日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

2007年全国大会in阿蘇⑫~雲仙旅行編④~

2007年10月29日 | 五行歌な日々
妙見岳ロープウェイ乗り場から移動し、
地獄めぐり観光へ。

入口へ向かうバスの中から、
地獄めぐりの出口が見えた。

あっ……!!と思う。

もしかして、ここは、
一度来たことがあるところなのでは……!

     ★

バスから降りて、歩き出そうとすると、
「もしかすると、本格的に降りだすかもしれない」
と、予感させる雨の降り方。

傘を持参している人は、出してください、と、
旅行会社の人に言われる。

樹実、楽人さん、ほしかわさん、
三人ともバスのお腹(?)のあたりにある、
荷物置き場から、キャリーバックを取り出し、
折りたたみの傘を出す。

「みんな用意がいいねぇ。
あたしゃ、熊本は晴れるという予報を信じて、
用意してこなかったのに」

と、のんきに言うと、

「……あ、そっかぁ。旦那さんに車で空港まで送ってもらった人は、
大阪で雨には濡れなかったのよねぇ~」

と、返され、
すっかり忘れていたことを思い出す(笑)

また、
「あぁ!!稲田氏が傘を持ってきていないから、降ってきたんじゃないの!?」
とも言われ、
前に東大阪歌会で出した、
「『お守り』として傘を持つ」歌をしみじみと思い出したりもした。

なぁんだ、そっかぁ~。それが原因かぁ~。
やっぱ自分の歌は、自分を開放するなぁ~。はははは。
……と、笑うところではない(笑)←笑ってるじゃん。

「すいませんけど……」と申し訳なさ気に、
樹実と相合傘で、
地獄めぐりは始まった。

入口は、出口と違って、
記憶にはひっかからない。

樹は、覚えてないだろうか。

     ★

入口から、鬱蒼とした木々の中を登っていく。
硫黄の臭いが立ち込めてきそうな(この日は雨であまり臭わなかったです)
もくもくとした煙は、まだ先。

「あのね、ここ、来たことない?」と、聞いたとき、
樹の顔は怪訝そうだった。

「修学旅行でさぁ、ここ、来たことない?」
具体的に言い直すと、
記憶の掘り起こし作業を始めてくれた。

中学校の修学旅行で、
来たことがあるような気がするのだ。

実感を持ってそう思うのではなく、
私自身、間接的なのだが。

「……ないんじゃないの?」
樹の記憶にはヒットしない。

「長崎には、来たよね。浦上天主堂だとか、
グラバー亭だとかは、間違いなく、
覚えているんだけど……。
ここはね、確か、三日目の帰路につく途中で、
立ち寄った場所なんじゃないかな」

おぼろげな記憶を言ってみる。

「でも、雲仙って来たかなぁ……。
私はどうも、グラバー亭へ行く前に食べた、
お昼ごはんのチャンポンが不味かったことしか思い出せない」

そんなことは、おぼろげな記憶すらないぞ、樹(笑)

「まぁね、私も、自分が実際に来たという
実感の記憶は、あんまりないのね。
ただ、卒業アルバムに、
○○がここの地獄を歩いている写真が載ってて、
それをよく見ていたから、覚えているっていう感じなんだけど……」

最後の方を言う時、私はもう、
照れて照れて仕方がなかった。

○○とは、その当時好きだった男の子のこと。

照れて照れて仕方がないが、
浦島太郎が玉手箱を開けるように、
記憶がひも解かれていく。

「もしかしたら、雲仙じゃないかもしれないけど、
こういう、硫黄の臭いのするところへは、
間違いなく修学旅行では行ったんだよ。
で、その後、博多で新幹線に乗るために、
バスで移動して、
その途中で、佐賀によって。
多分、あれは、佐賀で『唐津港』付近だったような気がする。
素焼きの湯呑みに、絵を描くなんてこともしたりして。
でさぁ、あたし、マンガチックな絵をみんなが描いてて、
『それでお茶飲むのぉ~?』と思ったんで、
『修学旅行』って、なんの思い入れもなく書いたら、
『行』の字のスペースが少なくなって、めっちゃ細い『行』に
なったんだよなぁ~」

地獄めぐりの記憶より、佐賀の唐津港でのことのほうが、
直接的な記憶なので、話はどんどんディテール化する。

「そんで、その後、
『唐津港』なのか、なんなのか、
砂浜にも行ってね。
そこで、まぁ、その、○○と、写真も撮ったりして……」

もごもご。結局、○○とは、成就しなかった。

「その砂浜は覚えてるわ。確か、私は……」

と、それまで聞き役立った樹が、
私と○○が写真を撮ったのは覚えていなかったが、
『砂浜』にあるそれなりの記憶を辿りだした。

ちなみに、○○との写真は、
樹が撮ってくれたりもしたんだけどね(笑)

同じ場所にいても、見ているもの、感じているものは、
違う。

そういえば、修学旅行から帰って数日後、
樹から呼び出されて、とても辛い打ち明け話をされたのを、
後々思い出した。

彼女にとって、あの時の修学旅行の頃は、
まだひとり自分の中で未整理な葛藤を抱え込み、
テンションが低かった筈だ。
(実際、打ち明け話の時、
何を見てもつまらなかったと言われた気がする)。

パズルのようにつなぎ合わせて。
井戸から水を汲み上げるように。

思い出しても、思い出しても、別々の個々の記憶。

一致を見ては、それぞれの岸辺。

     ★

やがて、鬱蒼とした木々の小高い丘を抜けて、
湯煙の立つ地獄めぐりへ。

「来たこと、あるような気がしてきた」と樹は言った。

雨は思ったよりは、本格的にならなかった。

樹は傘をたたんだ。

私は家に帰ったら、
卒業アルバムと照合したくて、
デジカメで、意味もなく地獄の風景を撮りまくった。

出口付近のお店で、
「観光写真を撮りませんか?」と言わんばかりの、
記念写真が飾られていた。

団体や、夫婦での写真の中に、
ご婦人が、ひとりで撮られている写真があった。
とても古そうで、色褪せていて。

そのご婦人の足元には、
「昭和63年○月○日」という盾(?)が置かれていた。

昭和63年。

私がもし、ここへ修学旅行に来ていたとしたら、
昭和59年のことだ。

私の記憶が写真なら、これよりももっと、
色褪せている訳だが。

きっかけは、地獄めぐりの『画』だけれど、
リアルにあふれ出てくるのは、甘酸っぱさ。
その甘み。

こんな風な味で思い出したと、
また記憶されていく。

また忘れ去っていく。

     ★

卒業アルバムは、
夫の分しか、我が家には置いていなかった。
私の分は、実家の屋根裏のようだった。

確かめたいけど、手軽に見直せる場所にないのなら。

大阪に帰ってきてからも、
旅行前と同様、忙しい日々を送っている。

無理に時間を作ってでも、
もう一度、その甘酸っぱさを味わいたいのか。

そんな自問自答で、足踏みしている。

最新の画像もっと見る