日々の吐露を綴って。。

私が生きてここにいる現実と向き合う、日々のつぶやきのブログです。
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「脳」と「己自身」を考える

2017年07月20日 09時00分26秒 | 日記
ドラえもんの声でお馴染みの大山のぶ代さんは、認知症を発症してしばらくご主人の砂川 啓介さんに介護されていたが、そのご主人が亡くなられたというニュースを観た。


現在施設にいる大山のぶ代さんは無論知ることなく、先に旅立った砂川 啓介さん。


ふと、昔同居していた祖父を思い出した。


30年もたっていることに今更ながら驚く。


同居していた祖父は私の母方の父で、とびきりお洒落で、外出の際は中折れ帽を被り、写真もいつもカッコいいし、ビリヤードやボーリング、麻雀も好きで、夕飯には赤玉ポートワインを飲んでいた。


が、私が高校生のころに祖父はアルツハイマーを発症し、真夜中に起き出して雨戸を開け始めたり、テレビのニュース番組を正座して観ていたかと思うと、話しかけて会話しはじめたりなど、他人事に聞いていたことが目の前で繰り広げられる様にショックを受けたものだ。


いきなり外出するので、母に促されてこっそり後をついていくと、何故か振り向かれてあっさりばれて、何でわかったのーなんて言って笑いながら一緒に散歩して帰ったものだ。


私のことは孫娘だとわかっていたのかどうか、名前を呼んでくれたこともなくて定かじゃないが、いつも優しくて、誰だと言われたことはなかったし、きまって私が外へ出かけるときに部屋から出てきて、いつもの飴を買ってきてくれないか、と小銭をくれた。


マスカットキャンディーか、黒飴が定番だった。


そのうち病は進行して、歩こうとすると、真っ直ぐ歩けずに同じ場所でくるくる回るようになったし、オムツをはかせないと排泄が難しくなったが、オムツが何とも嫌で、脱ぎ捨てて床にしてしまうことが多くなった。


「そんな言い方ないじゃないですか!」
祖父の部屋から、よく父が怒る声がしていた。


正常ではないからと、理性ではわかっているつもりでも、簡単な意志疎通すらままならいもどかしさと、感情をぶつけてしまった後の、何にも改善にならないやりきれなさに、喜も楽もない。


赤ちゃんは、どんどん吸収してできることが増えて、喜も楽もあるのに。


段々と私のおじいちゃんは、見た目同じでも、誰か違う何かに変身していった。







祖父は、祖父の中身は、祖父自身そのままでいたんだろうか。


養老孟司さんは、認知症の人の脳はもはや違う脳みそなのだと言っていた。


以前、記憶喪失のことをブログに書いたが、気質や趣向まで変わってしまうのなら、その人をその人たらしめているのは、いったいなんなのか。


幻想でも幻聴でも、己がそれに処している自覚があるかぎり、自分自身は正真正銘本物だとしか言いようがないが、祖父は己自身をどう感じていたのだろう。


周囲がおかしいと思っていたのだろうか、自分の不具合を自覚していたのだろうか、その時々に思えることを思っていただけなのだろうか。


人を人たらしめているのは、脳か、精神か、はたまたひとつにはしぼれないのか、まだまだ探究中である。

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