日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

田舎へ帰ることについて。

2007年08月08日 | その他の日々
愛媛県の松山歌会に行くのは、
両親の田舎が、愛媛県にあるから。

厳密に言うと、宇和島市。そのさらに南端(かなぁ……)。

前は「○○郡」とか「○○町」とか言ってたけど、
合併したのかしてないのか、
よくわからないけれど、
多分、宇和島市なんでしょう(笑)

松山より、高知県中村市のほうが、
近いような端っこ。

父方のおばあちゃんが、
90歳を越え、
何か大きな病気になっているわけではないけれど、
入退院を繰り返していて、
いつなにがどうなっても、
おかしくない状況になっているので、
元気なうちに、顔を見せておけと、
両親に説得されたのと、
「大阪でたいでたい病」になっていたから、
このチャンスを逃すまい、という気持ちから。

10日(金)の早朝から、
明石海峡大橋を両親の車で渡って、
私は松山で降ろしてもらって、
ビジネスホテルで一泊して、
翌日、松山歌会に出て、
特急に乗って宇和島へ向かう。

急に思いついたことなので、
両親や夫(←休みの日程が合わずお留守番)に、
いろいろ、わがままを言わせてもらった。

ありがたいことです。

     ★

田舎へは、親戚のお葬式以来だから、
10年以上前になる。

田舎とは、土地なのだろうか、
人なのだろうか、ふと思う。

子供の頃は毎年のように、帰省していたが、
中学生になってからは、
地元の友達と遊ぶことや、
親戚の仲の良かったいとこたちが、
その家の複雑な人間関係(両親が離婚したりとか、いろいろね)が原因で、
田舎へ来なくなったことから、
つまらなくなってしまい、
私ひとりが大阪に残ったり、
母と一緒に残ったりして、
帰らなくなった。

定点観測のように、
一年ごとに行くたびに、
自然は変わらないのに、
人は変わっていく(自分も変わっていく)。
私はそれについていけなかった。

十数年前に、伯母が亡くなり、
その頃は大学院生で、
時間の融通が利くのでと、
一緒に田舎までお葬式についていったが、
その頃にはもう、自然も変わっていた。

なんだか、よくわからないけれど、
やたらめったら、土にコンクリが敷き詰められてたり、

「こんなところきれいに舗装したって、どうでもいいだろうに」

というような道路が舗装されていたりして、
しかもそれが、
私にとっては、
約20年ぶりの田舎の景色だったので、
もう、本当に、浦島太郎状態で、
ショックが大きく、

「もはや田舎は、私の心の中」

と、思って、やっぱりそれからも、行く気になれなかった。

が、今度は、おばあちゃんの命のともし火が、
ゆっくり、でも確実に、消え始めているという。

おばあちゃんは、とても気性が激しく、
とても厳しい人だった。

今の世間一般のおばあちゃんて、
やたらめったら、孫にやさしいように見えるけど、
私のおばあちゃんは、
性格なのか、とにかく怖かった。

嫌いじゃなかったけど、近づきたくはないような。

だけど、
8年前の私の結婚式に来てくれたけど、
その時のおばあちゃんは、まるくなっていた。

それがなんだか、
とっつきやすくなってる半面、
悲しい気がした。

「本来のおばあちゃんも、私の心の中に」

という感じで、
弱っているおばあちゃんなんて、
会いたいとも思わなかったんだけど。

だが、「心の中に」というのは、
本当にいなくなってからでもいいことで。

もうひとつの「心の中に」で収めている、
自然にしたって、
おばあちゃんがいなくなれば、もう本当に行くこともなくなる。

身内として、割り切ろうという気持ちで、
行くことにした。

少し大げさだけど、
何かに向き合う気持ちで。

……と、なんで、こんなしんみりとしたことを書いているんだ?

「きゃー!!全国歌会の歌もあるし、
芦屋歌会にも行きたいと思ってたのに、
東大阪歌会が、終わったとたん、またもう一首だなんて!」

と、思ったり、

「きゃー!!こんなだったら、やっぱり、
夫の靴より、美容院へ行ってたらよかった!!」

と、思ったり、

「……っていうか、何着て行こう?松山歌会で」

と、思ったり、

いろいろいろいろ、
激しくうねりある気持ちの日々を送っています。

……やっぱ、今から、カラーリングに行こ。ではでは。

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