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教浄寺は鎌倉から南北朝時代へ移る頃(1333年)南部十代茂時公の菩提のため、弟信長公が三戸に開創した。茂時公の法名「教浄寺殿正阿清空天心大居士」から教浄寺となったと言われている。三戸での280年を経て、江戸時代前期1612年南部27代利尚直が盛岡へ移城した年に現在地に移転し、寺領二百石を有し、盛岡五ケ寺の一つに名を連ねました。教浄寺には、鎌倉中期の制作とされる阿弥陀如来像が伝来南部家代々の守護尊とされています。
また、山屋家代々の墓があり、皇太子妃雅子さまの曽祖父として知られている海軍大将山屋他人の顕彰碑が建立されている。これと同時に、他人が眠る東京の長谷寺から生まれ故郷の教浄寺へ分骨も行われている。
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