
拈華微笑とは、言葉を使わずお互いが理解しあうこと。心から心へ伝わる微妙な境地・感覚のたとえのことをいうと辞書にはある。
釈迦が霊鷲山(りょうじゅうせん)で弟子たちに仏法を説いたとき黙って大梵天王から受けた金波羅華(こんぱらげ金色の蓮の花)をひねって見せると摩訶迦葉(まかかしょう)だけがその意味を悟って微笑んだので釈迦は彼だけに仏法の心理を授けたと言う故事によることらしい。
類似の言葉として、以心伝心、 維摩一黙(ゆいまいちもく)などがあるが、要は阿吽の呼吸で理解しあうことかなと思う。夫婦もそうありたいもので、語らずとも分かり合えることが日本人には美化されがちだが、やはり会話はないよりあった方がいい。離婚の調停の仕事をしていてつくづく思う。
ちなみに我が家のカミサンは、一日の出来事を20年もの間私に喋ってくれるのであるが、ウンウンと頷くだけのことが多い私に飽きもせず、怒りもせず続いている。カミサンはそれでストレス解消になるようで、それがわかっているから私も迎合しているようなわけである。
拈華微笑の文字を初めて知ったのは、平成4年11月23日箱根阿弥陀寺にお参りしたとき、ご住職に書いてもらった色紙である。裏に「拈花微笑(ねんげみしょう)ハスノハナヲモッテホホエム ハスの花のいのちを知り見習い我が一生とする」と書かれている。今のカミサンと結婚した年で、それ以来ずっと夫婦でお寺巡りが続いている。
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