函館深信 はこだてしんしん-Communication from Hakodate

北海道の自然、そして子どもの育ちと虐待について

ミナナとミカカ-最初に我が家へ来た忘れられない里子(さとご)

2007-12-16 | ”自殺”・虐待・ヒトの育ちを考える
ミナナとミカカ

もしも、あの世に行った時に、神様がもう一度だけ誰かと会わせてくれると言ったなら、誰と会いたいだろうか。私は、即座にたった4ヶ月と半月一緒に暮らしただけのあの二人の名をあげるだろう。いや、もしかするとそれは私だけではなく、連れ合いも、娘も、同じであるかもしれない。
 それくらい、あの二人との出会いは鮮烈だった。

 ある年、私たちは児童相談所に里親登録の申請をした。里親登録をしてみようと思った理由は、私も連れ合いも、それぞれに自分の育ちについて考えるところがあったのと、インターネットの世界で知り合った児童養護施設出身者が、異口同音に「養護施設ではなく、里親家庭で育ちたかった。里親制度を充実させてほしい。」と願っているのを知ったからだった。

 里親の登録はスムーズに進み、数ヶ月後に児童相談所から、「秋から春までの期限付きで姉妹を、お願いしたい」との連絡があった。当時小学5年であった娘には登録の時から意見を聞いていたので相談すると大いに乗り気であったし、姉妹に来てもらうことに決めた。

秋のある日、児童相談所で対面した。姉のミナナは保育園の年長さん、妹のミカカは、1歳半だった。
母親が育児ノイローゼで、「これ以上一緒にいると殺してしまいそうだ。」との訴えがあり、一定期間母子を離す措置がとられたことによる里親委託だった。
そうして私たちの里親、娘にとっては里姉としての生活が始まった。

 ところが、実際ミナナとミカカを迎えてみると、思っていた以上に困難な部分が多かった。5歳、1歳半それぞれに精一杯自分の家庭の流儀を身に付けていてそれを主張する。1歳半のミカカは、すさまじい夜泣きで実母をも参らせたが、我が家でも就寝時に暗くすると泣き出すということが一週間続き、私はおぶり紐で自分の腹にミカカをくくりつけて眠るまで立ってあやしていた。眠ったと思いふとんへおろそうとするととたんに泣くので、そのままソファに座って夜を明かした。
 ミナナは、ふだんは必要以上に大人に媚を売り、私たち大人のいないところで、娘に恫喝をかける。それを指摘して叱ると、まるで山姥が正体を見破られたかのように、態度を一転させた。かと思えば、就寝時、寝て一時間以上たってから「ミナナはおなかすいていなかったかなあ。」などと話題していると突然「おなかすいてないよ!」と元気に返事をする。そのようなことが何度かあり、就寝の際一時間でも二時間でも寝たふりをしていられることがわかった。また二人とも眠りが浅く、夜中少しでも物音がすると飛び起きるということが何度もあった。

けれども、そんなこと以上にやっかいなものがあった。私、連れ合い、実子である小5の娘、それぞれの『自分の感情』だった。娘は、「妹たちが来たら、一生懸命お世話してかわいがってあげよう。」と思っていたのに、来て二日目に様子が変わった。娘が姉妹のようにかわいがっている大切な愛猫を、ささいな言い合いから「ぶっ殺す!」と言われ、きびしい現実の前に次第に対応を変えていった。6歳の年齢差は簡単に乗り越えられてしまった。
私にしても、連れ合いにしても、子どもにかかわる仕事を経験していたが、それでもカッとして素にもどされるようなことがたびたび起こる。“正体を見破られた山姥”のような状態になると、実力発揮は今だとばかりに、こちらの怒りに上手に油を注ぐ。
こちらも声を荒げてしまう生活に、(この子たちを、こんな中に生活させておく価値があるのだろうか。。)と悩むことも多くあったが、児童相談所の職員は、「いえいえ、kenさんたちがいくら怒鳴ったところで、元の家庭の比ではないですから。」と、笑顔で励ましてくれた。
そうなのだ。この子たちは、すでに“人間”を知っているのだ。だから、こちらをいともたやすく“素の人間”にもどしてみせることができたのだ。

ミナナは、『プリキュア』が好きなオシャマさんで暇さえあれば女の子の絵を描いていた。その描く女の子の顔も特徴的だったが、一番特徴的だったのは『木』の描き方だった。縦長の長方形の下方がギザギザになっている。その部分が木の根の部分だ。上部はまるで切り株のように真横にまっすぐに引かれていた。後年虐待に関することを学ぶ中で、虐待を受けて育った子にはそのような木の葉っぱ部分がなく切り取られている絵を描く子が多いと知った。木とは自分自身の成長を示しているそうだ。希望がないと成長の木も切り株になってしまうのだ。
だが、ミナナとミカカ、二人と過ごしているときには、まだ充分に虐待を受けた子どもについて理解していなかったことが多かった。
また、まるで心ここにあらずのように、ボーッとしていることも多く見られた。私も連れ合いも、「あ!ミナナ、また木星にとんでっちゃった。」などとからかったりしていた。
私たちは、体罰否定派だ。だがカッとして、何度かたたいてしまったことを懺悔したい。
しかし、そのような時ミナナは痛そうな顔ひとつ見せず、「全然痛くないよ~。」などと言ってはまたこちらの火に油を注いでくるのだった。
一度、遊び半分でどれくらいまで耐えられるのかやってみようかとミナナに持ちかけ背中をたたく手の力を徐々に強くしていったことがあった。結果は私の負けだった。けっこう強い力でたたいてみても、ミナナは「平気、平気」と言っていた。
ミナナはどうすればよいか教えてくれた。「あのね。とーちゃん、心をからだからずっと離すんだよ。そうすると痛くないんだよ。」
5歳にして、心を離すとか解離を自分のものにしていることにも驚いたが、このことも虐待にあっていた子どもには当たり前のことなのだと、その後知った。

 その後、二人の身に起きていたあることへの見解とその後の処遇について、私たちは児童相談所と対立し、対立したまま二人はまたもとの家へと帰っていった。帰る少し前、絵を描いていたミナナが、「かーちゃん、これ!」と連れ合いに絵を見せてくれた。例の切り株のような木の上にキノコが並んでいる。ミナナは「さくらがさいたの!」と教えてくれた。

ミナナとミカカ、私たちは、4ヶ月と半月で、あの子たちになにかを与えられただろうか。様々な知識を得た今なら、もっとこうしてあげられたのに、あのときこう言ってあげられたのにと、後悔することばかりだ。

連れ合いは、その後CAP(児童虐待防止プログラム)運動の活動へと入っていった。娘は、姉妹のような実猫が二匹いるにもかかわらず、この夏大きなミナナのような猫をひろってきた。以前からいる猫たちに、「ごめんね~。ねえねがわるいのよ~。里子を連れてきてごめんね~。」と歌っているそうだ。娘も受動的ではなく、猫の里子を自分の意思で連れてくることで、過去を再現しているのだと思う。
 娘の心の中にも、連れ合いの心の中にも、私の心の中にも、ミナナとミカカが、あれからずっと住んでいる。




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