
この本は読んでおくべきだ、という強い直感がありました。
手に取った瞬間から強く訴えてきたし、実際、嘘みたいにすんなりと読めました。
ばななさんの小説は、これがはじめてだったのに。
あの震災のことについては、どうにも疲れていました。
だから、ほとんど3猿状態でした。
復興の役割はちゃねりに任せて、私は落語の世界に夢中になっていました。
けれども、それはきっと、私だけのことではなかったはず。
あの、心が凍ってしまったような感じ。
3月11日以前とは、何かが変わってしまった、何かが違う、という感じ。
そういう感じが辛くて、嫌だから、震災のことについては、意図的に避けて、逃げている人、たぶん、いると思う。
見ざる言わざる聞かざるな人たち。
なんというか、「スウィート・ヒアアフター」は、例えば、「あひる哲学」の、その後の物語なのだと思いました。
だから、宙ぶらりんになっていたあの作品に、ようやくピリオドを打ってくれたような、そういう本、そういう小説、そういう物語なのでした。
「ヒアアフター」の時も書きましたが、見える見えないとか、あっちの世界こっちの世界とか、そういう舞台装置にだけこだわるのは、私は間違いだと思います。
むしろ、良質なポップスのように、快適で心地いいもの、というのが、本質だと思います。
だって、それはまるで良質な楽曲の歌詞みたいに、言葉がキラキラしているじゃないですか!
私は、来月の22日、宮代町のマラソンの日、久しぶりにカットハウスペンギンに行こうと思っています。
それで、誠に勝手ながら、あのお店に「あひる哲学」を置いてもらうよう、頼んでみます。
あの本は、たった1冊しかないからこそ、ペンギンさんにあるのが相応しいと思うので・・・。
もしかしたら、ひとりぼっちになっているかもしれない。
いなくなっているかもしれない。
けれども、それはそれ。

ひとりは気楽。
ふたりは快適。
あの世は極楽。