ひだまり

あなたの心に暖かいおひさまの光がさします様に

喜びを感じる日

2012-10-31 12:36:56 | 第九章・愛
MIX友だったレイチャン
今日は、レイチャンの61回目の誕生日です。

昨年の秋、京都に行く予定でお会いする約束をしていましたが、体調のことを考えてやめることにしました。レイチャンからは、気を使っているのではというメッセージを、いただきましたが、今思うとこの悲しみが、もっと深くなっていたと思います。お会いしなくて良かったのかもと思っています。

その代わりにレイチャンを、思い出すたびに身近に感じます。

MIX友の大分での交流は、私ともう一人の方の都合で、暫くお休みしていたのですが、先日、M友のお一人から、近況を聞いてくださるメールが届きました。夏の頃、もう一人の方からもメールが届きどちらもとても嬉しいたよりでした。

東京のMIX友のお一人からつけていただいた美女軍団5人組も来年には、復活しそうです。

私は、友達が出来ないと固く信じていたころ、一度離れてしまうと2度とその方達とお会いして何かをするということが、ありませんでした。だから長年良い関係の友達を持っていらっしゃる方たちを、うらやましく思っていました。

私にも良い所がたくさんある事を、信じていなかったからだと思います。(自己否定)
そして、その中で起こった嫌な出来事は、あの人のせいだと人のせいにしていました。(他者否定) 

MIXで出会って、友になった方々は、私にとって、新たな私との出会いの機会を与えてくださいました。

自己肯定・他者肯定を解らせてくださったのです。こんな私でも良い、そういう安心感の中での出来事は、私の劣等感を私自身が、受け入れられるようになったのだと思います。

友が、出来ないと苦しみ悩んで、人の温かさを知りました。苦しみやさみしさを、経験したからこそ味わえる人の優しさを知りました。

そうだ彼女たちは、私にとって友であり仲間なのだ。 うれしいなあー。幸せだなあ。

レイチャンこれからも見守ってくださいね。


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愛の原型の違いかな?

2012-10-22 08:00:31 | 第一章・意識と知覚
この頃、失敗ばかりして落ち込んでしまうことが、多々ありました。

少し焦りましたが、若いころからこのようなことが度々ありましたので、この頃は「まあいいか」とすぐ忘れるようにしています。

忘れるまでの時間は、だんだん短くなってきていますが、嫌いな人とのいざこざは、すぐに忘れるというわけにもいかず、思い出しては不愉快な思いをすることの繰り返しでした。

このブログで、たくさん登場していただいているAさんは、顔を見るだけでも不愉快で怒りが込み上げていました。

ある時、彼女の肩を揉む機会がありました。沢山の仕事を、ご高齢ながらてきぱきとこなしている姿に、反発し、冷たいと言っては悪口を言い、ストレス曲線の(不安感・怒り・身体症状・うつ・錯乱)の怒りで、心がいっぱいになっていました。

その彼女の、板のようになった肩を揉みながら、彼女との相性の良し悪しは別として、一生懸命働いていることに対して感謝の気持ちを持てない私に気が付き深く反省しました。

そんな時、また別の方の問題で、もやもや状態が長く続いていました。信じられない行動の数々に不信感と怒りが、こみ上げてくる状態になっていました。

そんな時、生き甲斐の心理学のテキストの中で、「体験の解釈は世界を変える」を読みました。

もし愛を一面(自分の思い込み)からしか体感できないとすると・・・・(生き甲斐の心理学から引用)を思いめぐらしてみると、先のAさんも次のBさんも私の思い込みもあるのではないかと考えることが出来るようになりました。

この章を、暫く熟読して考えてみたいと思います。

相手に対する思い込みから解放されて、新たな良い関係を作れるのではないだろうか。

また一つ愛の原型の違いを受け入れられそうです。

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たかが靴されど靴

2012-10-11 14:40:33 | 第二章・五感と体感
先日の靴の件なのですが、もう一つの出来事がありました。間違った靴を交換している最中ある方の行動が、とても気になり暫く考えていました。

もう言葉は覚えていないのですが、その行動は私を泥棒扱いにしていました。その方のイメージから程遠いその言動は、私を怒りの感情(ストレス曲線)へと導いていました。

確かに靴を、間違えたのは私です。相手の方のブランド物を履いて帰りました。


その方と私の問題なのに、良く知らない人から泥棒扱いは、されたくないなあと心から思っています。


私の靴は有名なAメーカーのウォーキング用の靴です。その靴を買った理由もあります。土踏まずの所が、あるからです。

履きやすく、腰も痛くならないので、このAメーカーの靴を、愛用しています。普通の靴は、腰が痛くなるので、履けないのです。

あの時は、急いでいたので、最初、違和感があったのですが、久しぶりに履いたよそ行きの靴だからという思い込みで帰ったのです。


まるで、意識して間違えて帰ったのではないかと言っておられているようで、不愉快でした(私の感じ方)。 その挙句の果てに、別のご婦人の泥棒扱い(のような)の態度でした。(相手の問題)

たかが靴されど靴、本当に涙の出るほど悔しい思いでしたが、・・・・・・。


暫く考えていると私のその時の現実吟味力はどうだったのだろという思いが、浮かびました。


間違えた人の一言、もう一人の人の一言に言い返せなくて、泣き寝入りしたことが、本当の原因ではないだろうか。その時に、感じた思いを相手に伝えていたら、モヤモヤとした思いに囚われなかったのではないかと思えてきました。

何時もの私の癖が、此処でも出たのです。自分の出てきた感情を飲み込んでしまったのです(防衛機制)。

自分を大事(自分の魂・成育史・身体)にしていれば、その時の対応も違ったものとなっていたと思います。


この経験により‘今感じている感情’を抑圧せずに大事に大切にしたいなあと強く思いました。


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忘れないよ・レイチャン

2012-10-05 04:20:38 | 第八章・魂と聖霊
また一人、旅立っていきました。

心に深く残る人なりました。

Mというインターネット上の出会いの場で、知り合いました。

一度京都に行った際、お会いしお食事して出会いを楽しみました。

若いころ苦しみの中で過ごされた彼女は、今度は人生の後半、病の中で美しくその生涯を生き抜きました。

またもや、癌でした。

彼女は、看護師さんを、長年勤められ、この病気の隅から隅までご存知の方でした。

時折、投稿される病状の変化と病気に向き合う彼女の、心の叫びは、私の弱りゆく体調の変化と心を支えていただきました。

彼女の助言がなければ、病院を変えることはなかったと思います。今の元気になりつつある私は、存在しなかったでしょう。


彼女の病状の変化と闘い続ける強さで、沢山の方が励まされ力づけられたことだろうと思います。もちろん私もその一人です。

苦しみの中に居られても、モルヒネを投与されている状態の中でも、その姿勢は変わらなかったと思います。


痛かったでしょうに・・・・・


人生を生き抜いた彼女の美しさは、私の心から生涯消えることはないと思います。


ありがとう、レイチャン。 アイラブレイチャン。


また何時かお会いする日、沢山お話ししましょうね。

その時まで、どんなに辛いことがあっても、私も私の人生を生き切りますね。


レイチャンのご冥福を心からお祈り申し上げます。



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