日々の吐露を綴って。。

私が生きてここにいる現実と向き合う、日々のつぶやきのブログです。
時折お気に入りの曲も紹介しています。

評価と本質は別物

2013年04月17日 05時29分55秒 | 日記
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他者からの承認が自分の渇望する安全や受容を与えてはくれないという事実を受け入れるときです。

本当に問うべきことは、自分が特別であること、自分の資質、独自の存在であることを自分が許せるかどうかなのです。



デビー・フォード著
「人生の意味を知るスピリチュアルライフ」より抜粋


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生きている間じゅう、自分を生きるって何だろう、と問いつづけるのかもしれない。


正解はないし、いつもいつも同じ状況にはならないし、これをしていればO.K.というのもないし、矛盾に満ち満ちているし、世の中の「普通」ってちっとも当てにならないし、他人は容赦なく自分を評価して勝手なレッテルを貼ってくるし、言いっぱなしで成り行きまかせ。。


それなのに、他人に認められるかを気にしてしまう、自分がいま周囲の中のどこに位置しているのか、状況から外れていないか、違っていないか、・・・そんなことを気にしてしまうのは、偏差値教育世代だからだろうか。


好きな人のタイプのランキング上位に必ずある「優しい人」、それを知っている人ならきっと、あなたって優しい人ねと言われたら嬉しいだろう。


優しい、これも人によって基準がだいぶ違うと思うし、褒め言葉に受け取らない人も少なからずいると思う。


外からの評価と自分の本質と、ごっちゃにしちゃいかん、と思う。






そういえば、約二十年前、香水を除いて「無香料」が流行った時代、何につけても「人工香料は使用しておりません」と商品に但し書きがされて、そのうち「無香料といっても匂いを打ち消すための香料が入ったものもある」というのも出てきて、人工香料は身体に悪い、とされた。


なのに今は、何につけても香料、香料、香料・・・どう考えてもこれ天然香料じゃないよねっていうものばかり。


身体に悪かったんじゃないの?、って、ほんと適当だもの。

レッテル

2013年04月15日 22時17分41秒 | 日記
これが唯一の息抜きだよ、これを俺から取り上げられたらもう何も残らないよ、といって大抵挙げられる嗜好品と言ったら、色々あるけれど、お酒もしくはタバコが多そうだ。


夜に主人と会話していて、なぜかこの話題になり、絡み酒ほど迷惑なものはない、と、酔っ払いが心底大嫌いな主人は「酒、っていう奴は、息抜きじゃないと思うよ、逃げだよ」「酒じゃなくたって世の中探せばもっとあるだろうに、面倒臭がって自分で考えないんだ」と言う。


そういう主人は愛煙家で、何を削ってもどんなに値上がりしてもタバコだけはやめない、と断言している。


私からすれば、主人の喫煙だって、嫌煙家からすれば「探せばもっと他にあるだろうに、何故タバコじゃなきゃいけないんだ?、副流煙で周囲に害を撒き散らしているじゃないか」となるだろう、と思って、主人に少し揶揄してみる。


すると「いや、タバコと酒をいっしょにするな!、酒は違う」と譲らない。


禁煙して五年、酒も年末年始の父との晩酌くらいしか飲まない、どちらにも嫌悪感のない私には、「どっちも同じようなもんじゃないの?」と思ってしまう。


そして思うのは、人の評価はあくまでその人の価値観からの評価で、レッテルも外からペタペタと貼られるものだけど、そのもの自体の価値は「決めてもらう」ものじゃないよな、と。

自分何とかしてよ、って叫び

2013年04月11日 20時34分54秒 | 日記
我が家の長女はよく吠える。


私にはあれが足りない、これが足りない、ない、ない、・・・誰か何とかしてよ、ママなんとかしてよ。


くせ毛がいや、足が太くていや、笑顔できないからいや、背が小さくていや、いいと思うコーディネートができる服がないからいや、・・・思い通りにならない苛立ち。


先輩は都立落ちて私立行ったんだって、うちは私立行くだけのお金ないんだもんね、一発勝負の都立しかないんだもんね、別に高校行きたいんじゃないけど高校は卒業しないとだめなんでしょ、不良がいようが偏差値低かろうがもう関係ないや、どうだっていいよ入れりゃ、要はどこかしら入れればいいんでしょ。


・・・人通りの多い駅前の歩道で投げやりに喚く娘。


働きたいわけでもなく、勉強も根詰めてしたくない、誰か何とかしてよ、とこの子は吠えている。


すれ違う人の顔は前を見ていながら目だけ私達親子に向けているのが肌でも感じる。


私は顔がぼぁっと赤くなるのを感じ、恥ずかしさに「あ、そ」と早々話しを打ち切ってしまった。


親がなんとかしてくれたら、私はもっと選択肢が広がるのに、これさえ~なら~なのに・・・娘は最近その考え方が目につくようになった。


重たい高校ガイドを借りてきたり、問題量の少ない基礎復習用のドリルを選んだのも、よさそうな高校のピックアップも、見学のスケジュール検索も、自分で探しなさいよと言ってもちっともやらないから、みんな私が用意して与えてきた。


ツールはたくさん身の回りにあるのに、充分にあるのに、活用しようとしないで他人をうらやましがってばかり。


結局、どんなに凄くても、本人が本当に必要としなければ、何の価値もなく無意味なんだ。






そういう私も、実は受験生のときそうだった。


行きたい学校なんかなくて、でも親に「高校は行きなさい」と言われて、受験対策もさほどせず校風もなにも知らない自分の学力より上の偏差値の、体裁だけでとりあえず決めた公立高校を受けて、見事落ちて滑りどめに受けた私立高校に行った。


高校の良さはさっぱりわからなかった、ただ、履歴書に高卒と書けないとろくな就職できないぞ、と親に随分刷り込まれて、指折り卒業式までの日を数えて過ごした。


母が毎日パートに出てクタクタになって学費を稼いでくれていても。


そんな私が、高校の良さを娘に伝えられるわけもなく、あの時と同じように就職云々を言っている、そう思ったら、遺伝かな怖いなって苦笑い。


どう導いてやったらいいだろう、最近よく考えている。