2011・9・11日NY Manhattanの37・38階で、私は恐怖の中に。
「歴史の生き証人」として語り継ぎたい。
NewYork 9.11テロ 天国から地獄へ
9・11・・・9.13
2001 9・13
今日は、朝メールを打って10:30に花屋に。
途中66ストリートから68stまで、軍隊のトラックと迷彩色の軍隊がズラーと。
迷彩服の隊員に「 何しているの?」と聞く。
「ワールドトレードセンターのことで待機。」とのこと。
緊張感。
軍隊と市バスが一緒の道路に動いているって、すごい光景。
こんな時に迷彩色の人を見ると頼もしい。
やはり厳戒体制なのだと再認識。
テレビで見ていた中東の市民が軍隊と一緒にいるのを大変痛々しいと見ていたが、もはや自分がそれ。
大使館へのストリートも閉ざされていた。
やはりアメリカ人の考えでは今は戦争なのだと、実感した。
夫も私の安否より会社の事の方が先だろう。
それなら1人でいるより花屋にいた方が。
フラワーショップのみんなは、ニューヨーカーで、土地感も有るし逃げる時も1諸に逃げれば良い。
「逃げるのを助けてもらえるかもしれない。」と思い花屋に向かう。
皆怖さもあるし、緊張もしているしで、異様に明るい。
すぐ帰るつもりが、花のアレンジに時間がかかって、1:30に家に。
すぐにメールを打とうと思いメールを開いた。 金融関係が怪しくなるというので、急いで、1階のシティイバンクにお金をおろしに。
カードでは、今朝$10おろしたので、もう防犯のためにおりない。
2階に行って窓口で「国に帰るのでお金が要る。」と言って、多額をおろした。
当面郊外のホテルに泊まっても良いくらい。または日本への2人の飛行機代の倍ぐらい。
マンハッタンに1ヶ月篭城できるくらい。
免許書とサインで、こんなにたくさんのお金がおろせるとは思わなかった。
(ニューヨークで取った私の写真入りの自動車免許・実技の時は英語の指示に従い、左運転の実技と、本当に大変だったが、
泣きの涙のあの努力が、こんな時に本当に役に立った。)
ID代わりにパスポートがいるなら、家まで引き返さなければならなかった。
そんなことをしていたら、お金がおりなかったと思う。
窓口の黒人の姉さんは鼻歌交じりで数えてくれた。。
忙しいから受け取って帰ろうとしたら、その場で数えろと。
身体で隠して皆の前で一生懸命数えたよ。何とぴったりあっていました。 「ありがとう。」
「テイクケア!」だって。
この明るさが、アメリカだよね。
その間私の後ろには、10人ぐらいの人が。
さすがに多額のお金 。
腰ベルトに入れて、家に飛んで帰って壷の中。
あの列は、金を持って歩かないアメリカの人が、皆$10以上おろしているって言う事になる。
でも事件の日の、買い物30分待ちは、現金支払、10品以下の列だったからで、カードだったら、50分は待たされたよきっと。
というわけで、水 食料 金と3種の神器がそろいました。
そして、”火事場の馬鹿英語!”
夫は、「グランドセントラル駅に爆弾。」
との事で、昼頃2時間ぐらい非難させられたとか。恐かったでしょうね。
フラワーショップにいた時のけたたましいパトカーのサイレンはそれだったのか。
明日は、レノックス・ヒル・ホスピタルに献血に行ってきます。
せめて私の血を、アメリカのために使っていただくつもりです。
最後まで、冷静で、元気1杯気を抜きながら、頑張りますので、心配しないで下さい。
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