共存共栄主義を世界中に広めよう

世界中の人間同士の共存共栄だけでなく、地球上のすべての生物との共存共栄を求めていくのが、今後の私達人間の役割なのです。

物作りの経験値が圧倒的に低い者ばかりが社会の要職につくことがそもそもの間違い

2007年11月02日 03時21分41秒 | Weblog
はっきりいって、マスコミ、政治家、裁判官、弁護士、警察、官僚、大学教授、学校教師、公務員らは、物作りの経験値が圧倒的に低い。

物作りの経験値が圧倒的に低い者ばかりで、メンテナンスの仕方や注油の仕方も知らないド素人が社会の要職ばかりにつくから、本来は潤滑油の役割であった規制や法の扱いすらも正しく扱えなくなる。

そして規制や法を潤滑油として使用するのではなく、人々の暮らしがさらに不自由になっていく不満の摩擦熱を新たに発生させてしまう愚策(ぐさく)を施してしまう。


こうして一部の不良部品(欠陥人間の事)と物作りの経験値が圧倒的に低い者ばかりが社会の主要部品となる要職につく事により、潤滑剤の働きをまったくしない規制の強化や新法の制定によって、正常に動作をしていた部品(正常人間の事)までもが不満の摩擦熱を高める事で、ますます社会の動きが悪くなってくる。

こうなると人々は、潤滑剤の働きをまったくしなくなった規制や法を完全無視したり、規制の強化に反発をしたりする流れとなるので、余計にマスコミ、政治家、裁判官、弁護士、警察、官僚、大学教授、学校教師、公務員らとの間に距離感ができたり、温度差が生じることとなる。

たくさんの人々が共同で暮らす社会においては、不満の摩擦熱を発生させないための潤滑剤が必要

2007年11月02日 03時18分09秒 | Weblog
たくさんの人々が群れ(町村部や都市に集まる事)を形成して共同生活しているのだから、いろいろな不具合によってたくさんの不満による摩擦熱が発生している。

これらの人々の意見の対立。考えの対立。習慣の対立。行動の対立。などによる、不具合や不満による摩擦熱を、メンテナンスも注油もせずに放置しておくと、やがて不満による摩擦熱の高まりによって、機械のように動作不良を起こして最終的には機械そのものと同じように社会全体が壊れてしまう。(革命や暴動の発生)

それらの不具合による不満の摩擦熱を解消させるために、規制や法という、社会の流れをスムーズにさせる潤滑剤が必要になる。


機械にだって欠陥部品(けっかんぶひん=不良品の事であり、過剰な摩擦熱発生や、動作不良の不具合を発生させる機械の中の一部の部品の事)が存在するのと同じように、人間にだって欠陥人間(間違った考えや間違った思想、間違った生活習慣や間違った行動によって、周囲の不満を数多く発生させたり、社会の流れを悪くさせる人間の事)が存在する。

ごく一部の者が問題(社会的に影響の大きい事故や犯罪)を起こしたからといって、その者が欠陥人間であれば、その者の欠陥を正しく(正しい考えや正しい思想、正しい生活習慣や正しい行動に改めさせる)させるか、機械の主要な部分(この場合は人間社会の中で影響力の大きい職場や職業や要職から外す事)から取り外すして部品を交換するだけで問題は解決するのに、物事を大げさにとらえて、欠陥人間でない大勢の者まで、いずれ不良品となり動作不良の不具合を起こすだろうと、マスコミ、政治家、裁判官、弁護士、警察、官僚、大学教授、学校教師、公務員らが大騒ぎして過剰反応してしまい、ついには社会全体の流れを悪くさせてしまう規制や新法制定の流れへとなってしまう。

機械に注油の潤滑剤が必要なように、人間社会にも規制や法の潤滑剤が必要になる

2007年11月02日 03時16分35秒 | Weblog
規制とは何か?
法とは何か?
規制とは、法とは、たくさんの人々が共同で暮らす社会の流れを円滑(えんかつ)に進めるために必要な潤滑剤(じゅんかつざい=なめらかな動きをさせる油と同じ性質を持つ物質の事)と同じ効果を求められている性質のものである。

機械を故障(こしょう)させることなく長期間にわたって円滑(えんかつ)に動作させるためには、メンテナンス(動作テスト、修理修復作業)が必ず必要になるばかりでなく、常に機械の摩擦熱(まさつねつ)による故障に細心の注意を払い、機械の長時間使用による、過剰(かじょう)な摩擦熱発生で動作の不具合(ふぐあい=ぐあいが悪くなること)を発生させないように、注油(ちゅうゆ=故障しやすい部分や摩擦熱の発生しやすい部分に油をさす事)をしては摩擦熱の低下を図らないと機械は壊れやすくなる。


人間とて機械と同じである。

たくさんの人々が同じ環境(かんきょう)において共同で暮らす場合(都市環境、農村環境)には、機械の摩擦熱と同じように、人と人との生活接触(せいかつせっしょく=意見や考えや生活習慣の違う者同士が同じ生活環境において共同行動を取らなければならない状態の事。例:同じ電車やバスに乗る。同じ道路を走る。同じマンションに住む。同じ地域に住む。同じ店で買い物をする。)で、必ずどこかで摩擦熱(この場合は、意見の対立。考えの対立。習慣の対立。行動の対立。)が発生する。

規制とは何か?法とは何か?

2007年11月02日 03時13分58秒 | Weblog
規制とは何か?
法とは何か?
がまったくわかっていない白人、キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒、マスコミ、政治家、官僚、役人、大学教授、教師、裁判官、警察官、検察官、弁護士、一般人などに非常に多い。

規制とは何か?
法とは何か?
がまったくわかっていないから、何か問題が起きればすぐに規制をかけたり新法制定によって世の中や社会の流れを不自由にさせたがる。

ごく一部の人間が問題(社会的に影響の大きい事故や犯罪)を起こしたからといって、万民が同じような問題をしでかすのでは?と、ついつい過剰反応してしまい、万民向けにまで何かと規制をかけたり新法制定で、不自由さが拡大した、不満だらけのぎくしゃくした世の中を作り出す。