東京に来て間もない頃、一度だけ始発電車に乗って、テッコと函館に帰ったことがある。
ウォークマンがひとつしかなかったから、左右のイヤフォンをひとつずつ分け合って音楽を聴きながら……。会話はあまりなかった。ただ、窓から空を眺めていた。
なんのために帰ったのかは、よく憶えていない。函館を離れてまだ半年も経っていなかった。それでも無性に帰りたくなったのは、自分を見失いそうになっていたからだと思う。
●悲惨なライブ活動
東京でのライブ活動は、悲惨だった。
ちっぽけな函館のライブハウスを満員にしていたあの頃が、まるで幻のように思えた。それが現実にあったことかどうか、無意識のうちに函館に戻って確かめたかったのかもしれない。
それくらい、自信を失いかけていた。
函館を出るときは、東京で成功する保証は何もなかったけれど、自分たちの音楽に対する自信と楽観があった。僕たちが函館にいた頃は日本中がバンドブームで、レコード会社が青田買い的に、数々のアマチュアバンドをメジャーデビューさせていた。
東京に行けば業界人と会うチャンスだってあるだろうし、誰かの目にとまってデビューするなんてこともあり得ない話じゃない。
「現実はそんなに甘くないと思うけどさ」 なんて大人ぶって突っ張ってみせながらも、シンデレラストーリーを期待する気持ちがどこかにあったことは否定できない。
けれど、現実はいつも想像を裏切る。甘いとか、甘くないとかいっていられるようなレベルではなかった。ライブをすればするほど、自信は粉々にうち砕かれた。
●「ふがいないよ」
たった一度だけだが、もう音楽をやめてしまおうという気になったこともある。
東京に出てきて2年目のことだから、ちょうどイカ天に出場する前後のことだ。2年間も東京で頑張ってきたのに、ちっとも成果が見えない。おまけに、恋人にも逃げられてしまった。なにもかも、投げ出したくなった。
夜中にテッコに電話をした。「もう、諦めないか。俺には才能がないんだ。彼女にもフラれるしさ。この先どれだけ続けても同じことだよ。GLAYなんかやめて、函館へ帰ろう」
黙って聞いていたテッコは、2年前に僕があいつに投げたのと同じ言葉を、そのまんま返してよこした。
「ふがいないよ」 僕はどきりとした。「なにいってんだ、僕らまだなにひとつやってないじゃないか。やめてもいいけど、それはなんか結果を出してからのことだよ」
頭から水をかけられたような気がした。同時に、元気も湧いてきた。
口にこそ出さなかったけれど、テッコはつまりこういうことをいっていたのだから。もっとどんどん曲を作れ、詞を書け。お前の曲が世間に認められるまで、俺はいくらでも唄ってやるから。諦めないから――。
【記事引用】 「胸懐/TAKURO・著/幻冬舎」