インディーズ、ビジュアルという言葉が猛威をふるっていたこの時期、GLAYは完全に異端視されていた。
ビジュアル系のスタイルをある意味踏襲しながらも脱却しようとしていたルックスに、渦中の人間たちは中途半端というレッテルを貼った。
さらに、函館時代から変わらないメジャー感のあるポップでメロディアスな曲調は、ダークで耽美的な志向を良しとするシーンから嫌悪の対象にされていた。
「そんなポップな音楽をやってたら、誰にも相手にされなくなるよ」
「ウチにはこういうポップな音はちょっと合わないんだよね」
訳知り顔のライブハウスの店員にそう言われ、TAKUROはいつもメンバーに言いそうになる言葉を飲み込む。
〈俺の作る曲がよくないからだ……〉まるで呪縛のように自問自答する日々が続いた。東京での2度目の春が過ぎても、事態は一向に好転する気配を見せてくれなかった。
●自信喪失
ファッション的なことも含めて、「GLAYどうしようか?」って。自分に自信がなくなってしまって。
「信じたモノをやってたつもりなんだけど、誰もこっちを向かないってことは間違ってたのかもな」って考え出して。だから、音的にはその頃が一番激しかったよ。
荒んでたからね。今みたいに優しい感じではなかった。
【記事引用】 「GLAY STORY-永遠の1/4」 「ultra veat 1996年 vol.3」