スマイルハーツ

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スマイルハーツ

雑学「モノの単位」のはなし

2007-05-01 16:17:10 | 心に刻む大切な事
 1メートルの単位は、地球の子午線(北極と南極をむすぶ線)にそって、
北極から赤道(せきどう)までを1000万メートルとし、
その1千万分の1を「1メートル」というらしい。
だから、地球1週すると4万キロメートル。

 いまは、「光が真空中(しんくうちゅう)で、
2億9979万2458分の1秒間にすすむ距離」が
「1メートル」とさだめられているんだね。


 シベリアの原住民の間には、
「プーク」という単位があるのだそうです。
これは、遥か彼方の野牛の角が
見分けられなくなるまでの距離の事だそうです。
 また、スペインの水夫は、パイプにつめた
タバコの煙が消えるまで舟が走った距離を
「1シガー」と呼んだそうです。
 ヨーロッパでは昔、「スタジア」という単位が使われていました。
砂漠の中で、東を向いて日の出を待ちます。
やがて、金色の炎の球体が姿を現す。
その現れた瞬間から、すっかり地平線上に出切る、
つまり、太陽の下が地平線をまさに離れる、その間に歩ける距離、
これが「スタジア」だそうです。

 かけがえの無い、自然を、地球を、大切にしましょう!
未来に対する責任と義務ですから。






あへんどかく

2007-04-30 08:57:51 | 心に刻む大切な事
 富山県や石川県でむかしから使われていることばに、
「あへんどかく」というのがあるそうだ。
「あへんど」はおもに野外で交わす挨拶の事で、
その挨拶をすることを「あへんどかく」という。
各地には、さまざまな「あへんど」のことばがあります。
たとえば、「ご苦労様」という、
ねぎらいの挨拶ことばを採り上げてみると・・・・


 各地の「ご苦労様」

いっしょけんめーだね (北海道)
かへんでらなー (青森)
おかしぇぎであんすな (岩手)
いっしょけんめーだすな (秋田)
いっしょけんめだなっす (山形)
ごくろさんでがす (宮城)
よくせーがでんなえ (福島)
おかせぎでがんすね (埼玉)
せーがであんすね (茨城)
おかせぎでごいすね (山梨)
ごせーがでますね (神奈川)
おあがんなせー (千葉)
いっしょーけんめらね (新潟)
せーだいてくんだせ (石川)
ごくろはんな (富山)
きばってくんねの (福井)
ようやらっせるのー (岐阜)
よくやるなん (長野)
えりゃーなも (愛知)
おあがりましょー (静岡)
ごくろーさんやなー (京都)
おきばりやす (滋賀)
せーだしてはりますなー (奈良)
やってまんなー (大阪)
おえろーでござんすなー (岡山)
しぇわやかっしゃーね (島根)
しんぼーじゃのー (山口)
えろーでござんしょ (広島)
やりおるでー (愛媛)
おかしぇぎんさー (福岡)
きばゆーおいござっのー (長崎)
がまだしなはるますなー (熊本)
はたらきょるなー (大分)
わっぜはめっくいがー (鹿児島)
はいさいちばみしぇーみ (沖縄)

             だとさー

ちょっといい話 『結婚』について

2007-04-29 09:26:33 | 心に刻む大切な事
 結婚式の折り、花嫁のつまり自分の娘の誕生日が
何年何月何日で、
産院はどこで、に始まって、
小、中、高校の入学、卒業の年月日など、
読み上げて披露宴列席者への挨拶に代えた、
という話。
列席者はとても感動を覚えたとのことです。


 祝婚歌   吉野 弘

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

乞食訓のはなし

2007-04-28 18:04:43 | 心に刻む大切な事
 昭和二十年代のころ、詩人の高木譲さんは職を転々と変える生活で、
長崎で一人の乞食に出会います。
無一文の高木さんは、その乞食からパン屑と残り飯をわけてもらい、
その日から一週間ほど行動を共にする。
 その乞食はシャッポという名で、乞食を四十年やったという人物でした。
シャッポ氏は高木さんにいいました。
「君、乞食も一つの職業だよ。もっとも誰でもがなれる職業じゃない。
人の一生分を五、六年で経験した人間でないと資格はない。世の中のことは
すべて判って、しかも人格円満、つまり神様に一番近い存在、それが乞食
だよ。」

さらに、四十年の経験から割り出した乞食訓を講じたのでした。
「その一、あくまで服装は百年一日の如くあるべし。
その二、ことばは常に不明瞭な発言を旨とすべし。
その三、名前は他人がつけてくれたものにする事。名前は自然に他人が
つけてくれる。
その四、人間を信用すべからず。物を呉れたから、あの人はいいひとだ
なんて思ってはいけない。
その五、あくまでも顔に喜怒哀楽の表情を表さない事。
その六、今日は何月何日だとかいう事を一切気にしない。乞食には
元日も祭日もない。」

「いいかね、面倒でも、残飯、野菜、魚とそれぞれに分けて、別々の
袋に清潔にしまっておく事。
それから一度に沢山仕入れてはならない。それは怠け者のする事で、
悪徳だからだ。
また、衛生の見地からいっても好ましくない。
乞食には、清潔さと几帳面さ、それに勤勉さが必要なのだ。」

 シャッポ氏はさらに、
「ゴミ箱をあさるなんて、あさましい事だと君は思うだろう?だが、
いったい我々は誰の迷惑になっている?誰にもお世話になっていない。
その上、誰とも競争せず、
誰にも嘘をつかず、
争わず、
生活の具を得る。
これは最高の生活態度だ。最も紳士的態度だ。」

 ついで、「おもらい」について次のように伝授されました。
「人さまの勝手口に立つ。ただ、それはこちらから要求して何かを
貰うのでもなければ、人さまも我々に何かを恵むのでもない。
何か呉れというような物欲しそうな顔をしてはいけない。
そのような態度は、相手に気持ちの上である強制をしている事になる。
ただ、ぼやーっとしている。
相手の顔も視ないように。
神様のような顔をして立っている。
それから物を貰うときは、すぐ貰ってはいけない。
まず手を服でぬぐう。
レストランでおしぼりを使うような気持ちでだね。
そして貰うときに、『ありがとう』なんて明瞭にいってはならない。
フニャムニャ・・・・と、こういうふうに、語意不明にやる。
というのは、相手に物を恵んだという感情を起こさせてはいかん
という事だ。
ちょうど神様に物を供えたような気にさせる、これが望ましい。」
と。

心に残る話

2007-04-28 17:11:20 | 心に刻む大切な事
3階の物置部屋を片付けていた。
サラリーマン時代のものは全部捨てるつもりで。
ある書類に目が止まった。
若い社員の研修か何かに使うつもりで、
何かの本で読んだのをメモしておいたものだ。
破り捨てるのはちょっと惜しい気がするので、
ここに披露しておくね。

もしも世界が100人の村なら

2007-01-20 11:57:38 | 心に刻む大切な事
何年か前にこのメッセージがインターネットに乗って

世界を駆け巡りました。

今、改めて読み直しても色あせるどころか

今こそ私たちがそのメッセージに込められた意味を

深く感じとる必要があるのではないだろうか・・・


       もしも世界が100人の村ならば        原文 If the world were a village of 1000 people

            もしも今日がついてない一日だと感じたあなたも
              これを読んだら現実が違って見えるかも


もし 現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を人口100人の村に縮小するとしたらどうなるでしょう。

その村には・・・

57人のアジア人

21人のヨーロッパ人

14人の南北アメリカ人

8人のアフリカ人がいます。

52人が女性で

48人が男性です。

70人が有色人種で

30人が白人

70人がキリスト教徒以外の人たちで

30人がキリスト教徒

89人が異性愛者で

11人が同性愛者

6人が全世界の富の59パーセントを所有し、その6人ともがアメリカ国籍

    80人は標準以下の居住環境に住み

70人は文字が読めません

50人は栄養失調で苦しみ

ひとりが瀕死の状態にあり、ひとりは今、生まれようとしています

ひとり(そう、たったひとり)は大学の教育を受け

そして ひとりだけがコンピューターを所有しています


もしこのように縮小された全体図からわたしたちの世界を見るなら、相手をあるがままに受け容れること、自分と違う人を理解すること

 そして そういう事実を知るための教育がいかに 必要かは火を見るより明らかです。

また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。

もしあなたが今朝、目覚めた時、健康だなと感じることが出来たなら・・・
あなたは今週生き残ることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています

もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や、獄門の苦悩、あるいは餓えの悲痛を一度も経験したことがないのなら・・・
世界の5億人の人たちより恵まれています

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことが出来るなら・・・
世界の30億の人たちより恵まれています

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上には屋根があり、寝る場所があるなら・・・
あなたはこの世界の75パーセントの人々より裕福で

もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、家のどこかに小銭の入ったいれ物があるなら・・・
あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8パーセントのうちの一人です

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・
それはとても稀なこと

もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間 2倍の祝福を受けるでしょう。

なぜならあなたのことを思ってこれを伝えている誰かがいて、その上、あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです

昔の人がこういいました。わが身から出づるものはいづれわが身に戻り来る、と。

    お金に執着することなく 喜んで働きましょう

    かつて一度も傷ついたことがないかのごとく 人を愛しましょう

    誰も見ていないかのごとく 自由に踊りましょう

誰も聞いていないかのごとく のびやかに歌いましょう

あたかもここが地上の天国であるかのように 生きていきましょう

このメッセージを人に伝えてください、そしてその人の一日を照らしてください。

                                         
                                         作者不詳   訳 なかのひろみ

『千の風になって』について

2007-01-18 11:49:04 | 心に刻む大切な事
秋川雅史の歌う「千の風になって」
この詩に強く心を打たれます。
この詩が生まれた背景を調べてみました。


千の風になって(翻訳詩 新井満)

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

あの大きな空を
吹きわたっています


「千の風になって」の詩の原作者について

『千の風になって(Do not stand at my grave and weep)』の原作者についてまとめてみました。結論から言うと、原作者はメアリー・フライ(Mary Frye)というアメリカ人女性です。
そしてこれが、彼女の生まれて始めての作詩でした。
各国で行われる戦争記念日、慰霊祭では、必ずといってよいほどこの詩が登場し、遺族の心を和らげています。しかし、あまりに有名な詩にもかかわらず、原作者については、つい最近まで知られることなく過ぎてきました。この詩人が市井の人を貫いたため、資料が少なかったのがその理由だと思われます。

『Do not stand at my grave and weep』(千の風になって)の原作には諸説があり、アメリカ先住民説まで飛び出しました。英米国の双方で作者探しが盛り上がり、ついにメアリーに辿り着きます。

メアリーの地元ラジオ局でのインタビューより

メアリー・フライは家庭的で、常識があり快活な94歳のようだ。
これはメアリーが自身の言葉で語った親友マーガレット・シュワルツコフ(Margaret Schwarzkopf)の事である。
時は1932年に遡る──


「そうね、マーガレット(ドイツ系ユダヤ人)はドイツから来たの。ちょうどヒットラーが政権を取ってね、お母様も国外に出たかったんだけど、老齢の上、具合も悪くて来れなかったのよ。彼女はそれこそ何時もお母様の事を心配していたわ。何しろ全然手紙が来ないのよ、だから日ごとに心配を募らせていたわ。
私たち大使館を通してできる限りのことをしたわ。わかるでしょ? その手の事って。ようやく事が判明したんだけど、お母様は亡くなってたの。それで、マーガレットは実際に神経衰弱を患ってただ泣くばかり。毎日、毎日泣き暮らしていたわ。

ある日一緒に買い物に出たの、茶色の紙袋に買ったものを入れて、家のキッチンテーブルで仕分けをしていたのよ。そしたらね、何だか分からないけど、私の買ったものを見てマーガレットが泣き出したの。「それ、私の母が好きだったの。」ってね。
「マーガレット、お願いだから泣かないで。」っていったの。そうしたらマーガレットがね、「何が一番悲しいかって、私は母の墓標の前に立ってさよならを告げる事も出来ないのよ( I never had the chance to stand at my mother's grave and say goodbye.)。」涙に目をぬらしたまま、2階の自室にひきこもったわ。
(注;ドイツの情勢が反ユダヤ人に向かっており、帰れる状況ではなかった。)


その時メアリーの手には、買物を点検するためのペンが握られていた。メアリーは、引きちぎった茶色の買物袋に、一息に込み上げる詩を書き付けた。
しばらくして、落ち着きを取り戻したマーガレットが階下に下りてきたとき、メアリーはマーガレットに紙切れを差し出した。「これ、私が書いた詩なの。私の思う〝人の生と死のあり方〟なの。あなたのためになるかどうか分からないけど。」
マーガレットは詩を一読し、メアリーを抱きしめて言った。「私この詩を一生大切にするわ。」そして、もう泣く事は無かった。


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マーガレットはこの詩を職場へ持っていった。彼女の同僚の友人が連邦政府印刷所に勤めており、そこからこの詩が作者の手を離れていったのだ。