行って参りました100キロハイク!!
堂々と「負けません宣言」をして出かけていったわけですが!!
結果はどうなったのかと言うと…………!!!
無念のリタイア!!!
などということは無く!
無事に歩ききりました全行程122キロ!!!やった~~~~~~~~~!!!!
そうなんですよ~。全然100キロなんかじゃないのねアレは~。思い切り122キロあるんですよ、学校が122周年だからって理由で。にしても、マジな話もう言葉で表現しようとしたって表現できない辛さでした。痛い、痛い、ひたすら痛い。足の痛みとの道のりでした。
第1区(本庄~寄居、16キロ)
午前10時、楽しく賑やかな開会式を経て一斉にスタート。100ハイは仮装大会の側面も持っているので、みんな派手。ワイシャツに蝶ネクタイで一応グリーの格好をした我々だが、普通すぎて逆に浮いている。スタート地点で男たち(含、私)を興奮させたバニーガールに感謝。さて、さすがに第1区は歩き始めとあってさほど辛くはない。高校時代、「歩く会」なる行事で山道を20キロ歩いたこともあるし、多少足への負担は感じるもののサクサク進めた。グリー新入生チームで元気に歩く。
午後2時過ぎに寄居に到着。
第2区(寄居~玉川村、20キロ)
ここからが苦難のスタート。実は第1区の終わりらへんからチームと差が出始めていたのだが、最初のうちは3歩分だったのが、2区からはそれが5歩分になり10歩分になり、ついにはチームが見えなくなるくらいまで離れてしまったのだ。無理して早歩きしようとすると足に痛みが走るので、のろくても自分のペースで行くしかなく、1人で歩くことに。スピード的には1時間に4キロ程度。足の痛みがかなりつらくなっていたが、なんというか、この辺の区間はまだ「無意識」に歩くことが出来ていた。痛くても疲れてても、頭のスイッチ切ってボケーっとあるいてればそれなりに距離こなしてる、みたいな。そんな感じで午後7時過ぎに玉川村に到着。
第3区(玉川村~入間市、28キロ、通称ナイトハイク)
さて、100キロハイクで最も多く脱落者が出るのがこのナイトハイクだ。まず単純に距離が長い。そして真っ暗な夜道を僅かな街灯と懐中電灯を頼りに歩くことによる、精神的な圧迫。さらにアップダウンの激しい山道。街中と違って細かい目標となる建物も少ない。肉体的にも精神的にも恐ろしい負担があるのだ。
オレはというと、この時点で時速4キロが出なくなってきていた。足の痛みが本格化し、一歩踏み出すだけでもつらくなり始めた。これは2区からそうだったけど、どうにも人よりペースが遅いのでガンガン後ろから抜かれていくのも気持ち的に痛い。休憩も今までよりこまめにとらないと持たなくなってくる。休んではストレッチ、休んではストレッチの繰り返し。
中盤から頭の中で「リタイア」という文字が浮かび始める。でも、グリーのM浦先輩が昨年リタイアしたポイント、「ホテルあそこ」(ナイトハイク3分の2あたり)にまでは最低でも到達してやる、という気力で歩き続ける。
で、ここを抜けるとナイトハイクも終盤戦に入るので「ここまできたら歩こう」モードになる。足の状態は最悪だけど、気持ち的には持ち直したのでノロノロと少しずつ進んでいく。周りの集団を見回すと、リタイアの相談をするグループ、実際にリタイア担当に電話しているグループなどを何度か目にした。そのなかで、リタイアではないけどもうまともに歩けない状態になった女性が泣きながらチームの男性に支えられて歩いてる姿を見た。その泣きたくなる気持ちはよく分かる。
結局、午前4時、空が白み始めてから入間市体育館に到着。ここが仮眠所。道中で出会った、ウエイトリフティングの授業で同じ班の友達(応援として3区後半だけ参加)のアドバイスに従い、超丁寧にストレッチとマッサージをしてから、4時半に就寝。
翌日以降のことはまた後ほど。
堂々と「負けません宣言」をして出かけていったわけですが!!
結果はどうなったのかと言うと…………!!!
無念のリタイア!!!
などということは無く!
無事に歩ききりました全行程122キロ!!!やった~~~~~~~~~!!!!
そうなんですよ~。全然100キロなんかじゃないのねアレは~。思い切り122キロあるんですよ、学校が122周年だからって理由で。にしても、マジな話もう言葉で表現しようとしたって表現できない辛さでした。痛い、痛い、ひたすら痛い。足の痛みとの道のりでした。
第1区(本庄~寄居、16キロ)
午前10時、楽しく賑やかな開会式を経て一斉にスタート。100ハイは仮装大会の側面も持っているので、みんな派手。ワイシャツに蝶ネクタイで一応グリーの格好をした我々だが、普通すぎて逆に浮いている。スタート地点で男たち(含、私)を興奮させたバニーガールに感謝。さて、さすがに第1区は歩き始めとあってさほど辛くはない。高校時代、「歩く会」なる行事で山道を20キロ歩いたこともあるし、多少足への負担は感じるもののサクサク進めた。グリー新入生チームで元気に歩く。
午後2時過ぎに寄居に到着。
第2区(寄居~玉川村、20キロ)
ここからが苦難のスタート。実は第1区の終わりらへんからチームと差が出始めていたのだが、最初のうちは3歩分だったのが、2区からはそれが5歩分になり10歩分になり、ついにはチームが見えなくなるくらいまで離れてしまったのだ。無理して早歩きしようとすると足に痛みが走るので、のろくても自分のペースで行くしかなく、1人で歩くことに。スピード的には1時間に4キロ程度。足の痛みがかなりつらくなっていたが、なんというか、この辺の区間はまだ「無意識」に歩くことが出来ていた。痛くても疲れてても、頭のスイッチ切ってボケーっとあるいてればそれなりに距離こなしてる、みたいな。そんな感じで午後7時過ぎに玉川村に到着。
第3区(玉川村~入間市、28キロ、通称ナイトハイク)
さて、100キロハイクで最も多く脱落者が出るのがこのナイトハイクだ。まず単純に距離が長い。そして真っ暗な夜道を僅かな街灯と懐中電灯を頼りに歩くことによる、精神的な圧迫。さらにアップダウンの激しい山道。街中と違って細かい目標となる建物も少ない。肉体的にも精神的にも恐ろしい負担があるのだ。
オレはというと、この時点で時速4キロが出なくなってきていた。足の痛みが本格化し、一歩踏み出すだけでもつらくなり始めた。これは2区からそうだったけど、どうにも人よりペースが遅いのでガンガン後ろから抜かれていくのも気持ち的に痛い。休憩も今までよりこまめにとらないと持たなくなってくる。休んではストレッチ、休んではストレッチの繰り返し。
中盤から頭の中で「リタイア」という文字が浮かび始める。でも、グリーのM浦先輩が昨年リタイアしたポイント、「ホテルあそこ」(ナイトハイク3分の2あたり)にまでは最低でも到達してやる、という気力で歩き続ける。
で、ここを抜けるとナイトハイクも終盤戦に入るので「ここまできたら歩こう」モードになる。足の状態は最悪だけど、気持ち的には持ち直したのでノロノロと少しずつ進んでいく。周りの集団を見回すと、リタイアの相談をするグループ、実際にリタイア担当に電話しているグループなどを何度か目にした。そのなかで、リタイアではないけどもうまともに歩けない状態になった女性が泣きながらチームの男性に支えられて歩いてる姿を見た。その泣きたくなる気持ちはよく分かる。
結局、午前4時、空が白み始めてから入間市体育館に到着。ここが仮眠所。道中で出会った、ウエイトリフティングの授業で同じ班の友達(応援として3区後半だけ参加)のアドバイスに従い、超丁寧にストレッチとマッサージをしてから、4時半に就寝。
翌日以降のことはまた後ほど。