「性の多様性」は、その具体的、個別的内容が十分吟味されないいまま、
あらゆる分野で拡大しているようだ。
某市女性市長が第二の宣言都市となり、
ピンク色のシャツを付けた市民集会の記事を見る。
どうしてピンクなのか、もっと良い色はないのだろうか?!
ピンク映画などのイメージがありやや不気味な感じがする。
人権、ヒューマニズム的発想と密接に関わっているので、
非常に難しい内容ではないか。
ニュ-ヨーク市の玄関に「自由の女神」があることの違和感に似た感覚がする。
この感覚が米国を引きずり落としつつあり、歴史が実証することになるのかもしれない。
この対応が将来を考えるに大きな分岐点の一つとなるかも知れない、
同一障害と障害であり、時に倒錯でありながら、
発生学・精神医学・社会学的判定基準が明らかでなく
イッパヒトカラゲであるので、解決すべき問題(障害)を
マスクしてしまうことになる可能性は大きい。
公に公認した公の方々には、それなりの責任が伴うのではないだろうか。
事実関係を調べ、考え、模索している大部分のひとは
判断に戸惑っているのではないか?!
無神論、進化論の世界観からは、悩むことはないだろうが
男性と女性があり、子孫があり、家庭があり、自然であると思うのだが?!
公がなんと言っても、最終的には、個々の判断となるような気がする。
具体的には歴史がその是非を明らかにするのだろう!!!