日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

大西直子さんに会って来ました(後編)

2009年07月22日 | 五行歌な日々
大西直子さんのお家と、
私の家は、
そんなに離れてはいない。

なので、私の家に近いスーパーは、
大西さんちからも、
そんなに離れているわけではない。

てなことで、ふとした話題の中から、
彼の話になった。

以前、仕事で見かけた、ボリューマー君のこと。

彼は、引越した家の一番近くのスーパーで、
働いている。

     ★

私は、ブログと同じ様な順番で、
ボリューマー君について話をした。

大西さんは、
声が大きいことを話した段階で、すぐに、
個人差はあるんだけれども、という前置きをした上で、

「発達障害の人だと思います。大きな声で話すっていうのは、
よく見られる特徴なので」

というようなことを言った。

発達障害。聞いたことがないと言えば、嘘になる。

初めてその言葉を教えてくれたのは、
李陽子さんだった。

     ★

きっかけは、東大阪歌会に何度か来てくれた男の子。

歌がどうの、という以前に、
マナー的なレベルで、
「読み手が真剣に歌を鑑賞するだけ、馬鹿にされてしまう。茶化されてしまう」
とでもいうような、ニュアンスの態度があって、
やわらかい心の状態になっている、
歌会の参加者を無意味に傷つけている感じになっていたことと、
歌会以外の日に、
私の家にアポなしで
遊びに来るといったことが何回かあって、
それがだんだん負担になっていき、
苦渋の決断で、歌会参加をお断りするようになった、あの男の子。

なまじ、最初、
自分が気遣って、親切さを心がけていた分、
その決断はとても辛かったのだが、
なにかのきっかけで、
李さんとの電話で、彼の話をしたときに、
「発達障害なんじゃないかな」と、言われたのだ。

李さんのその想像を、
私は容易に飲み込めなかった。

その男の子の無邪気すぎる振舞いに傷つきながらも、
「……そこまで言う?そんな名前(病名?)つける?」
という違和感をもったからだ。

単に躾けられてないんじゃないか、という感覚でしか、
どうしても彼を捉えられなくて、
李さんが、
発達障害について、いろいろ説明してくれたことを、
彼に当てはめるのに、ひどい抵抗感を持った。

なので、その時、李さんに教えてもらったことは、
その名前以外は、何一つ覚えていなかったのだけど。

今回のボリューマー君のことを、
「発達障害」だとほぼ断定的に言った、
大西さんの言葉は、
とてもひどく納得し、
いつの間にかうっすらと、それなりに葛藤を生じさせていた、
私の心の中をすっきりとさせた。

と、同時に、
ボリューマー君ほどの奇抜さはない子だったけど、
その時初めて、
李さんが、あの男の子を「発達障害なんじゃないかな」といったヨミは、
当たっていたんじゃないか、と納得した。

     ★

「『どーもスイマセン』という言い方は、
別に昔の流行語をマイブーム的にその場で発した、
ということではないと思います。
おそらく、林家三平(もちろん先代の)さんだって、
その子は知らないんじゃないかな」

大西さんは私に説明してくれた。

「なんのきっかけかはわからないけど、
『どーもスイマセン』という言葉(表現)は、
そのゲンコツをおでこに当てて言うものだ、という風に、
学習したんだと思います。

で、その言葉は、そういう風でしか、
彼にとっては言えないんです。
どんなシチュエーションになろうとも、
その言葉は、そういう表現で言うもんだ、としか、
学習できないんです」

大人になるまでに、
何通りかの『どーもスイマセン』の言い方を、
覚える可能性はあるそうだ。
でもそれは、せいぜい数パターンでしか、
学習できなくて、
状況の機微に合わせて、微妙に言い方や使い方を変えるというような、
無限さは、
いくら経験を重ねても身につかないのが、
発達障害の発達の仕方です、
というようなことも、教えてもらった。

そして、私の中に、思い当たる人物が、またひとり。

「大学の時にね、うちの文芸部の中にも、
ちょっと特徴的な同期生がいたんです」

「わかります。私もその人のことは知ってます」

大西さんは、私のいた文芸部の隣のクラブで、
楽器を弾いていたので、
すぐにピンときたようだった。

「多分、その子も、そうなんだと思います」

そう考えると、
彼との苛立ちめいたひとつひとつのエピソードから、
開放されていくような心地がした。

     ★

例えば、部活での合宿などにおける、
自由行動の時間に、
女子グループでおみやげ物屋をうろちょろしてても、
同期のその彼は何も言わず、黙って後ろをついてきたりして。

「どうしてこんなに、女子についてくるんだろう。
でも、『ついてこないで』と、真正面から言いにくい……」

的状況で、散々ストレスをためてから、
「ついてこないでくれる?男子のところへ行ってくれる?」
なんて、プンプンしながら何度言ったことだろう。

そして、その後の彼をチラ見すると、ひとりでいたりするもんだから、
チクチクチクチク胸は痛んで。

彼とのエピソードは、とにかく後味が悪いものが多かった。

「こんな風に考えていくと、
発達障害の人って、案外、身近に接しているんですね」

しみじみと私は言った。

そして、詳しく発達障害の特徴を聞けば聞くほど、
「自分の中にも、思い当たる節がある」的なものを、
感じ取っていき、
社会的に折り合いのつかない自分の
部分的、いや、中心的特徴が、グルグル頭を駆け巡った。

「あたしももしかして、発達障害の人?」と、
一瞬単純にラベリングしたけど、
度合いの問題だと考えれば、
そういうラインまでは行ってないか、と思い直したりもして。

余談だが、金美羽さんとも、大西さんの話の受け売りで、
発達障害の話をしたのだが、
金さんも、
「あたしももしかして、発達障害の人?」と、
自分に当てはめたときがあって、
「あぁ、やっぱ、一瞬そう思うよね」とうなづいたりした。

ボリューマー君をはじめとする、
葛藤の烙印を押された過去の人々とのエピソードが、
私と地続きになり、解消されていく。

その人たちを「発達障害」と仮定することで、
気持ちが楽になっていくと、
今度は不意に「うつ」という言葉が連想された。

「発達障害って、でも、『うつ』ほどは、
社会的に浸透してないですよね。
まぁ『うつ』だって、浸透は最近なんだけど。
ボリューマー君は、『発達障害あり』という認識の下で、
雇われたんですかね」

「そんなことはないと思いますよ」

「……ですよね」……だとしたら。

一緒に働く人は、大変だな、と思った。

多分、
本人も周囲も、葛藤を抱え込む。
認識するだけでも、違うのに。

社会的に浸透してないと、
本人が認識すること、周囲が認識することに、
ものすごく時間がかかるだろう。

でも、本当は、
認識してから、どうすればいいのか、
その対処を模索することこそしなければ、
建設的な解決にはならないのに。

葛藤の螺旋階段を登るばかりで。

「私、古臭く、
ボリューマー君のことを、
『最近の親御さんて……』っていう風な見方をしてました。
働くのに必死で、目が行き届かないのかないから、
躾けられてないのかな、とか、思ったりして」

「あぁ……それは、さんざん(親は他人によく言われていることだと)……」

親だって、自分の子どもが、
発達障害だと言われたら、まず抵抗するだろう。
受け入れがたいだろう。

「個性」と「発達障害」の境目なんて、
精神科にでも行って、目安となる質問書とかの、
客観的なものさしなどで、証明されない限り、
なかなか受け入れられないんじゃないだろうか。

説得力がないんじゃないだろうか。

そして私は、自分の仕事の中での印象に残った、
『ありがとう』をめぐる、
いくつかの、子どもと親と私のエピソードを、
胸の中で見つめなおす。

あの時の子どもが、発達障害だとして、
そのことに、母親がうっすらと何かを感じ取っているとして……。
でも、何かわからずに、いらだっているとして……。

そして私は何も思いやることもなく……。

思い違いも沢山あるだろうが、
全く想像できないよりも、
ひとつの可能性として、想像できるほうが、きっといい。

想像したって、無力だけれど、
きっと知らないより知っているほうが、
多少、苦しくても、多分。

     ★

大西さんと会ってから数日後。

転居を知らせるはがきを、
おそらく発達障害であろう文芸部の同期の「彼」にも送っていたのだが、
それを受け取ったという暑中見舞いのはがきをもらった。

はがきのスペースのほんの片隅に
固めて小さく、角ばった字の、通り一遍の。

でも、彼にとっては、おそらく私と夫に対する(夫も同じ文芸部だったんでね)、
親しみをこめた、思いを詰め込んだ一葉なのだろう。

「彼」からもらったはがきの中で、
初めて、そのなんでもない文章を繰り返し読んだ。



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