愛媛県の松山歌会に行くのは、
両親の田舎が、愛媛県にあるから。
厳密に言うと、宇和島市。そのさらに南端(かなぁ……)。
前は「○○郡」とか「○○町」とか言ってたけど、
合併したのかしてないのか、
よくわからないけれど、
多分、宇和島市なんでしょう(笑)
松山より、高知県中村市のほうが、
近いような端っこ。
父方のおばあちゃんが、
90歳を越え、
何か大きな病気になっているわけではないけれど、
入退院を繰り返していて、
いつなにがどうなっても、
おかしくない状況になっているので、
元気なうちに、顔を見せておけと、
両親に説得されたのと、
「大阪でたいでたい病」になっていたから、
このチャンスを逃すまい、という気持ちから。
10日(金)の早朝から、
明石海峡大橋を両親の車で渡って、
私は松山で降ろしてもらって、
ビジネスホテルで一泊して、
翌日、松山歌会に出て、
特急に乗って宇和島へ向かう。
急に思いついたことなので、
両親や夫(←休みの日程が合わずお留守番)に、
いろいろ、わがままを言わせてもらった。
ありがたいことです。
★
田舎へは、親戚のお葬式以来だから、
10年以上前になる。
田舎とは、土地なのだろうか、
人なのだろうか、ふと思う。
子供の頃は毎年のように、帰省していたが、
中学生になってからは、
地元の友達と遊ぶことや、
親戚の仲の良かったいとこたちが、
その家の複雑な人間関係(両親が離婚したりとか、いろいろね)が原因で、
田舎へ来なくなったことから、
つまらなくなってしまい、
私ひとりが大阪に残ったり、
母と一緒に残ったりして、
帰らなくなった。
定点観測のように、
一年ごとに行くたびに、
自然は変わらないのに、
人は変わっていく(自分も変わっていく)。
私はそれについていけなかった。
十数年前に、伯母が亡くなり、
その頃は大学院生で、
時間の融通が利くのでと、
一緒に田舎までお葬式についていったが、
その頃にはもう、自然も変わっていた。
なんだか、よくわからないけれど、
やたらめったら、土にコンクリが敷き詰められてたり、
「こんなところきれいに舗装したって、どうでもいいだろうに」
というような道路が舗装されていたりして、
しかもそれが、
私にとっては、
約20年ぶりの田舎の景色だったので、
もう、本当に、浦島太郎状態で、
ショックが大きく、
「もはや田舎は、私の心の中」
と、思って、やっぱりそれからも、行く気になれなかった。
が、今度は、おばあちゃんの命のともし火が、
ゆっくり、でも確実に、消え始めているという。
おばあちゃんは、とても気性が激しく、
とても厳しい人だった。
今の世間一般のおばあちゃんて、
やたらめったら、孫にやさしいように見えるけど、
私のおばあちゃんは、
性格なのか、とにかく怖かった。
嫌いじゃなかったけど、近づきたくはないような。
だけど、
8年前の私の結婚式に来てくれたけど、
その時のおばあちゃんは、まるくなっていた。
それがなんだか、
とっつきやすくなってる半面、
悲しい気がした。
「本来のおばあちゃんも、私の心の中に」
という感じで、
弱っているおばあちゃんなんて、
会いたいとも思わなかったんだけど。
だが、「心の中に」というのは、
本当にいなくなってからでもいいことで。
もうひとつの「心の中に」で収めている、
自然にしたって、
おばあちゃんがいなくなれば、もう本当に行くこともなくなる。
身内として、割り切ろうという気持ちで、
行くことにした。
少し大げさだけど、
何かに向き合う気持ちで。
……と、なんで、こんなしんみりとしたことを書いているんだ?
「きゃー!!全国歌会の歌もあるし、
芦屋歌会にも行きたいと思ってたのに、
東大阪歌会が、終わったとたん、またもう一首だなんて!」
と、思ったり、
「きゃー!!こんなだったら、やっぱり、
夫の靴より、美容院へ行ってたらよかった!!」
と、思ったり、
「……っていうか、何着て行こう?松山歌会で」
と、思ったり、
いろいろいろいろ、
激しくうねりある気持ちの日々を送っています。
……やっぱ、今から、カラーリングに行こ。ではでは。
両親の田舎が、愛媛県にあるから。
厳密に言うと、宇和島市。そのさらに南端(かなぁ……)。
前は「○○郡」とか「○○町」とか言ってたけど、
合併したのかしてないのか、
よくわからないけれど、
多分、宇和島市なんでしょう(笑)
松山より、高知県中村市のほうが、
近いような端っこ。
父方のおばあちゃんが、
90歳を越え、
何か大きな病気になっているわけではないけれど、
入退院を繰り返していて、
いつなにがどうなっても、
おかしくない状況になっているので、
元気なうちに、顔を見せておけと、
両親に説得されたのと、
「大阪でたいでたい病」になっていたから、
このチャンスを逃すまい、という気持ちから。
10日(金)の早朝から、
明石海峡大橋を両親の車で渡って、
私は松山で降ろしてもらって、
ビジネスホテルで一泊して、
翌日、松山歌会に出て、
特急に乗って宇和島へ向かう。
急に思いついたことなので、
両親や夫(←休みの日程が合わずお留守番)に、
いろいろ、わがままを言わせてもらった。
ありがたいことです。
★
田舎へは、親戚のお葬式以来だから、
10年以上前になる。
田舎とは、土地なのだろうか、
人なのだろうか、ふと思う。
子供の頃は毎年のように、帰省していたが、
中学生になってからは、
地元の友達と遊ぶことや、
親戚の仲の良かったいとこたちが、
その家の複雑な人間関係(両親が離婚したりとか、いろいろね)が原因で、
田舎へ来なくなったことから、
つまらなくなってしまい、
私ひとりが大阪に残ったり、
母と一緒に残ったりして、
帰らなくなった。
定点観測のように、
一年ごとに行くたびに、
自然は変わらないのに、
人は変わっていく(自分も変わっていく)。
私はそれについていけなかった。
十数年前に、伯母が亡くなり、
その頃は大学院生で、
時間の融通が利くのでと、
一緒に田舎までお葬式についていったが、
その頃にはもう、自然も変わっていた。
なんだか、よくわからないけれど、
やたらめったら、土にコンクリが敷き詰められてたり、
「こんなところきれいに舗装したって、どうでもいいだろうに」
というような道路が舗装されていたりして、
しかもそれが、
私にとっては、
約20年ぶりの田舎の景色だったので、
もう、本当に、浦島太郎状態で、
ショックが大きく、
「もはや田舎は、私の心の中」
と、思って、やっぱりそれからも、行く気になれなかった。
が、今度は、おばあちゃんの命のともし火が、
ゆっくり、でも確実に、消え始めているという。
おばあちゃんは、とても気性が激しく、
とても厳しい人だった。
今の世間一般のおばあちゃんて、
やたらめったら、孫にやさしいように見えるけど、
私のおばあちゃんは、
性格なのか、とにかく怖かった。
嫌いじゃなかったけど、近づきたくはないような。
だけど、
8年前の私の結婚式に来てくれたけど、
その時のおばあちゃんは、まるくなっていた。
それがなんだか、
とっつきやすくなってる半面、
悲しい気がした。
「本来のおばあちゃんも、私の心の中に」
という感じで、
弱っているおばあちゃんなんて、
会いたいとも思わなかったんだけど。
だが、「心の中に」というのは、
本当にいなくなってからでもいいことで。
もうひとつの「心の中に」で収めている、
自然にしたって、
おばあちゃんがいなくなれば、もう本当に行くこともなくなる。
身内として、割り切ろうという気持ちで、
行くことにした。
少し大げさだけど、
何かに向き合う気持ちで。
……と、なんで、こんなしんみりとしたことを書いているんだ?
「きゃー!!全国歌会の歌もあるし、
芦屋歌会にも行きたいと思ってたのに、
東大阪歌会が、終わったとたん、またもう一首だなんて!」
と、思ったり、
「きゃー!!こんなだったら、やっぱり、
夫の靴より、美容院へ行ってたらよかった!!」
と、思ったり、
「……っていうか、何着て行こう?松山歌会で」
と、思ったり、
いろいろいろいろ、
激しくうねりある気持ちの日々を送っています。
……やっぱ、今から、カラーリングに行こ。ではでは。