函館深信 はこだてしんしん-Communication from Hakodate

北海道の自然、そして子どもの育ちと虐待について

『子ども虐待』-NHK教育を見て

2008-06-28 | ”自殺”・虐待・ヒトの育ちを考える
やはり2時間(収録には4時間かかったそうだ)の番組だったので、いつも物足りなさを感じる西澤さんの発言が今日は、効いていた。

虐待を受けた側、虐待をしている側を一同に並べてしまうあたりが、”性善説NHK”らしい気がした。私の連れ合いのような本当の目覚めている虐待経験者(「サバイバー」という)だったら、「親を恨んでます。」、「葬式にも出ません。」となり、『みんな虐待した側も受けた側も、苦しいんだ。チャンチャン。おしまい』では終わらなくなる。
だから、NHKはそういう人は選ばない。「虐待されたけど、母親のことが今でも大好きです。」と言われて、NHKも見ている視聴者もホッとする。
しかし、今日の西澤さんはそんなホッとする模範回答にも、専門家としてはっきり言っていた。
『○さんは、まだ3,4歳の「おかあさん、おかあさん!」って言ってる時期を生きているんじゃないかな。思春期に入り親との葛藤が出てくる状態よりも以前の状態じゃないかと思うんです。』
3歳の子どもを虐待しながら、「子どもは私(母親)のことを、大きな存在・安心できる存在として、甘えてくる。」と言う親には、『子どもはあなたに気を使って甘えているだけかもしれないですよ。』と、はっきり言った。
いつもはNHKの制作意図に合わせ、きわめて遠慮がちなのに、今日の西澤さんはよかった。
これでこそ、本来の西澤哲さんだ。西澤哲としての役割を果たしていたと思った。
番組の中で、虐待を受けた人たち数人が、「感情があまりない」ということを言っていた。一人にNHKの司会者が、「怒りとかわかないですか?」と聞いたら、「感情持ってたら、やってけない(生きていけない)んで。。。」と言っていた。まさしくそうだと思う。その地点から、あらゆるものに怒りをむける地点を通り、徐々に快復していくんだと、連れ合いを見ていて、またいろいろな本を読む中で思う。無感動も苦しいが、怒りをもって生きるのもまた苦しいし、生きにくい。
番組の中で石田衣良さんという作家の人が、「本人のせいでもないのに、なんでそんなにくるしい思いをしなければならないんだろ。」とおっしゃっていたが、虐待を受けた人の人生の悲惨さをよく表していると思った。

ある女性、父母のDVを見て育ち、父が家を出て行くと、「お前は父親に似て、色が黒い。」などと言われ母親から身体的・精神的虐待を受けて育つ。Wベットに母親、弟、自分の3人で寝るが、弟が母親の首に腕をまわして鼻をくっつけ合って寝ている横で、自分は小さくなって泣きながら寝ていた。中学生くらいになると、裏山で飼っている犬の犬小屋で寝たり、「いっそ、凍死してくんないかな。」と思いながら、バスを待つ小屋で冬に野宿していたそう。
そのころのことを、その女性は薬の多量摂取・リストカットなどで入院した病院のカウンセラーさんと整理しながら絵を描いているのだが、母と弟は、かろうじて目と口がついている無表情な顔として描かれ、自分の絵は描いたあと黒く塗りつぶされていた。それは(存在してはいけない)と思っていたということを表している。唯一犬だけが、かわいらしく笑った顔で描かれていた。その女性は、『「いっそ凍死してくんないかな。」と思って野宿していた時、そんなときに限って星とか緑とか雪とかが、きれいで。。。雪とかは私の友だちなんです。」と泣いていた。
そのころ彼女を支えていたのは、犬くんと星、緑、雪などの自然だけだったのだと愕然とし、涙がこぼれた。

彼女のような体験をする人が一人でも減っていきますように。

不満はあるけれど、このような場をつくってくれて、NHKさんありがとう。
語ること、分かち合うこと、気付くことが、まず最初の一歩だよね。やっぱり。


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