グローカル雑記帳

異文化理解や国際交流、中国のこと、日本の地方創生などについて。
また、日々の思ったことなど。自戒も込めた記録です。

日本に住む外国人は「客」なのだろうか?

2019年02月05日 | 国際交流や国際理解
 先日、地元の「多文化理解講座」に参加しました。中国出身の方とベトナム出身の方が、自身の故郷や日本での生活について、話してくださいました。中国の方は来日して約20年、ベトナムの方は来日36年とのことでした。

 中国のお話は、自分が中国で見てきたことでもありましたので、懐かしく感じました。ベトナムのお話は、初めて聞くこともあり、新鮮でした。ベトナムには58もの少数民族がいると、初めて知りました。また、ベトナムのカトリックは、江戸時代(まはた安土桃山時代)に日本から伝わったのだそうです。日本で迫害された信者たちがベトナムに渡り、その結果、ベトナムにカトリックが伝わったとのことでした。

 この講座では、印象に残っている言葉がいくつかありました。

 ベトナムの方は、昔は「外人」と呼ばれていたが、今は「外国人」と呼ばれるようになった、とおっしゃっていました。「外人」という言葉には、差別的な響きや蔑視感が含まれているようで、私も嫌いです。ただ、重要なのは、使う言葉を変えることではなく、意識を変えることでしょう。

 また、日本で感じた「違い」として、ベトナムの方は以下の4つを挙げられました。

1つ目:言葉
 言葉は、分かりあうために必須。言葉(日本語)ができないために、精神障害をきたしたベトナム人も見てきたとのことでした。

2つ目:ゴミ
 日本では分別や収集日が細かく定められている。ベトナムではそうではないそうです。中国で私が住んでいた大連でも、分別や収集日は特にありませんでした。

3つ目:音
 日本は静かであり、うるさいと苦情が出る。ベトナムはその逆で、にぎやかだそうです。中国もベトナムと同じだと感じます。

4つ目:平和
 ベトナムはずっと戦争だった。日本で平和を感じたと。難民として来日した方の言葉ですから、重く響きました。

 そして、ベトナムの方が「日本語で一番美しい言葉」と感じているのは、「お互い」という言葉だそうです。つまり、人間としてお互いに話し合い、お互いに交流し、お互いに助け合う、そうすることで、より良い地域社会になるということです。

 私が最も複雑な気持ちで聞いたのは、中国の方の「主人公は日本人、外国人は客」という言葉です。
 言おうとしていることは、自分たち外国人は、主人公(日本人)に迷惑をかけないようにすることが大事なのだということです。私は、それは違うと思ましたし、そのように感じさせてしまっていることに対し、悲しく思いました。私と同じように、この言葉に違和感を感じた方はいらっしゃったようで、質疑応答では「どんな時に客と感じるのか」という質問が出ました。中国の方がおっしゃるには、自分と日本の違いを意識した時に、自分が客だと感じるのだそうです。謙虚さの表れとして、そのように思っていると。全てを理解すれば、「住めば都」となるが、まずは「客」から始まるのだと回答されました。

 私は、主人公も客もなく、同じ所(市町村や都道府県、国)に住む人は、誰もが「住民」として等しいと考えています。

 最後に、発言内容とは関係ありませんが、私が気になったのは名前です。ベトナムの方はベトナム名でしたが、中国の方は日本名を名乗っていました(帰化したのか、通名なのかは分かりません)。聴衆にはベトナム出身の方が2名いらっしゃいましたが、ともに日本名を使っていました(同じく、帰化したのか、通名なのかは分かりません)。なぜ、日本名を使わなくてはいけないのか。

 同化を強いることではなく、違いを受け入れる、認め合うことが大切だと思います。出身地に関係なく、誰もが住民として主人公であり、出自を気にせず暮らせる社会が、目指すべき方向ではないでしょうか。色々な文化が共存し、多様性に富んだ社会。「違いがあるから面白い」とも言えます。

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