準決勝から先の壁は以外にあっされと突き破ってくれたのは
次男坊の代であった。
春の大会であっさり優勝し、夏も連続で優勝した。
この代は6年生は5人だったが、一人ひとりの体格がよく
試合開始の挨拶で対戦相手と比べても見劣りしなかった。
次男坊を守りの要のキャッチャーにし、大型打線が組めた
こともあり理想に近いチーム編成ができたと思っていた。
ところが、ここが少年野球の奥行きの深さというのか
分からないもので、満を持して出場した県大会ではまさかの
コールド負けを喫してしまったのである。
この大会は地元テレビの放送が夏休みの終わりに放映される
ことから、他の県大会に比べて人気があったが、
試合終了後の子供たちの泣き顔しか映らなかった。
今、振り返ってみると、甲子園の初出場校がなかなか
初戦を突破できないのとよく似ていて、この経験が
あったから次があったのだと思われる。
チームはまた一つステップアップして強いチームに
変わりつつあったように思う。
次男坊の代であった。
春の大会であっさり優勝し、夏も連続で優勝した。
この代は6年生は5人だったが、一人ひとりの体格がよく
試合開始の挨拶で対戦相手と比べても見劣りしなかった。
次男坊を守りの要のキャッチャーにし、大型打線が組めた
こともあり理想に近いチーム編成ができたと思っていた。
ところが、ここが少年野球の奥行きの深さというのか
分からないもので、満を持して出場した県大会ではまさかの
コールド負けを喫してしまったのである。
この大会は地元テレビの放送が夏休みの終わりに放映される
ことから、他の県大会に比べて人気があったが、
試合終了後の子供たちの泣き顔しか映らなかった。
今、振り返ってみると、甲子園の初出場校がなかなか
初戦を突破できないのとよく似ていて、この経験が
あったから次があったのだと思われる。
チームはまた一つステップアップして強いチームに
変わりつつあったように思う。