日々の吐露を綴って。。

私が生きてここにいる現実と向き合う、日々のつぶやきのブログです。
時折お気に入りの曲も紹介しています。

生き方の自覚

2016年04月24日 13時22分46秒 | 日記

以下は、1998年4月1日付読売新聞「21世紀に向けて・政治を問う (3) 池田晶子氏」記事である。

18年が経つ今現在もなお、褪せず変わらない問いに身の締まる思いだ。

 



 

〈現在の日本に生きる人々は、自分が何のために何をしているかを自覚していませんね。自分の精神性以外の外側の何かに価値を求めて生きているから、いったんその価値が崩れると慌てふためくことになる。精神性の欠如という点で、かなりレベルの低い時代と思う。


 現代世界全体がそうだが、物質主義、現世主義、生命至上主義です。欲望とか生活とか、そういったことの人生における意味と価値を、根っこからきちんと考えたことがない。だから、金融不安など大事件のように騒いでいるが、先が分からないのは別に今に始まったことではない。生存するということは、基本的にそういうことなのだから、ちょうどいい気付け薬だと私は思う。


 地球人類は失敗しました。率直なところ、私はもう手遅れだと思う。この世に存在した時から、生存していることの意味を問おうとせず、生存することそれ自体が価値だと思って、ただ生き延びようとしてきた。結果、数千年かけて徐々に失敗した。医学なども、なぜ生きるのかを問わず、ただ生きようとすることで進歩した。何のための科学かという哲学的な内省を経ていない。


 ただ生きるのが価値なのでなく、善く生きること、つまり、より善い精神性をもって生きることだけが価値なのです。内省と自覚の欠如が、人類の失敗の原因だが、手遅れだといって放棄していいのではない。常により善く生きようとすることだけが価値なのだから、それを各人が自分の持ち場において実行するべきなのです。


 政治にしても、問題は、政治家が「よりよい」と言うときの、その意味です。彼らの言う「よい」とは、「善い」ではなくて「良い」、良い生活が人間の価値であることを疑ったことがない。しかし、人生の幸福は精神の充足以外あり得ません。物質に充足した人が、必ずしも幸福だとは思っていないのはなぜですか。みんな自分を考えるということを知らない。考え方を知らないというよりも、そもそも「考える」とはどういうことかさえ知らない。


 国民の側も、他人のことを悪く言えるほどあなたは善いのですかと、私はいつも思う。汚職した官僚や政治家はむろん悪いが、その悪いことをした人を、得をしたとうらやんで悪く言っているなら同じことだ。嫉妬と羨望を正義の名にすり替えているだけだ。


 世の中が悪いのを、常に他人のせいにしようとするその姿勢そのものが、結局世の中全体を悪くしていると思う。政治家が悪いと言っても、その悪い政治家を選んだのは国民なんだから。にわとりと卵で、どうしようもないと気づいた時こそ、「善い」とは何かと考えてみるべきだ。一人ひとりがそれを考えて自覚的に生きる以外、世の中は決して善くならない。


 税金の引き上げ引き下げで、生活が良くなる悪くなるという話以前の根本的な問題です。


 むろん政治は、生活する自我同士の紛争を調停するのが仕事なのだから、政治家はそのことに自覚的であってもらいたい。政治家が人を動かし、政策を進める時の武器は「言葉」のはず。しかし、現在の政治の現場ほど言葉が空疎である場所はない。「命を懸けて」なんて平気で言う。言う方も聞く方も本気とは思っていない。政治家に詩人であれとは望まないが、自分の武器を大事にしないのは、自分の仕事に本気でないからだ。言葉を大事にしない国は滅びます。


 だからと言って、「保守主義」とか自分から名乗るのもどうかと思う。なんであれ「主義」というのはそれだけで空疎なものだ。自分の内容が空疎だから、そういう外側のスローガンに頼りたい場合が多いのではないか。やはり、各人の精神の在り方こそが問われるべきだ。


 問題はそんなところにない。要は、政治家から国民まで、一人ひとりの生き方の自覚でしかない。だからこそ「考える」ことが必要だ。考えもしないで生きているから、滅びの道を歩むことになる。考えることなら、今すぐこの場で出来ることです。


(中略)


 半世紀戦争がなかったことが大きいと思うが、みんな自分が死ぬということを忘れている。人がものを考えないのは、死を身近に見ないからだと思う。と言って、永遠に生きると考えているわけでもない。漠然としたライフプランで、なんとなく生きている。一番強いインパクトは死です。人がものを考え、自覚的に生き始めるための契機は死を知ることです。


 制度を変えても、精神の在り方が変わらなければ、世の中は決して変わりません。〉

 

 

・・・

そう、やたらとスローガンや制度を作り続けているけれども。

人には各々意識・精神が宿っていることを忘れてはいまいか。

 


Justin Bieber - Never Say Never ft. Jaden Smith

2016年04月23日 17時05分29秒 | youtube動画・音楽

 

Justin Bieber - Never Say Never ft. Jaden Smith

 

ー出来ないなんて言っちゃダメだー

 

ジャッキー・チェンがリメイクした映画ベストキッドのED。

ウィルスミスの愛息子であるジェイデンが出演、

スジャスティン・ビーバーとftした曲。


久石譲 / Princess Mononoke Symphonic Suite

2016年04月10日 14時14分14秒 | youtube動画・音楽

Joe Hisaishi / Princess Mononoke Symphonic Suite

 

中盤あたりからの、蜩が鳴くようなバイオリンの音

異音のようでちゃんと奏でてる

金属を舐めるあの不快さの様なものが混じりあいながら

ちゃんとコードと共鳴する、その不気味さが何とも。。。

久石さんの交響楽は本当に素晴らしい。


自然

2016年04月10日 06時42分25秒 | 日記
父は二年前に胃癌を患い、幸い手術から四日で退院、健康に過ごせていた矢先に、先日大腸癌が見つかった。


また癌か。 近々再び入院&手術することになって、母は表向き「歳だからね、色々でるのよ」と笑うけれど、独身貴族邁進中の私の弟も腹部にしこりがあたると言って近々受診するそうだし、母の弟はステージ四の癌で抗癌剤治療で目下闘病中であるし、内心そうとう心細いだろうと察する。


母は家に一人だと食も適当になるだろう、と急遽思い立って、米飯のおともになりそうな鰯の梅煮をこしらえ、また母の好きなお菓子があると気が休まるだろうとそれらも持って、早速実家へ向かった。


会うと父はすこぶる元気だったが、歳は七十半ば、手術を受けるにはスタミナが心配な高齢だ。


成功して完治してほしいという願いは勿論あるが、お腹を切るとなると、筋力の衰えのダメージや予後も気になる。


弟の症状も気になるところ。 共倒れにならないことを祈るばかりである。


実家の両親を支えてほしい。 人一倍うるさいくらいにあれやこれや健康に気を付けていても、病気するときはする。





老いること。


人間生きていれば身体はいずれ老朽化する、意思とは関係ないこのサイクル、「自然を大切に」の自然は、外界を探さずとも実は常に共にあるこの身体も例外ではない、でも筋肉や四肢を意思に絡めて動かしているわけで、意思と身体は完全分離してはいないのだけれど、細胞の一つひとつは意思ではどうにもならない自然そのもの、その摩訶不思議さを再認識する。


じゃあ、自然は脳みそを持たないけれど意思を実は持ち合わせているんだろうか・・・


意識とはいったい何者なんだ?


「死」と「生」とを考え始めると、壮大すぎて、実家からの約二時間の帰り道はずっとそれだけ飽きることなく考えられる。






父の身体のこと、母のケアのこと、弟の症状のこと、我が家のこと、子供のこと・・・どれも気に掛けながら、いま何が必要なのか、自分にできることは何か、で動いている。

選択肢

2016年04月05日 20時15分21秒 | 日記

先日、些細なことから久しぶりに長女と言い合いになった。


私が生きていると、迷惑がかかるから、お金がかかるから、だったら自分は死んだほうがいい、そのほうが双方が平和だと、嫌な思いをするたびにそう思ってしまう、と泣きじゃくる。


死んだら、お金も浮くし、煩わされる思いもしなくて済むでしょ、ということらしい。


この理由ならば、自分が何も取り組まなくて済む、自分をどうやって活かすかを考えなくて済む方法だ。


本当にそう思っていたなら、もう行動にでているものだけれど、それも出来ずに「誰かに何とかしてほしい」、察してくれと喚いている、それが甘ったれというものなんだ。


でもここでただ、甘えてるよと教えても、当の本人は苦しんでるのにと逆恨みか、わかってくれないという絶望感しかわいてこない、そこに親子のギャップが生じて話し合いが決裂してしまいがちだけれども。


甘えてると指摘するだけではなく、その「死」自体を知らないのに死ぬことを選択しようとした、なぜそれでなければならないのか、本当にそうなのか、を聞いて話し合ったほうがはるかに建設的な対話になると思う。


他人の死は死ではなく「死体」である、と池田晶子女史は言った。


他人の「死体」をみれば、死ねば終わり、確かにと思うけれど、死そのものはやっぱり他人からではわからない。


死ねば終わる、それは真実だろうか。


どうだろう。





よく知りもせず、やり直しのきかない選択をするものである。


ゴッホは、何故だかわからないけど、どうしても上手くいかない、どうやっても何しても自分を活かす術をつかめなくて克服できずに自死した、それとはまるで比にならない。


自活して自分で生きるためのお金を生み出して、他人を煩わせない生き方を、それこそ考えてあみだせばいいじゃないか。


自分のことを自分でどうしようかという「できること」を考えもしないで、死ぬとはどういうことか考えを深めたこともないのに、死んだらリセットできるってどうしてわかるんだろう。


「死」というものをを考え始めれば、「生きる」ということは何なのかも考え始めることになるはずなのに。