夏だ!ご縁だ!月島だ!

8月26日に月島で開かれる映画「ご縁玉」上映イベントの情報ブログ

ありがとうございました(司会より)

2010-08-27 23:16:27 | 日記
今回司会を担当しました、フリーアナウンサーの今泉です。


「夏だ!ご縁だ!月島だ!」は、ご来場いただいた皆さま、運営を手伝っていただいた皆さまのおかげで、無事に終了しました。

会場でもお話ししましたが、今回のイベントは、いろいろなご縁で集まったメンバーが、それぞれやれることをやるという形で、手弁当でやった手作りのものでした。至らぬところは多々あったかと思いますが、温かい空気を、司会をしながらずっと感じることができて、最後の瞬間まで私もとても温かい気持ちでいることができて幸せでした。本当に、ありがとうございました。

会場で皆さまに「ぜひ感想をメールかファックスでお送りください」とお願いしたところ、素敵な、心温まる感想が届いています。どれも素晴らしい感想なので、私たちスタッフだけで読むには惜しいというか、あの会場にいた皆さんで想いを共有できたらという気持ちが、スタッフの中で高まっています。

会場でもちょっとお願いしたのですが、個人名はもちろん、個人が特定できないようにした上で、皆さまの感想をこのブログに掲載させていただけたらと思います。短くても構いませんので、ぜひ感想をお送りください。その際「ブログ掲載可」と書き添えていただけると助かります。

ブログでの公開を希望されない場合は「ブログ掲載不可」とお書き添えいただいたら、掲載はいたしません。スタッフだけでありがたく読ませていただきます。

エリック=マリアと江口監督は、きょう午前九州に向かいました。このあとも各地で「ご縁玉」の輪が広がっていくでしょう。

忘れられない夜になりました。皆さまのおかげです。心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

今泉 清保

「夏だ!ご縁だ!月島だ!」イベントについて

2010-08-27 23:15:40 | 日記

夏だ!ご縁だ!月島だ!

※おかげさまで満席となり、予約申込は締め切りました。

キャンセル待ちの受付も終了しましたので、ご了承くださいませ。

 

 映画「ご縁玉」上映と出演者によるライブ演奏・トークセッション

 ■日時 8月26日(木) 開場 18時30分          

               開演 19時(終了21時30分)

 

■場所 月島社会教育会館 ホール(月島区民センター4階)

 東京都中央区月島4丁目1番1号

http://chuo-shakyo.shopro.co.jp/tsukishima/access.php

都営大江戸線・東京メトロ有楽町線 「月島」駅 10番出口すぐ

(大江戸線改札から徒歩3分、有楽町線改札からは徒歩5分) 

 

 ■料金 2000円

 あらかじめメールでご予約いただき、料金は当日受付にて承ります。

 

■予約について (※予約申込は締め切りました。)

人数限定のイベントにつき、あらかじめメールにて予約をお願い致します。

件名は「イベント」、本文には

 ◎参加する方のお名前(複数の場合はすべての方のお名前

 ◎連絡先メールアドレスをご記入のうえこちらまでメールをお送りください。

 goendama_2010@mail.goo.ne.jp

 

折り返しこちらから確認メールをお送りします。

当日はメールをプリントアウト、もしくは「整理番号とお名前」を控えてお越し下さい。

 一週間経っても届かない場合は、何らかの手違いが考えられますので、お手数ですが「届きません」という件名で再度メールをお送り下さい。

その他のお問い合わせは「問い合わせ」という件名でお送り下さい。

 

 ※場内は自由席です。来場順にお好きな席にお座りいただきますが、上映開始後の入場の際はこちらでご案内する席にお座りいただきます。

 ※場内は禁煙です。

※いただいた個人情報については、イベント関連の告知のみに使用し、 その他の目的には一切使用いたしません。

以上


映画「ご縁玉」の紹介と、出演者の横顔

2010-08-27 23:15:15 | 日記
■第1部 映画「ご縁玉」上映

(映画紹介)
始まりはパリのアパルトマンの一室だった。
大分県の保健室の先生だった山田泉(49)は、乳がんの再発を告げられ、大学生の息子、娘との思い出を作るためにフランスにやってきた。旅の終盤、知人の紹介で訪れたホームパーティーで、チェリストのエリックマリア・クテュリエ(35)と出会う。
育ての母親を乳がんで亡くしたエリックマリアは、山田のためにバッハを奏で、再会の約束の証しに「5円玉」を受け取る。
「ほんまに来るんかいな?」
そう思った山田だったが、5円玉に導かれるように、エリックマリアは大分にやってきて、山田にチェロによるセラピーを施した。山田の目から、混沌とした感情が涙となって流れ出る。一方、山田に誘われるままに児童養護施設やホスピスを巡っていったエリックマリアは、ほうぼうで魂が響きあうような出会いを重ねていく――。

江口方康監督を含め、いくつもの偶然の出会いが産んだ奇跡のようなドキュメンタリー映画。全編に流れるチェロの調べが、観る者を優しく包む作品です。

■第2部 チェロ&バイオリン ライブ

エリックマリア・クテュリエ(チェロ) 1972年ベトナム生まれ。1歳になる前にフランス人夫婦に引き取られて育つ。パリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)に首席で入学、数々の最高評価を受けて卒業。早くから世界各国の音楽に魅了され、独自の軌跡を辿ることを決意したチェリスト。エリックマリア・クテュリエ(1972生)。クラシック・現代音楽の分野において、それぞれフランスを代表する数々のオーケストラのソリストとして著名指揮者たちとの出会いを重ねるかたわら、個人の音楽活動を意欲的に展開し、分野を限定せずに飽くことなく音楽の可能性を追究しているアーティスト。


佐原敦子(ヴァイオリン) 東京芸術大学大学院在籍中より現代音楽に興味を持ち、2004年より3度、毎夏スイス・ルツェルンで行われている現代音楽祭(ルツェルン・フェスティバル・アカデミー)に参加し、エリック・マリアと知り合う。2004年ウラルスク国際ヴァイオリンコンクールで優勝し、国際的に演奏活動をスタート。QuartzよりデビューCD「Atsuko Sahara Works for Violin & Piano」リリース。2006年より2年間、文化庁芸術家在外研修員としてウィーンに留学、ウィーン国立音大大学院修了。現在は、母校である東京芸術大学室内楽科で後進の指導にあたる傍ら、各地で演奏活動を展開している。
現代音楽が好きな理由は、「”今”を生きていると実感できるため」。でも、「モーツァルトが大好き」。
今回の即席デュオについては、「エリックマリアとはずっと前から、一緒にコンサートやりたいねと言っていて、今回それが叶うのでとっても楽しみです」と話している。


■第3部 トークセッション

江口方康(監督・撮影) 1964年佐賀県牛津(現在の小城市)出身。1996年、パリにInter Bay filmsを設立。2002年、「ロストロポーヴィチ -75歳- 最後のドンキホーテ」をNHKエンタープライズ21と共同制作。2003年、カンヌ映画祭で出会った三池崇史監督に感銘を受け、帰国して同年5月から9月まで三池監督の「交渉人」「ゼブラーマン」で助監督を務める。「ご縁玉 パリから大分へ」は江口の初監督作品。
「トークセッションでは、会場の方々とやりとりしたいです。今回、来て下さる皆様とのご縁を深く味わえればと思っています」(江口)。

映画の主人公 「山ちゃん」こと山田泉さんについて

2010-08-27 21:11:05 | 日記
■山田泉(やまだ・いずみ)さんプロフィル。
(写真は2008年3月、卒業する3年生が自宅を訪ねて尋ねてきたときのもの)

1959年、大分県豊後高田市のお菓子屋の娘として生まれ、育ちました。勉強は苦手でしたが、「保健室の先生になりたい!」という夢を実現するべく、慣れない猛勉強をして1979年、養護教諭となりました。

その後、豊後高田市の小中学校で、保健室の先生を続けます。「子どもたちには、自分をないがしろにしてほしくない」、という思いで、性教育や人権教育にも熱心に取り組みました。規格に収まらない活動的な養護教諭として、県内では有名に。学校では、友達関係、両親の不和など、多くの悩みを抱える思春期の子どもたちに寄り添い続ける日々。
真一さん(真ちゃん)と出会い、息子さん、娘さんに恵まれました。

2000年、41歳で乳がんの告知。ショックから立ち直ると、患者会「オードリーの会」を設立しました。米国の女優「オードリー・ヘップバーン」が、がんで亡くなるまで、病気や飢えに苦しむ人々の支援に力を尽くしたことから、内面の美しさを受け継ぎたいという思いでこの名前にしたそうです。山田家には今も、ヘップバーンさんの大きな写真が飾ってあります。仲間同士で支え合い、励まし合って、楽しい日々を送ろうという活動を続けました。

2002年春に復職。ところが学校は生徒たちの「殺す」「死ね」という言葉が飛び交う殺伐とした空間でした。保健室のベッドから出ようとしない男子生徒がふざけて「オレ、がんじゃもん」と言った瞬間、気持ちが切れる音がしたといます。
仲間と支え合ってきた場所とのあまりの落差。
「もう、ここにはおれん」と職場を去る決断に傾いたその時、1人の女生徒に、「自分の命も、人の命も、同じように大事やと感じる授業しちょくれ」と言われてはっとしました。
「それならば」と、自らの体験をもとに<いのちの授業>を開始。自分の体験談にとどまらず、校外から、さまざまな大人を招いて、その生き方を語ってもらうことで、子どもたちの心を耕していきました。ハンセン病で長く差別された女性、障害を抱えながら世界にいどむアスリート、老舗旅館で人々をもてなしつつ社会に発信を続ける文化人、脳性まひながら足で筆を握る書家、そして大分出身の元首相のあの人まで……。
どの大人も輝いていました。そして、どの人も、悩み、迷った末に今の輝きを手に入れ、なお悩み迷いながら歩いていました。
そんな大人の素の姿に、生徒たちは惹き付けられていきます。
子どもに押しつけない授業は評判となり、メディアでもたびたび取り上げられました。

ところが、2005年、乳がんが再発し休職。
06年秋、職場に戻りましたが、体力の限界を感じて08年3月に退職を決意しました。「保健室のおばちゃん」として、常に子どもたちと共にあった28年間でした。その後も、ゲスト講師としての「いのちの授業」、自宅での「町の保健室」、講演活動などで、メッセージを発信しつづけました。

2007年夏、「思い出を作ろう」と旅したパリでエリックマリアと出会ったことが、映画「ご縁玉 パリから大分へ」に繋がっていきました。
残念ながら病気は進行。大分での先行ロードショー最終日の2008年11月21日、大分市のホスピス「ゆふみ病院」でふらりと戻らない旅に出てしまいました。
旅立つ直前、意識がなかった山ちゃんが突然、はっきりとした口調で、「生きることは、人のために尽くすこと。これで終わります!」。ベッドを囲んでいた医療スタッフも家族も、これにはびっくり。そして、自然に拍手がわき起こったとか。
最期まで授業をしていたようです。子どもが大好きで、ボランティアが大好きだった山ちゃんらしい一言を残してくれました。

映画「ご縁玉」は、亡くなった後に各地で公開され、話題になりました。
人と人が出会い、新たな人生が開かれていくこの映画の物語は、1人ひとりが建前や利害を超えて支え合うことを目指し続けた山ちゃんらしい作品となっています。



最初の著書「いのちの授業をもう一度」(高文研)は、学校での出来事をエッセー風につづった文章をまとめたもの。枠からはみ出しがちな山ちゃんの言葉はパワフルで、読む人を泣かせたり笑わせたりします。
続編は「いのちの恩返し」(高文研)。山ちゃんがどのような気持ちで「いのちの授業」を展開していったのか、たっぷり読むことができます。

(紹介文・上野創)