問題です。下手をすると「誰とでも仲よくできる社交的ないい子」という誤解を生みますが、それは大間違いです。子どもは普通大人の「品定め」をするものなんです。それは当たり前で、大人よりも子どもの方が自分にかかわる人間に対して慎重になります。自分の方が弱いわけですから、へたな大人にかかわるとたいへんな目にあう。それがわかっているから慎重になります。だから、子どもは本能的に、この大人は自分にとって安心できる大人かどうか品定めするわけです。品定めをして、OKであれば段々近づいていくという手段をとることで、自分たちの身を守っているわけなんです。ところが反応性愛着障害の子はだれ彼かまわずべたーっと甘えてしまいます。だから、逆に言えば、その子たちは、性犯罪の被害に遭いやすいことになります。初めての大人に抱っこを求めていく、連れ去られる、ということも起きてきます。


 そのような幼児期に「反応性愛着障害」だった子を追跡していくと、小学校の年齢になると、「注意欠陥多動性障害(
ADHD)」という診断名に変わっているケースがあります。これはおかしいことです。「注意欠陥多動性障害(ADHD)」とは、一応、基本的には「持って生まれたもの・生まれつきの障害」だ、とされているわけです。私(西澤)は、ADHDです。私は生まれつきです。明らかに。西澤は、どんな育てられ方をしても、ADHDになったわけです。ADHDという“素質”をもって生まれたわけ。ADHDは“素質”だと自分は思っています。ミケランジェロとかダビンチとかもADHDでしょう。あれだけいろんな分野に足をつっこんでいます。ADHDはとめてはダメ、才能として考えてあげてほしいと思います。


 翻って、幼児期に「反応性愛着障害」だった子が小学校段階で、「
ADHD」という診断をされるというのは、明らかにおかしいわけです。いわば、虐待やネグレクトによって“反応性”でADHDになったと言えます。これは西澤独自、勝手にそう呼んでいるだけですが、虐待環境に育つことで「ADHD」と同じ状態像を示すと理解していただきたい。
 本当の
ADHDは、脳の前頭前野の機能がどうのと言われているが、そういった脳のレベルでも同じなのかどうかはわかりません。しかし、行動系としては、状態像としては、ADHDの状態になるんだと理解していただきたい。


 その子どもたちが小学校高学年になると、また違った行動を示すようになる。ちょっとした反社会的な行動、万引き、ルールやぶり、うそをつく、親に逆らう、教師に対して反抗するなどがみられるようになる。すると、「行為障害」という診断名になっていきます。そういった子どもが思春期・青年期になると、「反社会性人格障害」と呼ばれるようになっていきます。重大な犯罪を繰り返すタイプの人格構造になっていくんだというふうに、アメリカのここ
10年くらいの研究で出てきています。

 


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