多くの寺が並んでいる寺町通りの西側にある光台寺はいまの山形県にある光台寺の住僧・導蓮社良心故関大和尚により安土桃山時代の始め1572年に建立。開山後江戸中期に2回火災に遭い、現在の堂宇は幕末のころ1859年に建立されたものである。 南部家27代利直の奥方である源秀院殿(於武)の墓があることで知られている。
寛文3年(1662)年7月、江戸桜田の邸で死去、遺言により光台寺に葬られ、南部家は寺領百五十石を与え立派な伽藍を建て供養し光台寺も現在地に移転している。
(伝説)・・・むかで姫
昔、於武の方の墓の前に大きな堀があった。南部家が太鼓橋を架けたが、何度架けても壊される。於武の方は「むかで退治」で名のある蒲生家から南部家に嫁ぎ、お土産にいわくの矢の根を持参した。 俵藤太に射られたむかでの怨念が這いずり回り、於武の髪の毛は片目の蛇に化けたという。光台寺住職が仏像を彫り供養し、怨念を鎮めたと言い伝わる。
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